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1000のNOの中にある幻日と、その残骸と

好きだからでも傷ついてるからでさえなく、傷付いてると周りに思われたいいためのファッションは、はしたないとか品がないのを通り越して醜くさえあるな思うことがあって

自由だった筈のファッションの中にあるのは不自由さだけだった

それは、そこには悲しさも、自己憐憫すら無くて、「かわいそうに思われたい」自己陶酔に埋められているからんだろうなと思う

ある過去にはたしかに手の中に在ったはずの未来はやせ細って、肥大化した現実だけがそこにある

気高くいることができなくても、美しい悲しみに溺れていることはできた筈で、それは寂しさの中に光るガラスのかけらを大切に持っているかどうかだけで変わってしまう

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