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【小説】『総合型地域スポーツクラブで会いましょう。』vol.1

中学~野球部時代~

 7回裏。ツーアウト。ランナー2塁・3塁。夏の日差しが強く降り注ぐ土のグラウンドに僕は立っていた。一塁と二塁のちょうど中間あたり。セカンド。それが僕に任されたポジションだった。
「ボール!」
主審の声が響いた。
「ドンマイ!ドンマイ!」僕はピッチャーのトモカズに声を掛ける。さっきから頭が痛い。僕は頭痛持ちで、夏の練習中はしょっちゅう頭が痛くなる。今思えば、軽い熱中症になっていたのだろう。当時の野球部では、水を飲む自由は許されていなかった。監督兼顧問の先生が「よし」と言った時にだけ、水を飲むことが許された。
 とにかく、カウントは1ストライク・2ボールになった。バッティングカウントだ。僕はふと、スコアボードに目をやる。僕達の三鳥七中が先行で、上の段に名前が書いてあり、下段には大和二中と書かれていた。上段の左から2番目の枠に1、下段の4番目に1が書かれている以外は、綺麗にゼロが並んでいた。
 1-1。7回裏。ツーアウト・ランナー2塁・3塁。アウトをとれば延長戦に突入する。点を取られればその瞬間に敗退が決定する。僕はグローブを外し、腿のあたりで左手の汗を拭った。「バッチこーい!」「打たせていこー!」味方から様々な声が掛けられる。相手ベンチからも、「ピッチャー入らないよー!」「打てる打てる!」などと、こちらもまた様々な声が掛けられている。
 トモカズが振りかぶる。ランナーは誰も走らない。渾身のストレートが、真ん中やや高めに行く。バッターが動いた。振る!と思った瞬間、僕は二塁方向に一歩踏み出していた。バットに当たったボールが高く上がった。ピッチャーより後ろ。二塁よりも前。いち早く僕が落下点に入る。取って延長戦だ。僕はグローブを出して、ボールが落ちてくるのを待ち構える。あ、ヤバい!と思った時には、僕はもうどうしようもなくなっていた。グローブを出すのが早すぎる。僕は自らのグローブで視界を塞ぎ、さっきからボールは見えていない。まだボールは落ちてこない。落下点は合っているはずだ。きっと入る。ここに構えていれば、きっと入る。僕はもう動かないでいた。グローブ越しの手の平に、何かが当たった。ボールだ!やった!延長戦だ!
「おい!ショート!」ベンチにいる監督の声が聞こえた。ピッチャーとショートが僕の方は走り寄って来ていた。ボールは僕の右に転がっていた。グローブ越しに僕の手の平に当たったボールは、グローブからこぼれ落ちていた。ショートのニシカワがボールを拾う。
「バックホーム!!!」誰かが叫んだ。ニシカワがボールをキャッチャーのケイタに向かって投げる。三塁ランナーは既にスタートを切っている。頼む!間に合ってくれ!僕は祈った。ニシカワが投げたボールは、やや高かった。でも届かない高さじゃない。ケイタはボールをミットに収めると、滑り込んでくるランナーをブロックにいった。間に合った!良かった!僕はそう思った。
「セーフ!!」主審の声が響いた。喜ぶランナーの後ろに、ボールがポンポンポンと弾んでいた。ケイタはボールをはじいていた。タッチにいったミットの中に、ボールはなかった。1-2のサヨナラ負け。僕のせいだ。僕のせいだ。

 こうして僕たち野球部の、そして僕の中2の夏は終わった。その日、帰宅した僕はユニフォーム姿のまま、バッグを背負ったまま、玄関に座り込んでずっと泣いた。頭痛はもはやなくなっていた。頭痛どころではなかった。僕はとにかく、ずっと泣いていた。嗚咽をもらし、鼻水を垂らし、涙を流した。お母さんが「どうしたの?何があったの」と何度も聞いてくれたが、僕は答えることができなかった。その内、ピンポーンと玄関のチャイムが鳴り、僕はそれをきっかけに靴を脱ぎ、急いで家の中に上がり、自分の部屋に駆け込んだ。それからもずっと、僕はベッドに潜り込んで出ていかなかった。

 まさかあの試合が僕たち野球部の最後の試合になるとは、あの時は誰も思っていなかった。
 あれから数週間は、いつも通りの日々に戻っていた。僕のサヨナラエラーには、誰も触れなかった。その優しさが、嬉しいような、気不味いような、不思議な感覚を僕は持っていた。それでも僕たちは、大好きな野球をこれからも続けていくんだと思っていた。

 ある日。エースで3番バッターだったトモカズが転校していってしまった。突然の転校だった。僕たちは途方に暮れ、まるで引っ張る車輌を失った貨物列車の荷物みたいに、僕たちは“止まってしまった”。エースの転校から間もなく、部員が一人やめ、また一人やめ、そしてどんな巡り合わせか、顧問の先生までもが転職をしていなくなってしまった。その頃の部員は、僕も含めてたったの4人になっていた。しかも僕を除いて、当時補欠だったメンバーばかりで、「もう野球部は終わった」と、誰もが思っていた。そして実際に、野球部はそのまま廃部になった。

 それからの僕は、何もかものやる気を失っていった。それまで続けていた学級委員会は、3学期には辞退した。勉強もやる気にならず、成績は落ちていった。野球部の復活に動いたことはあったが、部員は増えなかったし、顧問もつかなかった。そんな風に腐っていた僕に、手を差し伸べてくれた先生がいた。陸上部の顧問で、体育の先生だった吉村先生だ。
「おい、武田。いつまで腐ってんだ。お前何人か仲間集めてこい。俺が顧問になってやるから」吉村先生はぶっきらぼうに言った。
「仲間集めるって言ったって、一体何をやろうっていうんですか。野球ではもう人は集まりませんよ」と僕が言うと、「野球でダメなら何でもいいよ。とにかく人を集めろよ」と吉村先生は繰り返し言った。「とにかく人を集めるんだ」
 僕はよく分からないままに、とにかく人を集めた。「何かよく分からないんだけどさ、暇なら遊ばない?」そんな誘い方をしていたと思う。それで、よくもまぁ6人も集まったと思う。6人も、集まったのだ。と言っても、4人は最後まで野球部に残った4人で、新たに集まった2人は、僕もなんで集まってくれたのか分からない。たぶんよほど暇だったのだろう。とにかく、僕は吉村先生に言われた通りに人を集めた。
「おー!本当に集めたか!」と吉村先生は言った。
「何ですか、それ。先生が人を集めろって言ったんじゃないですか」と僕は言った。
「そりゃな、お前。暇そうだったからな。お前があまりにも」
 僕は何も言い返せなかった。代わりに、「それで、どうしたらいいですか?」と聞いた。
「どうしたらいいって?」
「いや、だから、言うとおりに人を集めたんだから、次はどうしたらいいですかってことですよ」
「そんなもんお前、集まったみんなに聞いてみろよ。俺は知らねーよ」吉村先生は言った。
 体育教官室を出た僕は、グラウンドの片隅に集まっている他の5人のところへ戻っていった。離れたところからこの集団を見ると、本当に地味な人間しかいないなと思った。5人で小さな輪を作って、靴でグラウンドをグリグリしている。なんて暗いんだ。
「あのさ、みんな」と僕は声をかける。
「あ、どうだった?」と、僕と一緒に最後まで野球部に残っていたオオイワが言った。
「みんなはさ、何かしたいことある?」僕はオオイワを無視して言った。
「したいこと?」5人は顔を見合わせ、次にグラウンドを見渡した。グラウンドでは、サッカー部と陸上部が練習をしている。どちらにも、元野球部の同級生たちがいた。こうやって見ていても、元野球部の運動能力は高かった。もともと運動神経のいい奴らが集まった野球部だったんだ。勿体ない。そう思うが、サッカーと陸上で十分に活躍しそうな彼らを見ていると、一体何が勿体ないのか分からなくなる。
「ちょっとさ、寒くない?」オオイワが言った。確かに寒い。それもそのはずだ。季節はすっかり冬で、今は少しではあるが風も吹いている。男6人が輪になったところで、何も暖かくはない。「ちょっと動かない?」
 オオイワのその言葉に、他の5人は顔を見合わせた。誰も何も言わない。でも、何故か分からないけど、みんなそのオオイワの言葉を待っていたような気がする。そして誰も何も言わないまま、再び6人がグラウンドを見渡してキョロキョロする。僕も探す。動ける場所はどこだ。グラウンドの隅っこの長い直線部分は、陸上部が使っている。中央部分は大きくサッカー部が使っていて、隅っこしか空いていない。いや、あった。テニスコート。うちの中学校にテニス部はない。でもなぜか、テニスコートがあった。かつてはテニス部があったのだろう。今ではすっかり使われなくなったテニスコート。ネットも張られていない。気が付けば6人全員の視線がテニスコートに向いていた。再び6人の顔が輪の中心に向くと、次の瞬間には全員が走り出していた。テニスコート!


総合型地域スポーツのマネジメントを仕事としています。定期購読マガジンでは、総合型地域スポーツのマネジメントに関して突っ込んだ内容を毎日配信しています。ぜひご覧ください!https://note.com/kenta_manager/m/mf43d909efdb5