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アメリカへ来たきっかけとなった出来事

こんにちは、Kentです! 今回は僕がアメリカに来るきっかけになった出来事について思い出話程度ですが話していこうと思います。

野球バカ⚾️

高校一年生の夏までは野球一筋の野球バカをやってました。高校一年生で僕は肘を怪我してしまい練習ができない日々が続きました。それ以前に練習がきつくて、こんな練習しても野球で食って生きていけるわけないんだし、辞めようと思っていた時期でした。僕の高校の野球部は東京都でベスト8まで進出する様な高校で、朝の7時から朝練があり、放課後は4時から8時ときには10時まで練習がありました。家に帰るのは夜遅く。こんな生活をしていた僕は当然勉強なんて全くせず野球をしていました。授業?睡眠時間だと思っていました。両親との会話も減り、反抗ばかりしていました。もちろん、この様な生活をしていたら両親も心配になりますよね。そんな夏のある日、練習でミスをした僕にコーチからめちゃくちゃに怒られました。『消え失せろ』そんな言葉も浴びせられました。その時、僕は野球を辞めると決めました笑

今までは野球が人生の全てだと思っていた僕が野球を辞めた。当然、落ち込むだろうと僕も思っていました。しかし、野球がない生活、めっちゃ楽しい!福岡の親戚の家に行って、幼稚園の子供の面倒をみたり、教会を手伝ったり、一人で指宿まで鈍行列車で行ったり。やりたいことが沢山出来ました。

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その年の夏、富士登山を一人でしました。この富士登山が僕のターニングポイントだったと今思えばそう感じます。行きのバスの中でイギリス人の登山家と出会い彼と登山をはじめました。もともと、人と話すことが好きで、英語も聞き取れましたし、話すことも少し出来ましたので、楽しく話しながら富士山を登って行きました。このイギリス人との出会いで英語力を伸ばそうと僕の魂に火がつきました。

家に帰るや否や、父に「留学したい!、俺やっぱパイロットになりたい。」と言いました。父の返事は、「おう、頑張れ」と肩を叩いてくれ気がします。

そこから沢山の留学斡旋会社に話しを聞きに行きました。高校留学、大学留学などたくさんの可能性がありました。当時はツイッターなどやっていませんでしたから人に話を聞きに行くのが唯一の情報を得る方法でした。

大人は冷たい、夢がない。

9月、新学期が始まり高校に戻った僕は留学という新しい目標も見つかり、ウキウキしていました。英語の先生のところへ行き、僕留学したいです。と言いました。返事は「は?無理だろ。お前じゃ」でした。マジでこれ言われたんですよ笑 心に刺さりましたね、この言葉。野球部を途中で投げ出したお前はなんでもすぐに諦めるに決まってるというレッテルを貼られました。

こんなレッテル貼られても、諦めるわけがありません。絶対見返してやると。

次回はこの続きを書きたいと思います。

最後まで読んでくださりありがとうございました。コメントもスキっも嬉しいのでぜひどしどしとくださいね!