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それでも変わらない世界を

あらゆる世界が、新たなウィルスの出現によって閉ざされていく。刻々とそうした時間が長くなるにつれて、つい数週間前まで当たり前にあったはずの毎日の記憶が、日に日に薄れていく。

生まれ育ったこの島に戻って、
10年目の春が過ぎようとしている。

そのあいだ僕は、この島とこの島じゃないふたつの世界。あるいは、もっと多くの世界を意識的に行き来しようとしてきたから、島を離れる期間が長くなるにつれて、あいつは島を捨てた。とか、島を利用しているとか・・・まぁ、それなりに色んな言われようをしてきたな、と。それは、それで感慨深い。

だいたい月の半分以上は、甑島の外にいる暮らしだったのだけれど、そんな自分がもう2ヶ月以上どこへもいかず、ここにいる。そして、どんなに世の中が変わろうとも、変わらなくとも、今日もこの島に陽は昇り、海を染めていく。

今、世界はある意味で分断されている。**

"島という世界"には、島に暮らすものと島を離れたものが暮らしている。離島という環境であるがゆえに「海」に囲まれたこのまちの輪郭は、良くも悪くも、時には残酷なほどにくっきりとしてしまうものだ。

その点、新しいウィルスは目には見えないけれど、ある意味では、この島の海と同じようにウィルスは、"そこにあるはずの世界"を分断し、”ここにある世界”をくっきりと映し出している。僕にとってウィルスのそれは、まるで15歳の少年が見ていたあの時の「海」という存在と同じようなものかもしれない。

水平線の向こう側にある、島とは別の世界。

幼い頃から体が小さかった僕は、競馬のジョッキーに憧れて15歳で島を離れてJRA(日本中央競馬会)の競馬学校に入学するために上京した。海の向こう側にある、もう一つの世界に渡ったのだ。けれども、それからしばらくして、減量に失敗してしまい、無職になってこの島に再び戻ってきた。

それは、絶望だっただろうか。
その答えを知りたくて、今日も生きている。

海に分断された向こう側の世界が少年にもたらしたものは、生きる喜びであり、目標であり、想像することであり、世界とをつなぐ希望だった。一体この先の世界には、何があるのかって、ひとりで海を眺めては、わくわくしていた15歳のあの頃と同じように、新たなウィルスで分断されたこの時代に何が必要とされているだろうか。今こうして「島」と「島じゃない世界」を行き来している存在だからこそ、そんな自分には、何かしらの役割があるような気がしている。

分断されたことで、明らかになった
この島の変わらない世界。

その小さな島の物語を、小さいと思うか。それこそが世界なんだと思えるか。ふと、僕は、ここが好きだからよりも、好きになりたくて帰ってきたことを思い出した。

このウィルスが、終息しようがしまいが、アフター〇〇ではない。閉ざされた今。まさしく、ここにある変わらない世界を守り育てるために、今日も朝令暮改で変わりながら生きていく気概だけは持っているつもりだ。勘違いされてもなお、いつかでは無く、今まさに変化していくのだ。

分断の先にあるはずの希望を行き来する。


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