見出し画像

僕たちは、走ることで繋がりなおす

2020年の東京オリンピックは中止となった。

これまでのように一定の空間に人を集めるイベントは開催が難しくなった。
これまで通りのやり方は通用しないのだ。
だからこそ、こう考えるべきだと思う。
一度立ち止まり考える時間を、ウイルスが与えてくれたのだと。

そんなことを考えていた時に、あるニュースが流れた。日常的にランニングの走行記録(アクティビティ)を共有するアプリ『Strava』。
このStravaが、バーチャル・マラソン・イベント『World Wide Team Relay』を世界同時開催することを知ったのだ。

まずはStravaの説明をしよう。GPSデータを使用してランニング、サイクリング、水泳などのアクティビティの記録(ログ)を取るためのSNSだ。
Stravaは『アスリートのためのSNS』と言われている。日本ではアスリートという言葉を使うと、常日頃から適正な運動量とタンパク質の摂取量を天秤に掛けているような人物を想像するかもしれないが、海外では、ランニングやサイクリングがカジュアルなレクリエーションの一部と考えらている国が多く、より広義の意味を持つ。
前CEOのJames Quarlesはアスリートを”anyone who sweats”(汗をかく人)と定義していたことからもその傾向は伺えるだろう。
利用者の推移は、毎月100万人以上の新規ユーザーが加入し、現在は世界中で4400万人以上が利用している。毎週1900万件のアクティビティが投稿され、これまでの累計投稿数は30億以上に及ぶ。

一方で、Stravaは世界で最も利用されているフィットネスアプリでは無い。
アシックスが有するRun Keeeperには5000万人のユーザーが、アディダスが有するRuntasticには1億4700万人以上のユーザーがいると言われている。
アンダーアーマーの傘下にある。MyFitnessPal、Endmondo、MapMyFitnessの合計ユーザー数は一説には2億ユーザーを超えると言われている。

では、他のフィットネスアプリに無いStravaの特徴とは何だろうか?

それは二つある。
一つ目は非広告ビジネスであること。
そのために大きな収益源をサブスクリプションサービスから得ていることだ。
以前はフリーミアムプランもあったが廃止され、サブスクリプションの一本化になったことで一部非難の声も挙がっている。しかし、これはStravaの徹底している非広告型ビジネスを続けるにはサブスクリプションのユーザー数拡大が必須であることは容易に想像がつく。
非難したユーザーも渋々サブスクリプションに加入したであろう。

二つ目は独立勢力であること。
かつてはベンチャーとして独立していたアプリも大手スポーツブランドの傘下に入ることで、純粋なユーザー体験価値が下がり、客単価の低下を招いているようだ。独立勢力であることは、ブランド価値を保ちながら多くのブランドとコラボレーションを生むことに繋がる。その一つが、前述の『World Wide Team Relay』だ。

それでは、いよいよ『World Wide Team Relay』の概要を説明しよう。

このイベントは2020年6月6日と7日の2日間にわたって開催された。
事前に4人1組のチームを組んで一人あたり10.5kmを走る。チームの合計記録を競い合うのがイベントのルールだ。そう、唯一のルールと言っても良い。
なぜなら、開催中の2日間の中であれば、『いつ』『どこ』を走っても記録とみなされるからだ。携帯からStravaを起動させて走っても良いし、GPSウォッチで計測して走行後にStravaと同期させても良い。参加費も無料だ。
4人のメンバーは任意で友人や知人と組んでも良いのだが、このイベントを最大限に楽しむなら『ランダムチーム登録』の一択だ。
なんと、フルマラソン世界記録保持者のエリウド・キプチョゲやハーフマラソン世界記録保持者ジェフリー・カムウォルと同じチームを組める可能性がある。なぜなら、『World Wide Team Relay』はスポンサー2社のサポートで成り立っているのだが、その1社のNNランニングチームに彼らが所属しているからだ。これは陸上競技の延長上にある、リアルのマラソンでは考えられないことだ。そもそも厳密な競技性を求めたところで、このイベントは走行するコースの地形や天候はバラバラなのだから、タイムレースのゲーム性は生まれない。では、このイベントの趣旨は何だろうか?
イベントの参加者には、もう一つのスポンサーであるスポーツドリンク飲料ブランドのモルテンの割引クーポンが配布される。このクーポンの使用された売上金の一部が、日本赤十字社を通じて医療従事者の働く病院へ寄付されるという流れになっている。つまり、走ることの新しい繋がりや楽しさを通じて、社会貢献の一環に関わることが出来るのだ。現実空間への集客や動員を指標にしたリアルのイベントとは対象的に、バーチャルイベントは規模に関わらず限りなく限界コストを抑えることが出来る。その結果、わずか2社のスポンサーで世界中を巻き込むイベントが可能になる。そして、価値基準の近い少数のスポンサーによる開催は明確な大会趣旨を打ち出すことが可能となる。結果的に、イベント主催者と参加するランナーの意思や趣向のマッチングが産まれることになり、これまでの画一化されたタイムレースとは別の価値基準を設けることも可能となるのだ。

近代のプロスポーツは、『モニターの中の選手』と『モニターを眺める視聴者』の関係が生まれることで成立し、発展した。
プロスポーツとしてのマラソンは、シリーズ戦のワールドマラソンメジャーズ以降(2006年にボストン、ロンドン、ベルリン、シカゴ、ニューヨークの五大マラソンを対象に発足。東京マラソンが2013大会より参加。)高速化の傾向を辿り、競技性を先鋭化させた。
その一方で、選手と同じギアを身につけて、同じレースを走りたいという市民ランナーの欲求も満たしていった。
かつて、あるランナーは言った。『マラソンというスポーツは、あらゆる競技のなかで唯一世界記録保持者と市民ランナーが同じ舞台に立てるスポーツなんだ。』と。
記録を狙う市民ランナーは、『モニターの中の選手』に憧れ、夢を重ねる。
マラソンは参加するメジャーなスポーツへと進化した。選手の高速化とギアの進化のサイクルが市場のニーズに応え、選手着用モデルを量産し供給されることで市民ランナーに恩恵をもたらした。
しかし、一方でこの状況は『モニターを眺める視聴者』を『モニターの中の選手』へと促す回路ばかりを育ててきたとも言える。
だが、全てのランナーが『モニターの中の選手』への同一化を求めているわけではない。
彼らの欲求は、例えば、『レースに限らず、走ることで出会える非日常』かもしれない。
もしくは、『イベントを開催することで産まれる場やコミュニティ』かもしれない。
あるいは、『自ら理想のレースを主催し、運営すること』かもしれない。
そう、既に僕たちは走ることで、世界との関係性を繋ぎなおすことが可能だ。
そして、プロとアマチュアの垣根を越えて1人のランナーとして、いや、James Quarlesの定義する、広義のアスリート=”anyone who sweats”として、僕らは繋がることが出来るはずだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?