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真の怪獣王はどっちだ!ゴジラ対ガメラ!

K.S.R.C ResearchReport FileNo.010005
オリジナル公開日 1998/12/31 報告  報告者:Ken-chang
1999/1/8 追加報告  報告者:Ken-chang

<2022/7/18報告>
 2016/7/29 ー 映画「シン・ゴジラ」が公開された。
歴代ゴジラ映画の興行収入でダントツの一位である82.5億円を稼ぎ一大ムーブメントにまでなった映画である。早いものであれからもう6年だ。
今年2022年は「シン・ウルトラマン」も公開され再び「シン・◯◯」というタイトルの映画と庵野秀明さんの名前が話題となった。

話題を戻してシン・ゴジラであるが、普段特撮なんぞは見ないであろう層もこぞって映画館に足を運ぶといった感じで、映画としては大ヒットとなったのはご存知のとおりだが、個人的にはあれはゴジラ映画ではない
ゴジラ映画の定義があるわけではないが、コレジャナイ感が強い。あれはゴジラ映画ではなく庵野映画だ。
誤解をしないでいただきたいのだが、シン・ゴジラが面白くなかったのではない。映画としては非常に面白かったのだが、どうもゴジラ映画としては受け付けない。
何が原因かこの6年間考えていたのだが、映画の中で成長、進化し姿を変えているゴジラが原因なのではないかと思う。
歴代のゴジラは長期にわたって生存し続けているような超生命体であり、自然の驚異や得体の知れない何かを常に感じさせ、畏怖の対象で有り続けていた。
それに対してシン・ゴジラは、得体のしれなさは群を抜いていたかもしれないが、どうしても映画の始まるタイミングで産まれたようにしか見えず、ゴジラそのものに年輪のようなものを見いだせなかった。それ故、太古の生物に感じるワクワク感や尊厳のようなものではなく、単なる未知生物や実験で産まれた人工生物の類でしか見ることができなかったのだ。
感覚的にはパトレイバーの廃棄物シリーズに感じるものが最も近かっただろう。(おそらく意図的であろうが冒頭の東京湾上のプレジャーボートから姿を消した牧教授のシーンはそれを連想させるには十二分だった)

余談ではあるが今年公開されたシン・ウルトラマンもウルトラマン映画としては受け入れがたい。(いや、こちらはシン・ゴジラとは違い”映画”としてもどうかと思うが・・・)
怪獣を禍威獣、科特隊を禍特対と言い換える中二病的センス、いかなる理由であれ人類の味方であることが最大のアイデンティティであるはずのウルトラマンがまさかの人類殲滅を企てる等、壮大な二次創作でしかない。

閑話休題。

さて今回のリサーチはシン・ゴジラではなく、ともに昭和と平成を生き抜いたゴジラとガメラの話である。
シン・ゴジラでゴジラを知った人も、ぜひ昭和、平成の偉大なる特撮映画にも触れていただきたい。


ゴジラとガメラ。いうまでもなく日本を代表する2大怪獣である。
ともに昭和時代に第1世代ともいうべき作品群を残し、平成時代に第2世代の作品群を残している。(正確には第2世代ゴジラは1984年(昭和59年)ではあるがここでは便宜的に平成ゴジラと呼称する)
両作品とも膨大なシリーズとなっているため、全シリーズを通じ比較することが困難となる。というわけで、昭和ゴジラ対昭和ガメラ、平成ゴジラ対平成ガメラという対決で勝敗を決めてみたい。

<第1世代:昭和ゴジラ対昭和ガメラ>

昭和ゴジラ
 昭和29年。まだ戦争の記憶も生々しいこの年にゴジラは誕生した。初代ゴジラともいうべき第1作ゴジラは水爆実験により生まれたという設定やモノクロフィルムがかもしだす独特な質感などにより、戦争や自然の驚異にも似た恐怖を感じさせた。
 その後はアンギラスや、当時世界で最も有名な怪物であったキングコングとの対決を経て、モスラと闘うことになる。
 ゴジラはご存じの通り”着ぐるみ”を使っているがこの着ぐるみは作品ごとに微妙に違っていた。「キングコング対ゴジラ」(通称キンゴジ)のゴジラは頭を頂点とした三角形の体型をしており怪獣らしいスタイルをしていた。「モスラ対ゴジラ」(通称モスゴジ)のゴジラはいかにも悪そうな目つきをし、体型は人間に近くなっている。ファンの間での人気はキンゴジ派とモスゴジ派に大きく分かれている。
 ゴジラはモスゴジ以降次第に人間の味方になっていき、最初の頃の恐怖感は薄れていくことになる。
 作品内容が子供向けになっていく中、「ゴジラ対ヘドラ」のヘドラは久々に登場したメッセージ性のある怪獣であった。公害が生んだ怪獣である。このヘドラは成長するごとに形態が変化していくという凝った設定であった。このヘドラは今のCGを使った特撮で単体の作品としてリメイクしてほしいほどである。

 ゴジラの闘ってきた相手の中で最も強い怪獣だ何だろうか。
 まず思い出されるのはなんといってもキングギドラ(アメリカではギドラと呼ばれている)だろう。キングギドラは宇宙怪獣という設定だが、3つの首を持ったこの怪獣はヤマタノオロチをモチーフにデザインされている。全身を金色に塗られたその姿は最強怪獣と呼ぶにふさわしい。ゴジラとは何回か対決しているがゴジラが勝ったと言い切れる戦いは一度もない。(キングギドラ対地球怪獣連合軍的な戦いばかりで本当の意味でゴジラとキングギドラが闘うのは平成ゴジラまでない)
 メカゴジラも忘れることのできない怪獣である。ゴジラの敵はゴジラしかいないという発想の元作成された。ブラックホール第3惑星人(正体はゴリラのような宇宙人であった)がゴジラの能力を徹底的に研究して製造したロボット怪獣である。全身が武器で武装されたメカゴジラはとにかく格好良かった。鋭角を多用したデザインはいかにも強そうであった。またメカゴジラ登場のシーンも全身にゴジラの偽装を施した偽ゴジラとして富士山麓に登場し、アンギラスをあっけなくやっつけてしまったのである。この偽ゴジラの登場シーンとそれに続くメカゴジラの正体を明かすシーンは特にすばらしい。
 「メカゴジラ対ゴジラ」はメカゴジラのデザイン、ストーリー、ゴジラの味方怪獣キングシーサーなどなかなかの出来でヒット作となった。その勢いにのり続編「メカゴジラの逆襲」も作られた。この作品ではメカゴジラはパワーアップされメカゴジラ2となり、またチタノサウルスという仲間まで引き連れて現れた。対するゴジラは前作や過去の作品のように仲間怪獣とともに闘うわけではなくゴジラ単独で闘ったのである。もちろんゴジラの勝利に終わるのだが、「ゴジラ対メカゴジラ」がキングシーサーとのタッグでやっと勝ったのに比べ「メカゴジラの逆襲」では2怪獣を相手に楽に勝ったという印象を与えてしまった。とはいうものの、この「メカゴジラの逆襲」も作品的にはたいへんおもしろい作品であった。
 ゴジラはこの「メカゴジラの逆襲」でしばらく製作を中断することになる。

 というわけで、昭和ゴジラ最強の敵はキングギドラかメカゴジラということになる・・・はずだが、実はゴジラを負かしたことのある怪獣がただ1匹(2匹というべきだろう)だけいるのである。モスラである。
「モスラ対ゴジラ」でモスラの幼虫2匹はゴジラに対し、糸を吐きつける攻撃をし撃退したのである。が、やはりイメージ的に最強の敵というイメージはモスラにはない。
対戦成績からいえばキングギドラが最強の敵と言えるだろう。(昭和48年に流星人間ゾーンというTV番組があったが、この番組にはゴジラやキングギドラがゲスト出演していた。この番組の中でゾーンはキングギドラを一人でやっつけている。ゾーンこそ最強のヒーローといえるだろう。)

昭和ガメラ
 東宝のゴジラの成功に刺激された大映が作成した怪獣がガメラである。
ゴジラとは違いガメラのコンセプトは初めから人間(子供)の味方であった。内容もゴジラよりも子供寄りのストーリーになっている。
 そもそもカメの怪獣だからガメラというネーミングからして安直であった。が、安直なのはそこまででシリーズとしてはとても安直とは言えないであろう。
 ガメラシリーズを一言で言い表すとすれば”荒唐無稽”につきる。
 ガメラ自体謎が多い。カメの怪獣のはずなのに、回転しながら空を飛ぶなどよくわからない生態である。ガメラ自体よくわからないので仕方ないかもしれないが、対戦する怪獣はもっと訳が分からない。
 まずはバルゴン。南国であるニューギニア出身の怪獣のくせに冷凍怪獣である。しかも弱点が水ときている。生物に一番大切な水が弱点とは、こいつはいったい何を食料としているのであろうか。
 バイラスは高度に知能の発達した宇宙人のはずだが、巨大化したとたん肉弾戦に走っている。
 ジャイガーは本来は石像の守護神である。奪われた石像を取り返すために日本までやってきてガメラと闘うのである。その戦いの中、ジャイガーはガメラに卵を産み付け絶体絶命のピンチに陥らせているが、これは攻撃なのか?単なる生殖行為ではないのか。
 ジグラはジグラ星の海に住む宇宙人で地球の海を乗っ取りにやってきたのだが、宇宙船の中に水が無いのはどういうわけだ?
 しかし、ガメラシリーズの中で最も荒唐無稽な怪獣はギロンであろう。頭がギロチンになっているのだが、体の半分をこの頭が占めている(つまりは二頭身)。しかも、その頭からはなぜか手裏剣を飛ばす。ギロンの脳は手裏剣という設定(設定からして訳がわからない)だが、ということはギロンは手裏剣を飛ばせば飛ばすほどバカになるのだろうか。

 荒唐無稽な昭和ガメラではあるが第3作「大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス」はすばらしい作品である。ギャオスのデザインも斬新なデザインであるし、ストーリー展開も場所を変えての3度にわたるギャオスとの闘いや人間の対ギャオス作戦の攻防など見せ場が満載されていた。ギャオスこそ昭和ガメラ最強の敵であると言える。

 さて、昭和ゴジラ対昭和ガメラであるがいうまでもないであろうが、圧倒的に昭和ゴジラの方が強い。これはゴジラの実力、シリーズの作品性、他の特撮作品への影響などすべての点で圧倒している。
 同世代で昭和ゴジラと対等に渡り合えるのはウルトラマンぐらいではないだろうか。(あらためて円谷英二という人物の偉大さが思い知らされる)

<第2世代:平成ゴジラ対平成ガメラ>

平成ゴジラ
 1984年。ゴジラ復活の声の高まりに答えるかたちでゴジラは復活した。しかも、「ゴジラの逆襲」から「メカゴジラの逆襲」までのゴジラは無かったことにしての復活である。
 復活平成ゴジラは昭和ゴジラ第1作の続編である。したがってゴジラの性格も徹底して人間の敵となっている。
 復活ゴジラの最期は火山の火口に落ちるというものであったが、次回作「ゴジラ対ビオランテ」ではその火口の中から復活する。マグマより強い生物とは。ゴジラは水爆にも耐えた生物だからそのくらいは当たり前なのかもしれないが、驚きである。
 そのゴジラの相手ビオランテはゴジラの細胞「G細胞」からバイオテクノロジーによって生まれた怪獣である。ビオランテのデザインは今までにない形を模索して作られた。
 ビオランテはバラの細胞にG細胞を融合して作られたが、この植物と動物の融合というアイデアもすばらしい。(帰ってきたウルトラマンの名作「許されざる命」で同様のアイデアが使われているがこれは同じ原作者であるためだ)
 このアイデアによってビオランテは植物タイプから動物タイプへと形態を変化する事ができたのだが、植物タイプと動物タイプの対比や動物型ビオランテのデザインはすばらしい。ゴジラとの対決描写もすばらしい。芦ノ湖での対決ではビオランテから伸びたツルがゴジラと同化しようとしたり、若狭湾での決戦もその異様な姿を表し大きさでゴジラを上回るなど見所は随所にある。
 次に闘った相手はキングギドラである。が、昭和ゴジラと闘ったあのキングギドラとは違っていた。未来人が過去に戻り、人工生物を核実験によってキングギドラに変異させたのである。このとき未来人はゴジラの元である恐竜ゴジラザウルスを核実験場とは別の場所に移動させゴジラの誕生を阻止しようとするのであるが、その場所にあった別の核によって結局はゴジラが誕生してしまう。
 ストーリー的に非常に入りくっており考えられてはいるのだが、駄作である。この作品以降、昭和ゴジラの中だるみ作品と同様な展開を見せていくのである。せっかく初代ゴジラの続編という形で重厚に再スタートした平成ゴジラだというのに。
 
「ゴジラ対スペースゴジラ」では「対ビオランテ」で宇宙に飛んだG細胞が結晶生命と融合しスペースゴジラが誕生したというものだが、スペースゴジラのデザインは武装ゴジラのようなデザインでそれなりにかっこいいのだが、いかんせんストーリーがいまいちである。そもそもスペースゴジラの基になっているG細胞を宇宙に飛ばす原因となったはずのビオランテであるが、そのビオランテの基になったゴジラは未来人の干渉によって消されたはず。やはり、「対キングギドラ」からおかしくなったようである。
 平成ゴジラは「ゴジラ対デストロイア」でそのシリーズをひとまず終わらせる。このデストロイアは初代ゴジラを倒したオキシジェンデストロイア(芹澤博士が酸素をあらゆる角度から研究中に偶然発見された)を使用した東京湾の海底から発見された生物である。シリーズを終わらせるのには初代ゴジラを倒したデストロイアの名を冠した怪獣が必要であったのだろう。
 デストロイアは小型の生物の集団である。集合したデストロイアはあのオキシジェンデストロイアを武器としていた。が、このときのゴジラはその攻撃さえも効かなかった。
 しかも、ゴジラの心臓部はメルトダウン寸前という状態であった。ゴジラは生物という設定はどうなったのであろう。ゴジラの心臓はいつから原子炉になったのであろうか。しかも、すべての生物に必要な酸素を分解し細胞までも分解してしまうというオキシジェンデストロイアでさえ効かない生物となったゴジラ。こうなるともうお手上げである。設定など無きに等しい。好き勝手に作ってしまった駄作というしかない。ゴジラがメルトダウン後、死んだはずのJrが放射能を吸収し新ゴジラとなるなど、やりたい放題である。ゴジラがそのシリーズを終わらせたのは正解といえるだろう。(1999年12月11日に再びゴジラは復活するようだが)

平成ガメラ
 1995年。満を持してガメラが復活した。
 復活第1作は昭和ガメラで最も成功した作品ギャオスを敵とした「大怪獣空中決戦」であった。当初ギャオスは保護されガメラが人間の敵という内容、ギャオスの遺伝子の調査結果のくだり、戦闘中のギャオスの進化、東京タワーでのギャオスの巣にあった卵など硬派SFマニアも納得のストーリー展開は見事であった。
 ガメラ自体の設定もリアルに練り直され超古代文明が作った兵器という設定になった。これは昭和ガメラでの「ガメラは本当に生物か」の問いかけに答える形になっている。対するギャオスも高度な遺伝子工学により人工的に作られた生物兵器であり、しかもDNAが1対のみと言う設定など見事すぎる。
 第2作「レギオン襲来」もまた見事であった。宇宙生物という設定だが、植物との共生生物という今までの怪獣には無いアイデア、レギオンの攻撃的なデザイン、電磁波が見える敵という設定など斬新なアイデアに満ちていた。対ギャオスで東京が壊滅的な状況になっているのを受け継いでるという世界観もシリーズものなら本来当たり前のことだが、なぜか今までの他の作品群にはこういったシリーズ同士のつながりがかけていた。この点も高く評価できる。次回作もギャオスとの戦いの時に両親がガメラの犠牲になった少女が主人公のようだが、期待できるではないか。

 平成ガメラ2作に共通することだが、特撮部分もすばらしい出来であった。「レギオン襲来」などはとても前作より制作費が削られているとは思えない出来であった。羽レギオンに襲われるガメラやウルティメイト・プラズマ(まるで”元気玉”だが)の描写もよくできていた。

 「レギオン襲来」での「ガメラはレギオンを許さない。」からつながる「ガメラの敵にはなりたくないよね。」の台詞までの流れは、我々を久々にぞくっとさせてくれた見事な流れだと言えるだろう。


 平成ゴジラと平成ガメラの対決は、作品的には、マニアをうならせる設定やストーリー展開、シリーズのつながりすべての面で平成ガメラの圧勝である。
 では、実力はというと、これは難しい。水爆やマグマでも死なないゴジラと超古代文明の技術の粋を結集したガメラ。生物と人工物では生物の勝利というのが特撮物の常識ではあるが、今回の対決に関してはガメラの勝ちとしたい。
 というのは、やはり「レギオン襲来」での台詞「ガメラは地球の味方なんだ」ということから、ゴジラとは背負っている物が違う。人間に対する憎悪とJrへの愛情のゴジラより地球愛のガメラ(地球の守護神と言っても良いだろう)では、ガメラが勝つのは仕方ないと言えるだろう。

さて、今までゴジラ作品やガメラ作品を見たことのない方で、これから見てみたいと言う方は以下の作品をお勧めすることで今回のレポートを終了することにしよう。

昭和ゴジラ
 ゴジラ
 モスラ対ゴジラ
 ゴジラ対ヘドラ
 ゴジラ対メカゴジラ

昭和ガメラ
 大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス

平成ゴジラ
 ゴジラ
 ゴジラ対ビオランテ
 ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃(2022/7/18追記)

平成ガメラ
 ガメラ 大怪獣空中決戦
 ガメラ2 レギオン襲来
 ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒(2022/7/18追記)


<追加報告>(1999/1/8)

ハリウッド版「GODZILLA」は「ゴジラ」か。
(2022/7/19筆者注:トライスター版やエメリッヒ版と言われるゴジラ映画を指す。ハリウッド版ゴジラという意味では2014年にモンスター・ヴァースとして始まったレジェンダリー版やギャレス版と言われるゴジラの方が今では一般的)

 1998年7月11日。ついにハリウッド版「GODZILLA」が日本公開された。この「GODZILLA」についてもやはり触れないわけにはいかないだろう。

 アメリカで作成される「ゴジラ」の話は1978年まで話を戻さなければならない。この年、東宝レコードから発売されたLP「ゴジラ」の解説書の中に「日米合作・ゴジラ 昭和53年公開予定」の文字を見ることができる。この時以降、幾度も映画化の噂や企画がささやかれ続けた。そして、1998年ついに長年の夢が実現したのだが・・・

 「GODZILLA」の英語表記は、第1作「ゴジラ」を改竄して公開されたアメリカ版「ゴジラ」(海賊版ゴジラ)で初めて使用されたものである。
 神(GOD)とトカゲ(LIZARD)とゴリラ(GORILLA)の合成語であるこの「GODZILLA」という表記は、ゴジラファンにとってゴジラが単なる怪獣ではなく神性をおびた聖獣となっているひとつの根拠にもなっている。
 日本語表記の「ゴジラ」という名称はゴリラとクジラの合成語であるが、これは単に巨大で力強いものの象徴と言う以上のイメージを抱かせる。すなわち、キングコング+モビーディック(白鯨)と読むことができる。
 
 そこで、ハリウッド版「GODZILLA」であるが、これは本当に「ゴジラ」あるいは「GODZILLA」であろうか。答えは、映画の中の1シーンにある。

 
テレビのニュースでセクハラ上司のアナウンサーがゴジラの猛威を伝える場面で「GOD-ZILLA」と区切って発音するのだが、それを見ていたヒロインのオードリーは即座に訂正する。「違うわ。GOJIRAよ。」と。

 その通り。あれは「GODZILLA」ではないし、ましてや「ゴジラ」であるわけもない。せいぜい「GOJIRA」なのである。その姿形も巨大イグアナでしかない。(もっとも、この件に関してはデザインを担当したパトリック・タトプロスが「あの強烈なデザインを部分的にいじるのは冒涜にあたるよ。ゴジラ映画のスピリットを込めて、全く違う姿形を生み出したんだ。」と発言をしている。彼のこの発言には同志的とでもいうべき共感を覚える。)
 言うまでもなくゴジラは水爆実験で誕生したのだが、その実験を行ったのはアメリカである(すべてのゴジラ映画の中で唯の一度も「アメリカの実験で生まれた。」という台詞はないが、火を見るより明らかだ)。
 しかし、この映画の中ではフランスの核実験で生まれたことになっている。責任をフランスに押しつけたのだ(アメリカは唯一の核兵器使用国であるというその事実さえも隠すかのように)。その結果、ドラマ全体に緊迫感が無くなってしまっている。

 デザイン、ドラマ部分ともゴジラ映画ではなく、単なる娯楽映画になっている。

 ハリウッド版「GODZILLA」はタイトルを「イグアナザウルス」に変えるべきである。 
 

ガメラ3 邪神覚醒(イリス覚醒)

 「わたしはガメラを許さない」という衝撃的なコピーで期待される平成ガメラ第3作目は「ガメラ3 邪神覚醒(イリス覚醒)」というタイトルだ。
 この台詞を言う少女はまた「誰かお願い、ガメラを殺して。」という台詞も言っている。これはものすごい衝撃である。昭和ガメラでは子供の味方、平成ガメラでも暗黙のうちに人類の味方となっているガメラ。そのガメラを「誰か殺して」と訴えるのである。
 ガメラ3では是非、いままでの怪獣映画の常識を壊してほしい。


人間が怪獣?

 「ガメラ2 レギオン襲来」のラストの台詞を再現してみよう。

帯津:「人間は、結局、またガメラに救われたんですね。」
穂波:「ガメラが救ったのは人間じゃないと思う。この星の生態系なんじゃないかな。ガメラはレギオンを許さない-きっとガメラは地球の守護神なのよ。」
帯津:「それじゃ・・・もし、人間が生態系の破壊を続けたら・・・」 
穂波:「ガメラの敵にはなりたくないよね。」

 ガメラ3では、ガメラが人類の敵として立ちはだかりそうな気配を見せてくれている。

 一方、「ティガ」「ダイナ」と新時代のウルトラマンをみごとに描いている平成ウルトラマンの第3弾、その名もズバリの「ウルトラマン ガイア」では、人類の味方である「ガイア」に対し、「アグル」というもう一人のウルトラマンが登場している。この「アグル」は地球を守るためなら、害虫としての人類を滅ぼしかねない意志を表明している。

 日本の特撮ではすでに人類は地球に対して立派な怪獣になってしまったのかもしれない。ハリウッド版「GODZILLA」が少しでもこのあたりのメッセージ性を持っていたなら、もう少し評価が変わっていただろう。

 人類が地球に対して怪獣になるのは、映画やテレビの中だけで居続けてほしい。もう手遅れかもしれないが・・・


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