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「炎立つ」を読んで思ったこと

高橋克彦さんの著書「炎立つ」を読みました。昔、大河ドラマにもなっているので、読んだことがなくても、名前を聞いたことはあるかもしれません。実際、僕もそうでした。

東北地方(昔の陸奥)の話です。僕が東北のことを仕事にしたいという話をしたところ、読んだ方がいいと薦めていただいたのが読むきっかけです。

僕の名字は佐藤ですが、藤原氏から来ているという話があります。炎立つも奥州藤原氏の話で、且つ、岩手の話でもあるので、読みながら知ってる地名が出てきたりしました。

東北自動車道の水沢インターを降りて、母親の実家がある住田町に行く道の途中、標識に千厩(せんまや)と書いてあり、いつもなんて読むんだろうと思っていた所も炎立つを読んでその由来を理解できたりしました。

平安時代の朝廷と東北の話ですが、僕がこの本を通じて、感じたことは「道を外してはならない」ということです。

私欲のために(この時代でいえば、地位が欲しいだったり、領地だったり、一族のトップだったり)行うことは獣と同じというような言葉が出てきます。

何のために戦をするのか、その大義は何なのか。今の時代は戦はしませんが、何のためにその仕事をするのか。その考え方は、平安時代から時を経ても不変なんだなと、お風呂に入りながら読んでいたので逆上せながら考えてました。自分は何のためにこの事業に取り組むんだろうかと。

この物語には多くの人が出てきますが、どういう人に惹かれるのか。それは、やはりしっかりと自分の考えがあり、その考えが私利私欲ではなく、大義を持って進むところに惹かれるんだと思いました。

この夏、帰省した時には、藤原経清のお墓に寄ってみようと思います。

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