脱パターナリズム

医師として臨床現場に立ち始めてから早2ヶ月が経過している。
机上の勉強だけでは理解出来なかったいろいろな経験を積めているそんな気がしている。
その中でも1番驚いているのは患者さんの背景だ。
どうしても医師は病気を専門としているため、患者さんの病気に目が行きがちだ。
体液管理、日々の血液データの評価、身体所見…
データ過多になったこの現代、病気をみると言っても様々な角度からのアプローチの仕方があり、何を選ぶかは担当医の力量によるところが大きい。
それでも国家試験を通過して、ある程度は病気の知識が入っているだろう自分たちが1番勉強不足なものは病気になる前後の患者背景だと私は考える。
家族関係が上手くいっていなかったり、むしろ家族から愛されすぎていて本人の意思が薄弱だったり、豪快な生き方をしてきたんだろうなという人もいたり、達観している人もいたり…
現場に出てみなければ分からなかったことが本当に沢山ある。
具体例はいろいろ問題を孕むと思うので伏せるが、本当に日々勉強になる。
たった2ヶ月もあっという間でとても密度の濃い毎日だった。
国試では必修で少しこういった問題は出るが、患者さんの転院調整や退院までの経過などを扱う問題はまだ少ない。
こうした患者さんの心情や家族関係などを扱った問題がもう少し増えてもいいのではないかと思っている。

とはいえ、まだ研修医2ヶ月など医師もどきみたいなもので、全然頼りがいはない。
薬剤師の人には悪口を言われるし、上の先生から怒られたりすることも日常茶飯事だ。
それでも病まずに毎日遅刻せずに病棟に行けるのは患者さんが治った時に喜ぶ顔を見れるからかなと生意気ながら思ったりもする。
心折れそうな日もあった。
自分のやったことが上手くいかなかったり、全然効率的に仕事が出来ていなかったり、どうしてもやる気が出ない日があったり、医師として全然まだまだだと思う。
でも少しずつ心にも仕事にも余裕が出てきて、ちょっとずつ楽しくなってきているのも事実だ。
長い長い医師人生はまだ始まったばかり。
これからも傲慢になることなく愚直に地道に努力を重ねて、病気のことだけでなく患者さんの背景を考えられる、なんなら話し相手になれるような医師になりたいなと心から思う。

優しい目で見守ってもらいたい。
生ぬるい目でもいい。
真面目に生きることって案外難しかったりする。
そこを評価してもらいたいし、自分もそこを評価できる人間になりたい。

パターナリズムという言葉がある。
父権主義といって、医療現場では医師が患者さんの意見を聞かずに治療方針を決めたりすることを指す。
そんなことはあってはならない。
患者さんも1人の人間だ。
その人がどう生きたいか、どう最期を過ごしたいか、そんな人間臭いところに目を向けられるようなダサい医師になれたら嬉しい。

明日も病棟で待っている患者さんがいる。
毎日感謝を噛み締めながら病院を歩こう。

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