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狂言を観ることと心を和らげること
和ろうてござるか~
狂言に再会するより少し前、十六年ほど前のこと
以前の勤め先での対人関係の問題がきっかけで心理カウンセリングに出会い大阪の日本メンタルヘルス協会にて心理学を学んでござる
基礎心理カウンセラーとして、悩みの淵に足を捕らわれた人のお話を聴かせてもらうこともしてござる
その学びとカウンセリングの経験で最も大切に思われたのは
相手をそのままに受け取り、なんとかしてやろうとは思わぬことでござる
相談をされても相手はカウンセラーに解決してほしいわけではないと云うことでござる
狂言でもたとえ主人に云われたことでも
容易に受け取ることができぬ太郎冠者が多く出てまいりまする
それぞれの登場人物が、その人自身の好かれと思うように振る舞い
それがかみ合わなかったとしても、結局は赦し合える大らかさがありまする
狂言を観ることでこころが緩み
こんな人(横着者、モノ知らず、騙し屋、威張りん坊…)でも
寄りかかりあい、ゆるしゆるされて生きていけると感じられる
のではなかろうかと、思うてござる
最後に心理カウンセリングで学び
自身の考え方を大きく変えた詩を一節
原文はドイツ語で訳はいくつかあるようでござるが
狂言らしゅう紹介しまする
みどもはみどもがために生きまする。こなたはこなたがために生きませ。
それがしは何もこなたの期待に応えんがために、今世、生きているわけではござらぬ。
ひるがえって、こなたもみどもの期待に応えんがために、生きるわけではござらぬ
みどもはみども。こなたはこなた。
されども、われらが思いがけず出逢うたならば有難いことでござる
たとえ逢えずとも、それぞれに素晴らしい人生でござる
自分勝手に好き勝手にするということではござらぬ
お互いの人生をみとめ合い、自身の好きを大切に思い
また同じように相手の好きを尊重して
和らいでまいろうという提案と存じまする
この狂言noteはけんすけ福のかみが
大蔵流茂山千五郎家 島田洋海社中にて
狂言を学んだことをモトに
実際に狂言を(できれば生で)観て
和らいでもらいたいと願うて描いてござる🖋