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小さい頃になりたかったものになっているかもしれない

小さな頃って、将来の夢を書くことが結構あったと思う。
実際に自分がなりたかったものを思い出してみると、
小学生の時は新聞記者
中学生は商社マン
高校生はAD(多分、これはADブギを見たから)
カメラマン
そして、都市計画をやってみたいと思ったのが高校生。
大学ぐらいになると、もう現実的なことを考えてて、結果ゼネコンに進んだ。

多分、この影響って僕の場合はテレビや漫画が大きい。

そして大人になって、自分で起業をしてみたい、その仕事で地元に恩返しができればという夢を持った。

起業するだけはできたので、恩返しはこれから。そこができると夢の一つが叶う。よく考えてみると、今の仕事って大きく捉えると、新聞記者だったりカメラマンだったりも兼ねている。
商社マンについても、今、ちょっと話があるのがそれに近い。(ただ、その時のイメージは、海外で給料もたくさんもらっているぐらいだったと思う)
ということは、昔なりたかった、やりたかったことができている。

ということをふと思った。
突拍子もなく、そんなことを考えるのは、大抵追い込まれている時だったりもするが、そう考えたら楽しくなってきた。

まだ事業としてはよちよち歩きかもしれない、だけどここからもっとなりたかったこと、やりたかったことを実現できる可能性は十分にある。そして、今もやりたいことは沢山ある。

僕が起業をしたいと思ったのは、やりたいと思ったことにチャレンジしやすい環境が自分で作れると思ったからだ。
会社にいても出来るかもしれない。
僕は自分で会社を作る道を選んだというだけだ。(大変な道だということに後で気づくわけです)
あくまで、起業は手段の一つ。

会社名はトンネルという名前をつけた。

最近思うのが、トンネルって出口があるということだ。


僕のなりたかった職業もいろんな形がある。カメラマンだったら、報道かもしれないし、記念写真を撮影するかもしれない、料理を撮る人もいる。いろんな人がいる中、僕は生産者の普段見えない姿を撮影する。撮影のレベルはもっと上げなくてはいけないと思っているが、見えなかったことを見ることで、見た人が何かを考えるきっかけになればと思っている。

夢の出口は様々ある、出口が作れれば、それは夢を一つ叶えたということかもしれない。「トンネルを抜けるとそこは・・・」という有名な小説があるが、僕はトンネルは抜けることができるものだと思っている。

そう考えると、思いつきで出てきた名前にしては、実はいい名前なんじゃないかと、1年経とうとしてようやくしっくりときはじめた。

僕はまだトンネルをいろんなところに掘りはじめたばかりで、掘り進めると、硬い岩盤があったり、砂だらけで掘れないかもしれない。様々なハードルがある中、トンネルと掘り切れたら、地元の役に立つという夢が一つずつ叶っていくかもしれない。

ちば食べる通信も
まつどSDGsノウエンも
外食支援も
今やろうとしている新しいことも

全てのトンネルをしっかりと掘り進めてつなげていきたいと思う。
と書いたところで、入稿作業に戻ります!

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