「青天を衝け」レビュー⑧ 茶歌ポン
おばんです(朝読んでいる方は、おはようござりす)。
せっかくなので、渋沢栄一が主人公の大河ドラマ、「青天を衝け」で気になったところを考察していきたいと思います。
とは言っても、あらすじなどは他の方々がわかりやすく書いているので、僕が気になったポイントだけ見ていきます。
ここ数話、渋沢栄一を考察をするネタがなく、どうしよう…という感じで。今回も渋沢栄一とは関係ない話題になりそうです(渋沢栄一のネタ自体はいくらでもあるのですが、思想と行動に関する考察に集中したいので。次回はあるかなー…)。
「茶歌ポン」とは
今週のパワーワード、「茶歌ポン」。井伊直弼をディスってるのか、愛称なのか。ちょっと調べてみました。
井伊直弼は、32歳まで「部屋住み」でした。
「部屋住み」というのは、跡継ぎ以外の人がなる、いわば強制ニートのようなものらしいです。跡継ぎの代打が来るまで、ニートを続ければならないとのこと(当然、来ないこともある)。
その強制ニート時代に、井伊直弼は茶道、和歌、能楽を極めたのでした。そのときについたあだ名が、「茶歌ポン」。「ポン」は能の鼓の音のことです。
恐れ入り奉ります
一橋慶喜の井伊直弼に対する詰問シーン(つよぽんVS茶歌ポン)で、井伊直弼が繰り返していた「恐れ入り奉ります」。これは実際のやりとりのようです。
実際は、慶喜に言質を取られないようにしたのと、表面的な謝罪をしつつ、意見は受け流す意図があっての発言のようです。
今的に言うと、謝罪会見で「誠に申し訳ございません」とだけ繰り返し、詳しい説明は一切しない、みたいなやつでしょうか。
なんか重大なことを押し通したいとき、使ってみたい言葉です。
例
銀行「この事業計画、資金繰りの見通しが甘いのでは?」
ぼく「恐れ入り奉ります」
銀行「受注予定表の確実性はどのくらいですか?」
ぼく「恐れ入り奉ります」
銀行「債務償還年数、余裕で10年超えてるんですけど…」
ぼく「恐れ入り奉ります」
銀行「…」
ぼく「…」
おまけ(8話関係)
今週の結婚したシーンは1858年。桜田門外の変は1960年。「雨夜譚」では、この2つの出来事は書かれていません(たぶん、「青雲の志禁ずるあたわず」と「江戸に遊学す」の間あたりだと思われます)。
3話?あたりにあった、藍玉の番付のはなしは、実際にはこのころのエピソードのようです。
参考文献
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