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ホンモロコでアンチョビを。

 ヒグマは食べ切れなかった獲物を土饅頭にして後でまた食うらしい。
 こういう執着心は生物の本能だと思う。

 ホンモロコをたらふく食べてみたくて昨春、琵琶湖で何匹も釣った。
 それはもう顔が綻ぶ美味さで、食べ尽くすのが惜しい惜しいと思ううちに(塩漬けにして放置しといたらアンチョビみたいになって保存もできるし、旨味も増すのでは)という企みが頭に浮かんだ。

 ということで塩漬けにした。

この時点で大きな過ちを犯している。

 そして塩漬けにしたホンモロコのことをすっかり忘れてしまい、一年以上経って思い出した。

発掘されたホンモロコの木乃伊。

 かっぴかぴに干上がったホンモロコは、一年以上経っているのに全く腐敗臭がしていない。
 塩の腐らせない力って凄えなと思う。
 アンチョビ的なものを作ろうとするなら、発酵させる必要があって、塩はもっと少量でよかった。
 するとこんなにかっぴかぴにならずにホンモロコは柔らかいままで、上澄みの塩水もできたはずだ(ナンプラー的な何か)。
 腐敗を恐れすぎて塩が多すぎたのか、そもそも魚が少なすぎたのか。
 というか本気でアンチョビ的なものを作ろうとするなら、釣りたてのものを食べ過ぎず、もっと多くの魚の数を貯蔵に回せばよかった。
  
 つい食べ過ぎた強欲さと、惜しい惜しいと思うしみったれ精神と、腐敗を恐れて塩を入れ過ぎた理性…
 ヒグマのような極めて動物的な本能に従ったつもりが、極めて人間的な精神によって非常に残念なものを生み出してしまった。 

一応オリーブオイルに漬けてそれっぽくした。

 パスタにしたり、じゃがいもやキャベツに和えたり(淡水魚なのでもちろん火を通して)全部食べたけど、ただただ塩辛い魚でした。
 こんなことなら昨春のうちに残さず食べておけばよかった。

 「猿が放置した食べかけの果物が発酵して酒になる」とか、「鶚という鳥が放置した食べかけの魚が熟鮓になる」とか、そんな話を聞いたことがあるので、もっと適当に放置した方がよかったのかもしれない。

 「ホンモロコでアンチョビ」はこの先の人生でまたいつか挑戦するかもしれない。
 

 この記事は去年のホンモロコについての話。 

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