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マキシマルシューズの台頭による表現の拡大

 2020年1月、ワールドアスレティックス (世界陸連)が、使用シューズについての規定を発表した。

・複数のプレートを靴底に内蔵してはならない。
・靴底の厚さは40mmまで。
・レースの4カ月前から一般購入できること(医学的理由などでカスタマイズされたものは許可される)
以上3点を、4月30日以降に適用。

 ことの発端は2017年NIKEが発表したイタリア・モンツァで行われたフルマラソン2時間切りプロジェクト“Breaking2”に遡る。(実際の記録は2:00:25で達成ならず)このプロジェクトで開発されたシューズとほぼ同等の製品が一般販売されることにより、NIKE以外のブランドと契約しているエリートランナーのレースでの着用増加、これにによる表彰台の事実上独占、さらに規制の動きに拍車をかけたのが2019年10月オーストリア・ウィーンで行われたineos159(Breaking2での反省を踏まえアップデートされた2時間切りプロジェクト。今回も非公認であるがEliud Kipchoge が1:59:40を達成)での使用シューズ、アルファフライだ。さらに厚みを増し前足部にズームエアユニットを搭載した斬新なビジュアルと、スペックを米国特許商標庁がネットにあげたことにより判明した斬新なカーボンプレート3枚使いと、その配置。「いよいよ世界陸連がこれを規制する動きがある。」英国のメディア数誌が先行してこう報じたのだ。結果として、世界陸連が設けた規定内にアルファフライは収まる形に落ち着いた為、公式での使用が認められたのだ。この一連の動きによりランニング業界内やランナー界隈のみの認知であった、いわゆる厚底シューズ(以後マキシマルシューズ)の認知度が世間一般にも広まるきっかけとなった。

 これまでレーシングシューズに求める要素が「エネルギーロスを抑えるため、効率良く推進力を得る反発力を得るためにより、薄く」あろうとしたことに対し、マキシマルシューズを構成する要素は「柔らかさと反発力が両立したクッション、走り続けるための快適さを備えた解剖学的設計、それらを高いレベルで実現し、なおかつ軽い新素材の積極的活用により、厚く」に移っていったのである。(事実、ヴェイパーフライは航空宇宙産業より取り寄せているクッション材が機能していることにより、カーボンプレートの機能を最大限高めている。今後は解剖学だけに留まらず、他分野で培った素材、設計方法が組み合わさったハイブリッドなシューズがスタンダードとなっていくだろう。)

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ナイキ ズームX ヴェイパーフライ ネクスト% ヒール37mm(NIKE.COMより)2019年7月発売

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ナイキ エア ズーム アルファフライ ネクスト% ヒール39.5mm(NIKE.COMより)2020年4月発売予定

 マキシマルシューズへの移行は速さを求めるレーシングシューズに留まらない。柔らかく推進力もあり快適なことは、全てのランニングシューズに求められる要素だ。NIKEがBreaking2達成のためにマキシマルへ向かったように、一昼夜山道を走り続けるウルトラトレイルの世界においてもマキシマル化は進行していた。トレイルランニング界においてマキシマルの代名詞といえるHOKA one one Mafateの登場だ。しかもNIKEが一連のプロジェクトを2013年にスタートさせマキシマルへ舵きり2017年に製品化させたのに対し、2010年に既に製品化を迎えており、日本山岳耐久レースという世界を視野に入れたランナーの登竜門的なレースでMafateを履いた契約ランナーのLudovic Pommerは、なんと初見で優勝をしてしまったことにより、一時期は見た事も聞いたことも無いブランドとそのシューズの話題で持ちきりとなった。

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HOKA one one Mafate
(DogsorCaravan.comより)2010年発売

**根本的な変化は、しばしば単純な問題を解決しようとするときに起こります。私たちの当初の目標は、下り坂を早く走れるシューズを開発することによって、エンデュランスレースでのタイムを向上させることでした。その過程の中で、私たちは全く新しいランニングシューズのコンセプトを思いついたのです。
私たちの新しいシューズは、上り坂でのパフォーマンスも向上させました。私たちは試行錯誤しながら、過酷な条件下で100マイルを走破するアスリートに役立つシューズを新たに開発することは、すべてのランナーのパフォーマンスを向上させると気付いたのです。
夜はトレイルランナーでも、私たちの日中の仕事は重力と向き合うスポーツの中にありました。私たちはスノースポーツやサイクリングにおいて、いくつかのイノベーション(例えば、カービングスキーなど)を手にしました。毎日、私たちは「どうすればもっと速くなれるのか?」と自問自答しました。「形状は機能に従う」という。概念をトレイルランニングシューズのデザインに取り入れた時も、私たちは同じ質問をしました。私たちはその質問の答えとなるシューズを開発しましたが、それは最初、ランニング業界では嘲笑されてしまいました。しかしこのシューズはランナーによって支持され、受け入れられたのです。それらのランナーはレースに勝つようになり、やがてランニングシューズのバイヤーから注目されるようになりました。
私たちのデザインにおける信念は、サーフィンやスキー、サイクリングの製品を開発した時と同じように、このランニングシューズにも注ぎ込まれています。私たちが開発する全てのシューズには、オリジナルシューズに注ぎ込まれたHOKA ONE ONE たる所以のユニークな特徴が組み込まれています。
HOKA ONE ONE 共同創業者
Jean-Luc Diard & Nicolas Mermoud **

 これはHOKA ONE ONE(以後ホカ)の開発エピソードだが、デザインの現場において常に付き纏う「形状は機能に従う」という概念をシューズに持ち込むことで、つま先と踵を滑らかに削ぎ落としロッカー形状(元々はスキー板の形状の一種。先端と後端を反り上げ接地面をセンター寄りにすることで、操作性を向上させることが目的。)にすることで、トレイルランニングのレースや面白さにおいて重要な下りの安定感の指標である足の回転数を促すデザインを産み出した。この考え方は当時としては非常に画期的であった。当時のトレイルランニング業界といえば、各シューズブランドがベアフットシューズ※ への応答を要求される風潮に流されていたからだ。

※(裸足感覚を再現するシューズ。通常のランニングシューズと比較してクッションが薄く、特に前足部と踵の前後差を減らし低重心にすることで足裏感覚を向上し路面情報を得ることが目的。)

 ベアフットシューズは、その出自からテクノロジー批判を象徴するアイテムであった。つまり、言い分はこうだ。「これまでのランニングシューズに搭載された怪我を抑制するための機能というのは、現実に怪我の発生件数を抑えていないじゃないか。いや、むしろ路面情報を遮断することで、怪我を増やす可能性すらあるんじゃないのか? ならば、足そのものを強化し、足の機能自体を発揮出来るシューズこそ望ましい。」
 もちろんこの考えに対して、そのまま賛同するシューズブランドは多くはなかったが、数多のバリエーションの一つとしてラインナップに加えることで、「テクノロジーとの距離感にバランスを取って付き合うことも大事ですね。」というメッセージをラインナップに忍ばせることで、半ば受け入れる形をとるブランドが多く、明確な応答がされない状況があった。
 なぜなら、事実としてシューズテクノロジーの進歩と怪我の発生件数の減少は比例しない。「その進化の方向は本当に正しいのか?」という批判力をベアフットシューズが持っていたことは認めても良いと思う。

 では、この批判を受けての新たな進化の方向性とは何か?
 それこそホカのテクノロジーの一つ、メタロッカーテクノロジーだ。

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                (公式HPより)
 つまり、ホカの返答はこうだ。
「厚い、薄いは問題ではない。自然な体重移動こそが重要なのだ。だが、厚みはロッカー形状を形成するうえで有効であると。」

 このメッセージは非常に強力で、これまでシューズデザイナー達が「形状は機能に従う」という言葉に準じてデザインをしてきたとすると、彼らはシューズを「第二の足」もしくは「足」そのものをデザインすることに想像力を注いで来たの対し、ホカの達成は「体重移動」もしくは「走りにおいての本質な問題設定」をデザインし、ランニング業界を新たなゲームへ進めたと言える。

 テクノロジー面において新たな境地を開いたホカであるが、残念ながらMafateがその表層のデザインからは流れるようなランニングフォームをイメージさせることが難しかったことが開発エピソードから伺える。しかし、2019年5月。ホカのこれまでの集大成として開発されたCARBON Xによりマキシマルシューズは次の段階へと引き上げられるのである。

 2019年5月 "Project Carbon X"というカリフォルニア州フォルサムにて行われた100kmマラソンの世界記録更新を狙ったプロジェクトにおいて、Jim Walmsleyが50マイル(80km)の世界記録を更新。その後、失速し惜しくも100kmの記録更新は達成には至らなかった。

 このプロジェクトは同じくカーボンプレート搭載シューズのプロモーションとして行わた“Breaking2”に対してのホカなりのアンサーとして、より長時間のパフォーマンスを証明する舞台として用意されたことは明確であるが、CARBON X の達成は別にあると私は考える。ブランド創立から10年。ようやくマキシマルシューズだからこその表層のデザインが前面に出てきたのである。これまではマキシマルシューズ特有の「厚み」が重たさをイメージさせないようにさせるため、流線型のデザインを採用することで横方向への意識、つまり前方への推進力を連想させるデザインが主流であった。

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HOKA one one Clifton4 ヒール29mm
(公式HPより)2017年発売

 横方向に意識を逃すことで、厚み=高さの「ネガティブ」な印象を打ち消そうとする意図が考えられなくもない。
 しかし、それは本当に機能とデザインが一体となりランナーがパフォーマンスをイメージ出来るデザインと言えるのだろうか? これまで語ってきたストーリーを知らないランナーが無意識に手に取るデザインとして成り立つだろうか?
 その答えを得る為に、"形態は機能に従う"を説いた19世記の建築家ルイス・サリヴァンのエピソードを用いようと思う。
 
 サリヴァンは高層ビルのデザインの基礎を築いたことで有名だが、合理的な機能とデザインの一体となった表現として"垂直性"を建築に反映させたと言われている。その最も顕著な建築はニューヨークにあるギャランティビルと言われている。

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ギャランティビル(Wikipediaより)

**道路に面する低層部に大きなエントランスを設け、中層部からは基準階を文節なく連続させる合理性を獲得した。一方でサリヴァンは、代表作であるギャランティ・ビル(1895)をはじめ、積極的に装飾を取り入れている。五十嵐太郎『おかしな建築の歴史』 **
**ギャランティでは、薄く鋭いコーニスへとトランペット状になっており、柱列は、コーニスへと伸び上がって溶けていくようにも、下から引っ張られているようにも見える、両義的な意匠となっており、下降性と上昇性が同一部材に同時に表現されている。
椎橋 武史, 小林 克弘 ルイス・サリヴァンの建築造形に見られる「動的平衡」 : その1 立面構成手法と装飾モチーフによる垂直性  **

では、CARBON Xを見て貰いたい。画像だと先程のClifton4よりスリムに見えるだろうか?
だが、踵は6mm高い。

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HOKA one one CARBON Xヒール35mm
(RunningWarehouseより)2019年5月発売

これはソールの厚みとつま先の反り返り具合、足を覆うアッパーのステッチや配色により縦方向へと視点が誘導されてると考えられる。ここでデザインとして重要な役割を果たしているステッチには見た目の意匠だけに終わらず、ヒールとアイレット(靴紐を通す穴の鳩目)を繋ぐ補強とすることで、ハイスピードな局面での使用を考えた機能※としての役目を果たしている。というのも、CARBON Xはこの厚みでありながら硬質なヒールカウンターを省いているので、ステッチはその役割も果たしている。
 このステッチのオレンジとブルーのアイレットが重なる部分こそ、ギャンランティビルにおけるコーニスであると私は考える。まず、ヒール周りに施された装飾的なステッチは、35mmという踵の高さを強調しながら硬質パーツを省くというギャップが、このシューズの本質の一片を表している。そして、アイレットへと伸びるステッチにはランニングにおける上昇のイメージ、すなわちCARBON Xが促す路面からの強力な反発によるリバウンドをイメージさせる。というのも、CARBON Xはその名の通りカーボンプレートがアイレットの真直下にあたる中足部でX状に交差する仕様になっており、このプレートが荷重でしなり元の形状に戻ろうとすることで反発性と直進性を得る設計なのだ。

※(現在のあらゆるスポーツシューズの開発背景として、筋肉がしっかり動くことことが重要であるという考えがある。たとえ怪我の抑制を考えた補強であっても身体と外部環境の情報を遮断させるような機能は怪我の根本的な回避に繋がらず、むしろ感知を送らせて慢性化を招くという実例に基づいている。重要なのは、情報を感知し筋肉がしっかり動くことであり、それを促進するテクノロジーや設計は盛り込むべきと考える。)

ホカはトレイルランニングにおける下りの回転数の向上と、ロードランにおける安定した体重移動という問題解決を、メタロッカーテクノロジーによる一つの解によって導き出した。そしてカーボンプレート搭載モデルが全盛となったマラソン事情に対して、カーボンプレートを受け入れながら、より厚くなることで機能を高め、ブランドのアイコンを強調させていった。

そして、2020年3月。ホカはトレイルランニングに新たな衝撃を持ち込んできた。

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HOKA one one TenNine
(RunningWarehouseより)2020年3月発売

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                (公式HPより)

 踵が膨張? いや、まるで地面に溶けてへばりついてるようなデザインのように見える。
なぜなら、このTenNineは"飛ぶように山を駆け下る革新的なトレイルランニングギア"というMafateのコンセプトをより先鋭化させた、まさにコンセプトモデルと言えるギアなのだ。
なぜギアを強調するのか? それは以下のとおり。

【ご注意事項】
※ホカ オネオネ™は、本製品をランニング専用のギアとして設計しました。これらはスキーブーツやサイクリングシューズ と同じような物と考えてください。ランニング以外に本製品を使用すると、バランスや機敏さが損なわれる場合がございます。そのため、階段や運転中にこれらを使用しないでください。
(公式HP)

 機能への期待の裏返しと捉えれば、
なんとも、魅力的な注意事項である。

 路面からの反発が得られ易いロードランではCARBON Xのような"上昇"へのイメージが用いられたのに対し、多様な路面への対応が求められるトレイルランニングにおいては、未だダメージが大きい下りの快適性は追求されるべき問題であり、そこへの一つ解として圧倒的な接地面の拡大を用いたと思われる。写真からも解る通り、"SEA TO SUMMIT"ならぬ"SUMMIT TO SEA"をイメージさせるカラーリングは、山から安全に下山して人里へ戻る、ポジティブな"下降"を想定している。100マイルレースの下りセクションのタイム短縮の為に生まれたシューズが、トレイルランニング人口の裾野を広げる為の、安心をもたらすギアへと一つの進化の道を提示したと言えるだろう。

それでは、最後にHOKA one oneを象徴する動画を
ご覧頂きたい。(日本語字幕が可能)


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