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コラム:特撮モノを考える

”特撮”とは本来撮影方法である特殊撮影を意味する略語であったはずなのであるが、今日において”特撮”が意味するところは撮影方法の意味よりもジャンルとしての意味のほうが大きいだろう。

所謂「ウルトラマン」「仮面ライダー」「スーパー戦隊」「ゴジラ」といった”特撮モノ”を指し示す用語と化している。

現在においてCMも含めたほぼすべての映像に使われていると言っても過言ではないCGも厳密な意味では”特撮”に含まれるが、そういったものは特撮とは呼ばれていない。

SF作品と呼ばれるハリウッド映画等もまた特撮とは呼ばれない。
(余談だが、SFとは言うまでもなくサイエンスフィクションの略であるが、これを”すこし・ふしぎ”と捉えた藤子・F・不二雄の感性にはあらためて非凡さを感じざるを得ない)

これらの作品と先述した”特撮モノ”との違いはなにか?

ある種のヒーローが登場するかどうか-
いや、マーベル映画にはヒーローが登場するがあれは特撮モノと言えるのか?
感覚的には違う。

では怪獣が登場するモンスターバースシリーズのゴジラやキングコングは特撮モノなのか?
いや、それも違う。あれらはSFやファンタジーといった作品であろう。

何故なのか?何が違うのか?
CG映像をメインに利用し、着ぐるみやスタントマンを使った映像を中心にしていないからなのであろうか?

一昔前(いや20世紀)ならそれも当てはまったかもしれないが、CGを多用しているシン・ゴジラやシン・ウルトラマンを経験した私達にはその理屈は通らない。
多少の違和感は感じるもののシン・ゴジラやシン・ウルトラマンは特撮モノの範疇だからだ。

両者を隔てるもの - それは様式美であり、ある種の文化と言えるだろう。
これは例えば能や歌舞伎、狂言を海外の人が再現しようとしても何かが違うと感じる違和感と同じと言える。
逆に言えば本来の特撮モノであるゴジラ、ウルトラマン、仮面ライダーにSF色を強く色付けしてしまった一連のシン・〇〇シリーズに感じる違和感は特撮モノという文化、様式美から少しずれてしまっていることから来ている。

とは言え、文化であるということは時代と共に変化していくことができる。
仮面ライダーの変身シーンやスーパー戦隊のロボ戦シーンが着ぐるみや光学合成からCGに変わるといった映像表現としての変化だけでなく、仮面ライダークウガや平成ガメラに代表される物語内での科学的整合性の底上げや、牙狼のように対象年齢層の引き上げが行われているのは時代の変化を如実に表している。
こられの裏側には幼少期に特撮モノを見て育ってきた世代が製作者側に移り、さらにはその次の世代(平成以降の世代)が育ちつつあることが見え隠れしている。

そういった時代の感性を感じながら様式美までも少しずつ変化させようとしてきているのが令和の時代であろう。(ゼンカイジャー、ドンブラザーズの何でもあり感は単にお祭り騒ぎ的作品というだけではなく、スーパー戦隊ひいては特撮モノとしての器の広さを実感させられた作品で、間違いなく後世で高く評価される時代の転換期としての重要な作品群であろう)

特撮以外の作品でも同様の傾向はあるが、初代作品が必要以上に神格化されているのも特撮モノの特徴であろう。(初代ゴジラ、初代ウルトラマン、仮面ライダー1号、ゴレンジャー)

ただ、それらのなかでウルトラシリーズだけは初代とともに2代目とも言えるウルトラセブンも別格視されている。
勧善懲悪だけではなく正義とは何かまで描いた初代ウルトラマンは今見直しても緩急が非常に素晴らしく、これを超えることは無理と思われるような作品だが、あっさりと超えてきたのが次作であるウルトラセブンだった。
ウルトラシリーズとしてはほぼすべてのプロットがこの2作品で出尽くしたと言っても過言ではない。

キャラクターとしてのウルトラセブンも人気となり次作の帰ってきたウルトラマンでは早速客演を果たし、ウルトラ兄弟という秀逸設定を生み出すこととなった。またウルトラマンタロウでは外見もセブンに似せ、ウルトラマンレオではセブンだけではなく人間体であるモロボシ・ダンを登場させ地球防衛軍MACの隊長に据えるなど、ウルトラセブンはその後のウルトラシリーズでも屈指の客演回数を誇っているのは御存知の通りである。
また平成になってからもセブンの息子であるウルトラマンゼロというこれまた人気(使い勝手の良い)のキャラクターを生み出している。

このウルトラセブンという番組で展開された様々なプロットの成功がなければその後の平成ガメラ、平成仮面ライダー、シン・〇〇といったシリアス設定を盛り込んだ大人の鑑賞にも十分に耐えることのできる特撮作品は生まれていなかったであろう。
これらの作品は緻密なマーケティングによるものというよりも前述したように特撮モノを見て育ってきた製作者側が大人になった今の自分たちが見たいと思えるものを作っているということだろう。

ただこれは製作者側と同年代(あるいは成人以上の世代)に対しての訴求力はあるかもしれないが、未来を考えたときに一抹の不安がある。
幼少期にこれらの”大人びた特撮モノ”にしか出会えなかった子供たちが成長して製作者側に回ったとき、果たして様式美としての特撮モノが伝承されているであろうか?

おそらくそういった危惧は無用で、各種動画配信サイトでの過去作品の配信で今までの素晴らしい特撮モノに触れる機会はいくらでもあるし、前述したように特撮モノという文化は変化し続けるものであるため今まで以上に大人も子供も関係なく楽しめる作品がこれからも世に出続けていくであろう。


2023.1.3
穏やかな新年を迎えた日に、
希望の未来を祈りつつ。


2023年らしい追加。

話題のAI「ChatGPT」に「SFと特撮の違いは?」と質問してみた答えがこれ。

SF(Science Fiction)は、科学や技術を題材とした物語のことを指します。SFは、未来を想定したものや、宇宙を舞台にしたものが多く、科学的に不可能だと思われるような設定や展開が特徴的です。

特撮は、SFの一種ではありますが、SFと異なり、特に日本の特殊効果を使ったテレビ番組や映画のことを指します。特撮は、特殊な衣装やマスクを着用したヒーローが登場し、そのヒーローが変身して悪を倒すというストーリーが特徴的です。また、特撮は、その他にも様々なジャンルがあり、特に子供向けのテレビ番組では人気があります。

つまり、SFは科学技術を題材とした物語を指すのに対し、特撮は日本の特殊効果を使ったテレビ番組や映画を指します。

ChatGPT

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