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鰉の味。

 近松秋江の『黒髪』という、東京の男が京の芸者に惚れて身勝手な想いを寄せ続けるストーカー小説がある。作中、男が京の料理屋で女を待つ場面で、

そこへ女中が膳を運んできた。
「おおきにお待ちどおさん」と、いいつつ餉台のうえに取って並べられる料理の数々。それは今の季節の京都に必ずなくてはならぬ鰉の焼いたの、鮒の子膾、明石鯛のう塩、それから高野豆腐の白醤油煮に、柔かい卵色湯葉と真青な莢豌豆の煮しめというような物であった。

 「今の季節(晩春)の京都に必ずなくてはならぬ」と言われる、この魚偏に皇と書く「鰉」という魚、昔から一度食べてみたいと思っていた。
 ヒガイである。
 ヒガイの中でも琵琶湖の固有種ビワヒガイをその昔、明治天皇が行幸の折に献上されたものを召し上がられ、東京に戻られてからも所望されたという。そこからこのヒガイという魚に「皇」の字が使われ「鰉」となった。
 そんなエピソードを聞いたらますます一回は食べてみたいと思った。
 
 同じ琵琶湖の固有種にホンモロコという魚もいて、こちらにもずっと憧れていた。
 「京都の料亭でしか食べられない」とか「春の子持ちのホンモロコは旨いが値も洒落にならんくらい高い」とか、そんなことを聞いていたせいで。
 実際にはそんなことはなく、通販で買えるし、入門前に暮らしていた東京でも(関東で養殖されているため)手に入らないことはないと知っていたが、どうせなら琵琶湖のホンモロコを食べたいとずっと思っていた。

 ということで琵琶湖にホンモロコを釣りに行く。

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 すると、ホンモロコに混じって一匹、見慣れない魚が釣れた。
 (ヒガイ...!) 
 図鑑を見て憧れを募らせていたので、一目でそう気づき慌てて魚籠に入れる。
 ホンモロコは何匹も釣れたのに、ヒガイはその一匹だけで、帰り道もずっと(鰉、鰉、鰉、あの鰉が手に入った...)という高揚感に包まれていた。

 帰宅後。ホンモロコはとりあえず活かして泳がしておこう。俺はヒガイを食うのだ。と早速、活きたヒガイをまな板に載せる。

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 まな板の上のヒガイ。
 めっちゃ綺麗やな。螺鈿細工みたいやな。と思いつつ頭を落として、ワタを出して素焼きにする。

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 焼いたヒガイを齧る。
 (...え、こんなもんなんや)
 不味くない、不味くはない。臭くもない。でも、同じような大きさの魚で言うとハゼの方が美味しくないか、これ。
 いやいや、近松秋江の小説では「京に必ずなくてはならぬ」と言われ、明治天皇がお気に召されたという逸話も残されている魚なのに。それからずっと憧れ続け、想いを寄せていた魚なのに。なのに「そんなはずない」「なんで期待に応えてくれないんだ」という感情が駆け巡る。
 
 なんか裏切られた気分や、と思ってこんなことを書いている瞬間に気づく。
 今まさに俺は『黒髪』の男になっている。

 ちなみにホンモロコの方はこんなに美味しいのかと思えるほどの魔性の味でした。

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