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『お金を笑わせろ!』細かすぎて伝わらないレビュー


 おばんです(朝読んでいる方は、おはようござりす)。

 今日は、仙台の作家で、僕の盟友でもある小池浩さんの新刊をレビューします。
 レビューと言っても、本書中の気になる言葉をピックアップして、僕の得意分野の、渋沢栄一だったらこう考える、儒学的にはこう考える、的なものを探り当てて古典から引用するという、ちょっとイカレた内容になっています。
 たまに僕のぼやきも入っています。


“お金さん“と“人生さん“は対等(P35)

 一面において富貴栄達を欲するとともに、他の一面においては、(中略)、洽く同胞に対してはこれを愛し、これを敬するという、いわゆる「忠恕」の心を推し広め、もって世の進運を助けていかなくてはならぬ。かくてこそ人生の本分を、初めて完了することができるので、延いて自己栄達の根本ともなるのである。
(『青淵百話』 富貴栄達と道徳 処世上の真意義 より)

“お金さん“を優先しているやつに、本物の金持ちはまずいない!(P35)

 真に人を評価せんとならば、その富貴功名に属する、いわゆる成敗を第二に置き、よくその人の世に尽くしたる精神と効果とによって、すべきものである。
(『論語と算盤』 人格と修養 人格の標準は如何 より)

オーダー後のヒントを受け取り、とにかく行動に移すようになってからは、借金、そしてお金に対する感覚が一変し、借金返済まで大きく加速しました。(P38)

 『知は行の主意(はじめ)、行は知の功夫(じっせん)、また知は行の始(もと)、行は知の成(じつげん)である』
(『伝習録』 上巻 五 より。現代語訳で引用)

 「知は行の始、行は知の成である。聖学にあっては(知行の)功夫はただ一つで、知と行との二つに分けることはできない」
(『伝習録』 上巻 二七 より。現代語訳で引用)


 いわゆる知行合一のこと。

 「やります」はよく言うけど、実際やらずに、「なんでよくならないんだろう?」と嘆いている人がわりかし多い気がする。
 それは、「やります」と言った(決心した)時点が快感のピークで、その後に実際に「やる」ことは痛みを伴うから、実際にはやらない。なので、次の「やります」という快感のピークを追い求め続け、一生変わることはない(酷な言い方をすると)。
 

お金さんは祭り上げられるよりも、働きたい。(P56)

 金に対して戒むべきは濫費であると同時に、注意すべきは吝嗇である。よく集むるを知りて、よく散ずることを知らぬは、その極、守銭奴となるから、今日の青年は濫費者とならざらんことを勉むると同時に、守銭奴とならぬように注意せねばならぬのである。
(『論語と算盤』 仁義と富貴 よく集めよく散ぜよ より)


お金についてネガティブな感情を抱いていると、お金がいくら入っても足りなくなって、なぜか突然お金がなくなるような事態に巻き込まれたりもします。(P57)

 あー、こういう人たまにいるんだよなー…こういう人に限って、金への執着がよけい強い。


お金には人格があり、あなたの役に立ちたがっているのですから、「見えない」なら「見える」ようにしてあげたほうがいい。(P106)

 金はもとより無心である。善用さるると悪用されるとは、その使用者の心にあるから、金は持つべきものであるか、持つべからざるものであるかは、卒爾に断定することはできない。金はそれ自身に判別するの力はない。善人がこれを持てば、善くなる。悪人がこれを持てば、悪くなる。つまり、所有者の人格如何によって、善ともなり悪ともなる。
(『論語と算盤』 仁義と富貴 効力の有無はその人にあり より)


オーダーした瞬間、そこに向けて宇宙が舵を切るので、あとは、起きるできごとに対応しながら、降りてきたヒントを確実にこなしていけばいいだけです。(P141)

 子曰く、我を知ることなきかな。子貢曰く、何為れぞ其れ子を知ることなからん。子曰く、天を怨みず、人を尤めず、下学して上達す。我を知る者は其れ天か。
(『論語』 憲問第一四 三七 より)


いいか、開運法なんてのは奇策じゃねぇ。あたりまえに見えるのに誰もやらないことだ。(P158)

 然らば則ち一羽の挙がらざるは、力を用いざるが為なり。輿薪の見ざるは、明を用いざるが為なり。百姓の保んぜられざるは、恩を用ざるが為なり。故に王の王たらざるは、為さざるなり、能わざるに非ざるなり。
(『孟子』 梁恵王章句上 七 より)


この「本来得られないはずのお金」は、風水などの世界では「横財」と呼ばれます。(P204)

 定額給◯金のことか…。 俺は1割どころか、全額(いや、それ以上)地元の居酒屋に使ったな…


多くの人は、問題があるから悩む、心配する、不安になるのだと思っていますが、これ、本当は逆。(P217)

 世の中のことは多く自働的のもので、自分からこうしたい、ああしたいと奮励さえすれば、大概はその意のごとくになるものである。しかるに多くの人は自ら幸福なる運命を招こうとはせず、却って手前の方から、ほとんど故意に佞けた人となって、逆境を招くようなことをしてしまう。それでは順境に立ちたい、幸福な生涯を送りたいとて、それを得られる筈がないではないか。
(『論語と算盤』 処世と信条 大丈夫の試金石 より)


人生の課題や心の傷も、無視していると大きくなっていってしまいます。(P237)

 誰でも目前に大事を控えた場合には、これを如何にして処置すべきかと、精神を注いで周密に思案するけれども、小事に対するとこれに反し、頭から馬鹿にして不注意の内にこれをやり過ごしてしまうのが世間の常態である。(中略)小事かえって大事となり、大事案外小事となる場合もあるから、大小にかかわらず、その性質をよく考慮して、しかる後に、相当の処置に出るように心掛くるのがよいのである。
(『論語と算盤』 処世と信条 得意時代と失意時代 より)


思ったこと

 「人生大逆転」とよく言うが、成し遂げた人はいつの時点で「大逆転」を実感するのだろう?たぶん、小池さん的には、借金完済した時点で「大逆転した」とは言わないだろう。
 ではいつか?完済後、思い出して笑い話にできるようになったときか、あるいは、借金地獄のなか、完済すると決心したときか。今度聞いてみよう(聞いたことあるかもしれないけど…)。

参考文献




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