不確かな日常に解は無し

いつもと変わらない日常が好きで
ちょっとした変化があったら少し心躍る。

ルーティンワークを続けている日常。
でも裏を返せば一生に一度の時間をルーティンワークに捧げている訳で。

だからこそ、ちっちゃな些細な変化がたまらなく愛おしい。

そんな誤差に何気なく気付けるようになりたいなと願う今日この頃です。

誰かの存在は当たり前ではなく、それは仕事でも恋愛でも何でも当て嵌る。

いろんな人との関わりがあって社会が成り立って、いろんな人の営みで、ある事柄は幸せにも不幸にもなる。

そんな不確かな生活は、吊り橋を渡ってるようにいつも危険を孕んでいるけれど、いろんな出会いや事象の一つ一つを大切にして生きたい。

自分はもういい歳だけれど、童心を忘れたくはない。
思い出はいつも薄れていくけれど、一つ一つを大事に抱き締めてルーティンワークをこなしていきたい。

通勤の波を見ていると、みんな決して楽しそうな顔をしている訳ではないし、鏡に映る自分も決してニコニコと笑っている訳でもないけれど、楽しくない訳では無い。

連綿と続くこの日常の答えは、自分が死ぬ時にも明快に分かる訳では無いのだから、一瞬一瞬を必死に生きて、せめて一日分の答えを見出せたらそれが幸せなんじゃないかなって思う。

あと数時間でまたいつもの日常が迎えに来るけれど、一日のどこかに心躍る幸せがあることを願っておやすみしよう。

おやすん。

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