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アンビエントミュージックの魅力

こんばんは、神山聴景事務所代表の神山です。

世間からすると馴染みのない言葉「アンビエント」。

定義は広く、現代音楽の1つとして挙げられています。正直、どこからどこがアンビエントミュージックなのかという境界線もあやふやです。

ただこの音楽にはとてつもなく大きな魅力があるということを皆さんにお伝えしようと思います。

この世にはたくさんの音楽が存在していますが、あなたが聴いているのはほんの一部でしかなく、違う音楽の世界の門を開くことで新たな「気づき」に出会うかもしれません。


「家具としての音楽」

この言葉は二十世紀前半まで活躍していたエリックサティという作曲家が新しい音楽手法を提唱する際に使われました。

それは今までの積極的な鑑賞音楽とは真逆の発想でした。

彼がそのようなテーマで演奏を行っても聴衆は聴き入ってしまい、挙げ句の果てに彼らに対して聴かなくていい、会話を続けてくれと頼んだそうです。

アンビエントは「包み込む」・「囲む」という意味があり環境の一部として体感してもらう音楽なのです。

昔の西洋のコンサートホールでは自然音や生活音を完全にシャットダウンするために言わば本当に音楽だけを鑑賞するために作られた場所なんですが、まさにそういう環境とは反対の状況で音楽を無意識に嗜むというものでした。

それがのちにブライアンイーノというミュージシャンが「アンビエントミュージック」という風に提唱しました。

それが今日におけるアンビエントミュージックの先駆けとなっています。

ただ何を持ってアンビエントと解釈するかは作り手次第なので、そうでないものまでアンビエントミュージックとして捉えられがちです。

区分けした方がわかりやすいのは事実ですが、それをしてしまうと初めて聴く側がより混乱してしまうのではないかと思ってしまいます。

日本はそもそもアンビエントミュージック的な聴き方をしていた?

このジャンルは西洋から生まれ、それまでの音楽のアンチテーゼとして少しずつ輪を広げてきました。

日本は元来自然音や生活音を社会から排除せず、それらも音楽の一部としてしっかりと捉えてきたのではと考えています。

よく聞く話で、日本は虫の泣き声を風情として捉えるが西洋は騒音として捉えているといいますが、昔の日本人にはアンビエントミュージック的視聴スタイルがそもそも備わっていたことがこの話からわかります。

ですが、明治からの西洋化や建物も構造が変わっていくことで環境・生活・音楽が分断されてしまったのかもしれません。

現在の建築様式は高度経済成長時と比べると環境に配慮し、自然と生活の境界線があまりない(縁側的な作り方)ような建築物が出来てきたこともあり、環境との関わり合いについて再確認する機会が増えてきたように思えます。

しかし「聴く」スタイルについては全く変わっていないように感じます。

音楽は大多数が精神面を鼓舞するもの、ダンスミュージック的な要素が強く僕たちがやっているような音楽は端に追いやられてしまっています。

元々マイノリティな音楽ではあるためそれは仕方のないことです、しかし中には心が安らぐ音楽が求められていてニーズが一定数いることも確かです。

アンビエントミュージックの魅力

さあここでやっと本題に入ります。

ここでは作り手としての魅力を語りたいと思います。

リズム音楽あってこの音楽にないものそれはまさしく「リズム」です。

リズム=拍のある音楽では、小節の中に音を入れていきます。単純明快です。

ただそこにどのようなメロディーや音を入れていくか、それによって音楽そのもののグルーヴ・美しさなどが見えてくるのです。

一方、アンビエントミュージックには明確なリズムがありません。

初めて作るときは雲を掴むような作業な訳でどこをどうしたら美しく聴こえるのか、音楽として成立するのかが全くわかりませんでした。

ではどこに魅了されたか。

それは

・この想像もつかないような制作過程の中で生まれるリズム音楽を凌駕してもおかしくない美しさ

・宇宙大の可能性を感じさせる創作手法。

・情景を見せてくれる音の絵画。

一般の方が聴いたら適当に並べられた音の羅列またはドローンミュージックと言ってある音がずっと続くような音楽を聴くと大したことないと思うかもしれません。

でも実は緻密に計算された音の世界がそこにはあります。

僕はその魅力にすっかり虜になってしまい、始めて以来10年が経とうとしています。

聴けば聴くほどいろんな情景が浮かぶし、インスパイアもされます。

音楽はロック・ジャズ・ポップスだけではなく、そこに埋もれてしまっているダイヤモンドのように輝いている音楽が眠っているのです。

神山






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