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【日誌】J2第41節SC相模原vs松本山雅FC+J3降格

これ以上、J2残留に向けて後が無い状況で迎えた2021年11月28日。
振り返れば数カ月前から口では「残留」と言いながらも、「降格」を意識して後ろ向きだけど前向き、前向きだけど後ろ向きというよく分からない感覚でいる自分に人間の表裏の部分を強く感じました。
負ければ即降格決定の中で勝利以外求められない極めてシンプルな裏天王山の一戦に挑むことになりました。

オリンピック中断明けの秋田戦振りにルカオが戦線復帰。前節アシストを記録した安東もスタメン。何かいけるんじゃないかという陣容のスターティングメンバーとなりました。

相模原の方も絶賛注目若手株の松橋、成岡。そして、ベテランの藤本がスターティングメンバーに帰ってきて、相模原としても負けられない一戦ということがビシビシ伝わってくる陣容。
13:00KO
前半は開始早々、セルジーニョのクロスにルカオがトラップからオーバーヘッドで決定機を演出しますが枠外。
その後もセットプレーを中心にチャンスを作り出しますが決められず前半をスコアレスで折り返します。
後半は、47′にセルジーニョのFK、67′にはセルジーニョからの縦パスをバイタルエリアで受けたルカオが反転しシュートまで持って行きますが相手GKの好セーブで得点はならず。その後は、榎本、田中P、阪野など攻撃的なカードを切り、前への意識を強めます。
両者得点が決まらない中で、89′に相模原に与えたFKでファーからの折り返しを合わせられ失点。相模原は前節に続き、終了間際に劇的な展開を迎えます。
そのまま試合終了かと思われましたが、95′左サイドで得たFKをセルジーニョがニアに速い球を差し込み。これが相手のOGを誘い同点に。しかし、逆転までには至らず1-1で試合終了。

降格については、15:00KOのツエーゲン金沢vsモンテディオ山形の結果待ちに。思い届かず金沢が後半ATに男・瀬沼が追加点を決めて2-1で金沢が勝利。
この結果を持って最終節を待たず松本山雅FCのJ3降格が決定しました。

試合後の名波監督の会見では

クラブ、フロント、選手たちに責任は一切ないと思います。自分がやったゲーム数やトレーニングに携わった時間は関係なく、チームの現場の長として責任を強く感じます。もう少しああいうふうにあのタイミングでできたとか、ああいう感じのまま続けたほうがよかったかなとか、そういう後悔は小さいかもしれないですがたくさんあります。それが最終的に大きな結果に繋がったのは事実だと思います。
自分のサッカー仲間と話すときに必ず言うのは、サッカーを教えすぎたというところです。勝ち点だけに特化するのではなく、サッカーに特化した教えが多すぎましたが、そうではない戦術で勝ち点を積み上げるチームもいました。もう少し数字を追い求めながらやらなければいけない時期があったと思います。最後の5、6試合になると3ポイントへの執着心を持ってやらなければいけないというところに特化しすぎて、それでもしっかりとサッカーをやってほしいという中でトレーニングメニューも含めて構築していましたし、メンタリティもそういうふうに持っていきました。そこがうまくいかなかったというよりも、ゲームにハマらなかったと感じます。皆さんも見ていてこのゲームのこの時間帯、このゲームの全体と、内容が伴っているゲームというのはパッと思い浮かべてもあると思います。例えば町田戦の終盤20分や、山口戦のトータル、甲府戦の追いついた前など。ああいうシーンを思い起こすと、やってきたことにも価値があるのではないかと思いますが、結果的に数字には繋がっていないというのは、きょうのゲームも然りかもしれません。

プロの監督であれば結果が求められ、数字を残せなかったら去らなければいけないのが宿命。勝ち点を積むのが上手く、適材適所な人材を集め、戦略・戦術を持った監督が重宝されますが、一部では選手を駒と考え、自分の名声を高めるためだけの監督います。名波監督の会見からも分かるように、プロサッカー選手であっても勝ち点に拘り過ぎず、楽しみながらサッカーをやって欲しいということが伝わってきます。自身が恐らくサッカーが面白い時期、辛い時期の両方を経験し、後者において同じ目には合わせたくない。そこで非情になり、ゴール前にバスを置いて勝ち点を拾うサッカーも名波監督自身の頭には少なからずあっただろうが、傾倒しなかったことに全てが集約されている気がします。そこが多くの選手から慕われる名波浩という男の良さでもあり、勝負事や土壇場に弱いことにも繋がる。未熟が故、成長できる余地を残している。僕は、そんな名波浩監督と互いに未熟ながら共に成長する課程を歩んでいきたいと思っています。火中の栗ところか、大火事の家の中から人間を助け出すくらいの難易度のクラブの監督に就いてくれたことには感謝しかないし、このまま不幸な別れ方はしたくない。もし名波浩さんが描くキャリアに反していなければ来年も一緒に戦い、男性から漢に変えてあげたいと感じていたりしています。

J3降格

「やっと死ぬことができた」
そんな想いでいるのが実際です。ここ数カ月、左胸に刺さっているナイフに気付きながらも下を見ないようにして過ごしてきました。常に痛みと「いつ死ぬのか」という恐怖と戦いながら今日を迎え、金沢勝利の知らせを聞いた時に深く刺さりました。もちろん降格はショッキングな出来事ではあるけど重圧から解放され、全身の力が抜け落ちるようでした。
クラブ史にとっては降格は大きな出来事であるけど、これまでの2回含め何処かあっさりと時間が流れていくものなんだと感じました。最初の降格はもちろん悲しかったし、現地で観戦していて試合終了後挨拶の飯田や村山の姿に涙をした。ゴール裏の締めが終わり、周りを見渡せば「駄目だったねぇ~」と笑い合っている人が多い。別にヒステリックになれという訳ではないが、それなりに挑戦してきた分だけ夢破れた時に挑戦しなかったことへの後悔が頭を過る。その温度差に少しイラっときつつも、世間的な降格への位置づけってそんなものなのだと感じる瞬間でもありました。
今回も現地観戦は出来なかったがTwitterでは様々な意見が飛び交っているのを見て、僕の知っていた山雅は古いのか。変わってしまったのか。はたまた最初から知っていたのは化粧されたものだったのかと。応援する人口が増え、その数だけ山雅に対する接し方があり、どれが正解で、間違いというのは存在しない。それでも数年前までは「山雅を応援するってこうだよね」というぶれない軸があった気がします。ぶれない軸というのは僕が綺麗な世界を見過ぎていただけかもしれないけど、圧倒的な行動で他を黙らせることができる人が引っ張ってくれていました。その方はクラブに対して何処までも「当事者意識」という軸がある人。自分から見たら、行き過ぎじゃない?という所までズカズカ行くし、いつ寝てるんだろう?と思うくらいタフな人間。それに影響されてか、クラブ全体に巨大なうねりが生まれて一時期言われていた山雅サポーターの長所でもある「当事者意識」が伝播していきました。それが、日本一気持のいいスタジアム大作戦、緑化計画、Vamosに繋がっているのだと思います。
サポーターというのはチケットやユニフォームを買い、スタジアムに行って応援することでクラブに対して「GIVE」をするというのが常識です。しかし、僕らの様な片田舎クラブが常識の範囲内の活動をしていて他と差を付けられると思う方が間違っていると思います。確かに他のJ2クラブと比べて入場者数は多くて、コロナ禍にも関わらずそこそこの収入を得られていたかもしれない。それ故、クラブとしても慢心してしまうし、僕らがネットや問い合わせフォームから意見を言おうと多勢の意見に飲み込まれてしまう。だから、人より尽くすことで意見を聞いてもらえるように相手の態勢をすることが大事。それが先ほどにも書いたような、日本一気持ちのいいスタジアム大作戦や緑化計画です。山雅スタッフとしても有志で来てくれた人の意見は無下にできないし、リアルな場だから向き合うしかない。こちらが意見を言うこともできれば、山雅スタッフの意見も聞くことができて双方のやり取りができる。ちょっと前に「行動が」と書いたことはここだったりします。
そういった活動の中で、サポーターとクラブというJリーグ的な関係性ではなく、利害を共に解決していける本当の意味でのパートナーになれるのだと思います。ここが今の山雅の中で圧倒的に欠けてしまった部分だと感じています。

地域の頃が第1期、JFLが第2期、12~15年が第3期、16年~19年までが第4期、そしてここ2年が第5期。
こうやって振り返ると第5期は中身があるようでない様な、不思議な手触りのものだなと感じています。コロナ禍も相まって行動制限がある中であらゆる事を考える時間は多かったけど結実したものは少ない。今日の降格が決まって、今までnoteやTwitterで色々書いているけど本質的なことはおろか、罵詈雑言や綺麗ごとですら浮かばなくて、こんなに言葉が出てこないものなのかと自分のホモサピエンスとしての浅さに絶望し、考えているようで考えていなかったのだと思い知らされました。
一度、B側に行こうとすれば

虚無感の中、来年以降、何を目指していくのか、何を目指せばいいのかと考えている内に1つ答えに辿り着きました。

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上のグラフは「経済合理性限界曲線」という「ビジネスの未来/山口周」に書かれているものです。結果から先に言うと、僕らはCの方向を目指していこうということです。
縦軸は問題の難易度、横軸は市場の需要です。
縦軸の上の方にいけばいくほど問題の難易度は高く、横軸は右に行けば行くほど需要が多いというものです。
Aというのは問題の難易度が低いけど、需要はあるという状態。所謂、薄利多売を行っている中国の家電メーカーとなどで圧倒的な資金力で市場を開拓していきます。
Bは問題の難易度が高く、需要も高いという状態。富裕層のお客様を満足させ切れて、尚且つ大衆からも憧れの的となる存在のものでフェラーリやルイ・ヴィトンなどが当てはまります。
Cは問題の難易度が高く、需要も少ない。難病の研究などが当てはまり、全体の数は少ないし、需要の少なさ故に資金が集まりにくい市場です。
Dは問題の難易度が低く、需要も少ないという状態。素人が作るキーホルダーや本などが当てはまります。
そこに曲線が通っていて経済合理性限界曲線と言い、これより内側(A側)の問題でなければ市場は解決できないと言われています。多くの企業がAからスタートし、BかDに進むことになります。その理由がBに進めば、問題の難易度が高くので研究費や開発費が掛かり、投資コストを回収できるか怪しい。Dに進めば、市場は広大になりすぎて投資を回収できない。
多くの企業が手つかずにするのがCです。ここには投資コスト云々でなく、挑戦するにはパッションしかありません。現在スーパーコンピューターやスマートフォンのOSで高いシェアを持つLinuxというものがあります。これはヘルシンキ大学の学生が作り始めたプログラムですが、途中まで作ったものの知的財産権を放棄し、プログラムを全世界に向けて公開。「誰が、どのように改定しても構わない」と宣言します。これに延べ何万人という世界中のプログラマーが参加し、非常に高い精度を持つOSとして信頼を得られるまでになりました。これらの作業は有料で行われた訳ではなくて全てのプログラマーが無料で「時間」と「知識」を贈与しました。

つまり、株式会社松本山雅の経済合理性限界曲線の内側の面積なんて極々狭いものでしかなくて。そこに僕らサポーターが如何に「時間」と「知識」の贈与を行えるかが、山雅が特異なクラブへと変貌させるヒントになります。こんな事を言うと「労働力の搾取だ~」とか言われがちですが、それくらいドメスティックにやらないと変化なんか起きません。
このオフシーズンはクラブがCの方向に歩めるように、自分は何ができるか考えるオフシーズンにしてきたい所存です。

その前に、降格は決定してしまったけど2021シーズン J2最終節の長崎戦は思いっきりやってやりましょう!


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