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深く根をはり、雑草でもいいから凛とあれ

J3降格をどんなチャンスと捉えるか考える日々の中で、周りからは「山雅も終わりだね」と言われ、世間一般の認識なんてそんな感じで「再興することに価値がある」と思い込んでいる自分は一般では無くなっているのかと感じています。
コロナ禍で生まれたものは多くあると思います。
長らく続くクラブ危機の荒波を皆でスタジアムに行く事で凌いだり、クラウドファンディングやNFTで金銭的援助を行ったり。こんな中でもスタジアムに通い続けてくれた人がいるからこそ今の山雅があると思っています。
「利」が生まれれば、「害」も生まれる。
この世の中が上手く回っているのは何処かで損失が生まれているから誰かが幸せになれる。1杯のコーヒーを買うにしたって、地球の裏側では誰かの時間を犠牲にすることで成り立っている。それをお金という共通価値で解決しているだけである。ピッチ内にしろ、スタンドにしろ、今の山雅が山雅でいられるのも、過去の財産を食いつぶしているからだと思っています。ピッチ内の問題は僕らは到底解決できるものでありません。世論を作り、糾弾していくことはできますが最後は経営陣の判断に過ぎない。僕らスタンドにいる人間が直接変えられるのはスタンドで起きる問題だけです。
最近感じているのはスタンドにいる人間が各自心地の良いサークルを見つけ、そのサークルを内側に圧縮していくことが多いように思えます。強固な関係性を作るのは悪くないですが、アフターコロナでその害を被るのは新規参入してくる見込み客の方々。実際にアフターコロナで何が起きるのかといえば、僕らの声出し応援というエンターテインメントだけではなく音楽ライブ、ミュージカル、観光など世界的規模を持つプロエンターテインメント集団による消費者の可処分時間の奪い合いです。つまり、僕らはアフターコロナでKing Gnuのライブ、劇団四季、ディズニーランドのビッグサンダーマウンテンと同じ土俵で真っ向勝負で戦わなければいけません。長いコロナ禍でダメージを喰ったお財布事情で可処分所得は減りつつあるのでその戦争はかなり過酷なものだと思います。だからこそ、内なる結びつきも大事だけど如何に熱を外に発散していくのかという事にシフトしていかないと、降格も相まってガランとしたスタンドが映える空間になるという訳です。ハッキリ言って、サッカーを好きでもない方に90分座ってピッチを見続けさせるのは苦痛でしかない。それより1800円を持って映画館に行き、ド派手なアメリカ映画を観た方がクオリティーオブライフは高い。女子でいえば日焼けせずに済むし。僕らサポーターが思っている以上に、観客離れが進むのがアフターコロナだと個人的に思っています。

では、「僕らサポーターはどうしていくべきか」というのがタイトルであり、これにてタイトル回収完了です。
僕らサポーターひとりひとりは、タンポポの様な雑草です。タンポポといえば庭に生えてくると根っこが深くはり、草取りの意欲を大いに萎えさせる存在です。そして、時が経てば綿毛を拡散し、来年には庭のそこら中からタンポポが映えるという厄介者でもあります。月並みな表現ですが、サポーターたるものタンポポであれと思っています。
どういう事かといえば、初めて観戦する人にとって映画と違ってただ見させておくのは退屈極まりないものです。サッカーを良く知るジェフユナイテッド千葉の長老サポーターでさえ、最近の千葉の試合を見て居眠りしている人がいると株式会社SNSコーチ取締役いぬゆなさんが呟いていました。

それ位、サッカーという競技は時に性行為以上の熱狂を生み、時にチケット代なんかどうでもいい位眠くなるものです。だからこそ、初めて観に来る人を飽きさせない知識がサポーターには必要になってくるという訳です。知識というのは何も戦術的であれという訳ではありません。戦術的であったらそれはそれで面白いけど。例えば、米原秀亮というサッカー選手がピッチにいたとします。女子にとってはイケメンだし、スタイルがいいし一番取っつきやすい選手だと思います。しかしながら、ピッチ上でミスが目立ったり、イマイチこれが良いというプレーを中々見せてはくれません。女子からしたらちょっと幻滅ポイントになってしまいます。なので「米原って選手はイケメンでクールそうだけど、山雅の前に所属していたロアッソ熊本時代には顔面にボールを受けてフラフラになりながらでもプレーを続けようとした意外と熱い男なんだよ。その才能開花待ち!」と情報を差し込めば女子の中で米原に対する評価は爆上り間違いなしです。というように戦術的ではないにしても、そういったエピソードを持てるかが初観戦者を楽しませるポイントになります。
じゃあエピソードをどうやって仕入れていくかといえばネットで検索するのが手っ取り早いですが、何だかんだ学生、ユース、地域、JFL、カテゴリ、国関係なく試合を見ることが大切になってくるのではと最近感じています。しかしながら週末に1試合見た所でエピソードを増やすことは出来なくて、試合を見る事の積み重ねしかありません。その中で僕は最近、クリアソン新宿 井筒陸也さんという思考の変態に出くわしぞっこんです。いつか見た試合がまわり回って目の前の試合で帰結するというのがサッカーでは往々にしてあるので幅広くサッカーを見ることがサポーターという応援者だけではなく、広報・営業の部分も成長させると思います。それがタンポポでいう根の部分であり、深ければ深いほど多くの見込み客を支えられるものになります。
そして、タンポポの花の部分は何かといえば社会からどう見られるかの部分。現代であれば社会的地位やSNSなどです。花の部分は一番目に付きやすく、それが綺麗か否かで花屋さんで買われるか買われないかが決まります。また、10分咲きの花はとても綺麗ですが買っても長持ちしないから8分咲きのものを選ぼうみたいな選択肢も入ってきます。つまり、花の部分を出来るだけ多くの人にどうやって見てもらうか、地域性に合わせた花の咲き方をsておく必要があります。
どれだけ多くの人に見てもらうかで言えば、SNSと口コミが最善なのは周知の事実です。例えば、Jリーグらしい熱いゴール裏であっても排他的、初心者は入ってくるなという雰囲気を醸し出すのなら二度目はない。逆にロック総統が行った居酒屋ムサリク、西ヶ丘ビアガーデンの様にエンターテインメント性やもてなされている感があれば二度とは言わず、ハードなリピーターになってくれる。というかファンになる。

ゴール裏はあくまで応援する場所だけど、ゴール裏×居酒屋、ゴール裏=脚力のトレーニング場みたない意味と意味との掛け合わせや意味変換がなければ、見込み客からしたらスタジアムを綺麗な花とは思ってもらえません。逆にそれが綺麗な花と思わせられることが出来ればSNSで拡散され、多くの人の目に触れる機会に繋がります。
そして地域性や人間性の部分になってくるのですが作られる過程が好きな人もいれば、完成品をこよなく愛する人もいる。12年~14年における山雅の面白さの醍醐味はクラブに関わる人間全員で未完成なものを作れることでした。今では完成品をより良くしていくような成熟期に突入していて、ここに古参と新参のギャップが生まれているのだと思います。食材・場所の調達を自分たちでするBBQ型か、提供される料理を楽しむレストラン型かみたいな違いとも言えます。どちらもメリット・デメリットがあって、地域や応援する人間がどう受け入れ入るかです。(因みに僕は実際のBBQは嫌いだけど、事業や企画を作っていくのは好きで仕事上だとBBQ型です)
BBQ型をするのなら花が咲く過程を楽しむ八分咲きが好きな人に受ける。レストラン型をするのなら満開が好きな人に受ける。時代はモノ消費からコト消費に流れているのだから、BBQ型に再度していく方が未来が明るいんじゃないかと思います。

そうった取り組みが口コミという綿毛となり地域に伝播。そこかしこで山雅というたんぽぽの花が咲く。
何かサポーターって面倒くさい生業だけど、面倒くさいから面白いのがサポーターです。
まずは、自分のたんぽぽを咲かすことから始めていきましょう。

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