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世界はどうして、俺のためにできていないんだろう。

そう思いながら、青空に手を伸ばす。

兵器汚染による<黒化>のせいで、指先は真っ黒だ。まだ14歳だというのに、これでは寿命はあと3年ももたない。

「坊主。なにをぼんやりしてる。もう出撃だぞ」

そう声をかけてきたのは、三十過ぎの髭の男だ。この隊のなかでは一番の古株―つまりそれだけ、他の兵士は死んでしまったということだった。

「兄さんも、随分黒くなってきたな」

「服のなかまでビッシリだぜ。女の子にモテネーっつの」

「元からモテてなかっただろ」

「うるせ!」

そういって、兄さんが俺をどつく。兄さん、といっても本物の兄貴なわけじゃない。戦場にいると、疑似家族が欲しくなるというだけだ。

「…お前も、前は、小指の先だけが黒いだけだったのになあ」

「最近は黒くなるペースが上がってきたよ」

そういって、俺は自分の手を見つめる。

「いつか、全部が真っ黒になって。特攻兵器にされんだろうな」

「安心しろ。そのころには俺が地獄で待っててやる」

そういって、兄さんは俺の頭を撫でる。

「ま、お前が真っ黒になる前に、戦争が終わるといいな」

兄さんの声を遮るように、大きな戦闘機が飛んできた。爆弾がいくつも落下しーー目の前の兄さんが、爆ぜた。爆風にあおられて俺も吹き飛びーーそこで、意識を失った。

目が覚めると、兵隊病院だった。

「ここは…」

そう言いながら体を起こそうとして、左手がすべてなくなっていることに気づく。

「え…!」

「ああ、目が覚めましたね」

「あの、これは」

「左手ひとつで助かったんだから、よかったじゃない」

そういって、看護師は部屋に入ってくる他の兵士を見つめた。

 四肢をすべて失った人、痛みに絶叫している人…明らかに、俺よりもひどい状態だった。

「起きたなら、ベッドを明け渡して。まだまだ、患者さんは来るんだから」
そう言った看護師の目には涙が浮かんでいた。

 外に出ると、相変わらず青空だった。

昔は、この日本でも病院は屋上に出られなかったらしい。でも最近は、金のかかる傷病者の自殺を推奨していることもあって、屋上は元気にいつでも解放中だ。今も、開け放たれた扉から、男が叫びながら走ってきて、そのまま柵の向こうへとダイブした。

第四次世界大戦が始まってから、死はただの救いだ。恐れるものでは、なくなっている。

「…今日も、青いなあ」

そう言いながら、顔を上げる。青空が目に染みるようだった。

片腕をなくしたばかりだというのに、何も感じない。心は全部、どこかに置き忘れてしまったのかもしれない。

その時、なにかが、ふわりと俺の背後に舞い降りた。思わず振り返ると、それは、白い服をきた少女だった。

「…えっ!?」

背中には、大きな白い羽根が映えている。まるで、天使だった。

女の子は、夢をみているような目をして、俺に近づく。そして俺の<黒化>した腕にふれてーー。

「なんで!?」

少女が手をふれた瞬間、俺の手の<黒化>がなくなったのだ。

「君は一体…」

そう訊いたのに、少女は、そのまま倒れこんでしまった。

バタバタと、白衣を着た研究者たちが走ってくる。羽根の生えた少女を抱きかかえた俺と、倒れている少女を見つけて、研究者たちは顔を見合わせた。

 研究所は、病院の裏にあった。何か怪しい研究をしていると兄さんが噂していたなと思い出す。だが、その研究所で、実験着を着せられている俺にとっては、怪しいどころの話じゃなかった。

俺の体にあった<黒化>した部分は、胸のところを覗いて、ほとんど消えていたのだ。

「また「天使」が脱走したか」

「いや、守衛がわざと逃がしたと聞いたぞ」

「どちらにしろ問題だろ。しかも、一般兵士と接触しやがった」

そういって、研究者たちは俺を見下ろす。

「君には三つ選択肢がある。すべてを忘れたフリをして特攻隊になるか。いますぐここで死ぬか」

「どっちも同じじゃねーか! というか、三つ目は?」

そう聞いた俺の前に、あの「天使」が現れた。白い服を着ていた少女は、今は胸と下半身をすこし覆うだけの姿だ。そして…俺の手にあった<黒化>が、少女の腕にそのままうつっていた。

「あの子の面倒をみて、一生、この研究所から出ないこと。この研究は、国家プロジェクトだからな」

つまり俺には、死か、この研究所で「天使」の面倒をみるしか道は残されていない。もともと片腕しかなくなった身では、兵士に戻っても死ぬだけだ。答えはもう、分かり切っていた。

「天使」との日々は退屈しなかった。というより、大変すぎた。「天使」は毎日外に出ようともがく。カゴに入れられた鳥のように、窓の外をみて「ぴるるる」と鳴くのだ。

「なあ、お前、本当に人間なの?」

「ぴるるる?」

「鳥と人間を融合させたものだって聞いたけど。でもその羽根、飛べるわけじゃないだろ?」

「ぴる! ぴるるる!」

「なんだよ! 叩くなって! じゃあ、飛べるのか?」

「ぴる!」

「天使」は、大きくうなずく。声帯のせいで人間の言葉はうまく話せないが、理解はできるらしい。

「…そっか。飛べるのか」

俺は一人取り残されたような気分になった。

「俺みたいなのとは、大違いだな」

そう言って、「天使」の<黒化>したところを見る。

「…<黒化>が始まったのはさ、A-23cの武器を使い始めてからなんだって。放射能汚染よりもっとひどい兵器で、投下された地域は人間が永久に住めなくなる。だから禁止されてたけど、日本にも落とされたんだって」

「ぴる……」

「日本人は10歳から70歳まで男女ともに徴兵対象になって……。逃げられたのは金持ちだけ」

俺は、兄さんから聞いた知識を、「天使」に語る。本当かどうかも分からない。でも……。

「お前を研究してる人たちは、逃げた金持ちの<黒化>を消そうとしているんだろ?」

少女は驚いたような顔をした。それから息をのんで、目線を下げる。

「別に知らないふりをしなくてもいい。それくらいのこと、戦争やってれば簡単に分かる」

はあ、とため息をついて、窓の外の青空を見つめる。

「世界は平等じゃない。俺の為にはできていない。兵器を買えて、<黒化>を克服できるやつらのためにだけ、できているんだ」

 少女はもう、答えなかった。ただ、二人きりで、青い空の下でうつむいていた。 

「天使」の生活は規則的だった。

朝6時に起き、朝7時から風呂に入って服装を整え、「天使」のように美しく化粧されてからトラックに乗り込む。それから8時間かけてシェルターに向かい、金持ちの<黒化>を自分の体に吸わせる。それからまた8時間かけて研究所に戻り、就寝。

「ぴるるるる……」

「天使」は、金持ちのもとに向かうたびに、全身が黒くなっていく。<黒化>を吸うたびに、死に向かっているのだ。「天使」の首元はすでに黒く、頬のあたりまで侵食し始めていた。

「なあ、なんで、逆らわないんだ?」

「ぴる……?」

「このまま体中が黒くなったら、死んじゃうんだぞ。金持ちの<黒化>を吸っても、お前には金が入るわけじゃないのに……」

そう言うと、「天使」は俺の胸に手を当てる。胸にあった<黒化>が、あっという間に消えた。

「ばか! 俺のなんてどうでもいいんだよ! お前が死んだら……」

「……るるるるるる」

「天使」は突然、体を起こしてそう鳴き始めた。いつもの声とは違う。まるで何かを共鳴させる声。

俺と「天使」が入れられていたシェルターの隣からも、同じように別の少女の「るるるる」という声が聞こえてくる。その声は、次第にあちこちから響き、「天使」の少女たちの合唱となった。

「静かにしろ! 「共鳴」するならすぐに処分するぞ!」

管理官がそういっても、鳴き声はやまない。

「るるるるる……るるるるるる……」

そう「天使」が鳴きつづけると、段々と頭の中にある映像が入ってくるのを感じた。

それは、<黒化>が進んで、羽根まで真っ黒になって捨てられている沢山の「天使」たちだった。

「これが……自分たちの未来、だって……?」

「ぴるる……ぴる、ぴー……」

「天使」は、「だから気にしないで」というように微笑んだ。

「……違う。それじゃだめだ」

俺は、思わずそう口に出していた。

思い出すのは、普通の一軒家で、家族たちと、食卓を囲んでいた時代。 

普通に学校に通い、ガリガリ君をかじりながら帰った夏。寒い寒いといいながら、学校のストーブを横取りしあった冬。

あの日常が、もう一度欲しい。あの日常に戻るためには、誰も犠牲になっちゃいけない。

「俺たちは、兵隊じゃない。ただの中学生だったんだ……」

「……」

「学校のテストで赤点とったとか、あいつが告白して振られたとか、そういってはしゃいでる馬鹿な普通の中学生……。だから……その時代に戻らなきゃいけないのに……」

「ぴるる……」

「慰めるな! お前もだ! 何もかも諦めて死のうとするな! 抗え! 自分にはもっとちゃんとした人生があるって思ってくれ」

その声が、研究所の一室にひびく。この真っ白い研究所に囲われている身で、何を言っているんだと思う。それでも……それでもあきらめられなかった。

「そうじゃないと……俺たちはなんのために生まれたんだよ!」

その瞬間、背後が爆発した。

 

「うわあ!」

「天使」も俺も爆風にあおられて、部屋の隅まで飛ぶ。扉が爆風で壊れて歪んでいた。それを蹴飛ばして外に出ると、そこは地獄だった。「天使」の少女たちと、それを見守っていたと思しき子どもたちが泣き叫んでいる。「だめだ!死ぬな!」「いま助けを呼んでくるから!」「病院に爆弾が落とされた!」

そんな声が聞こえてくる。

どうしたらいいのか分からず、「天使」を見る。「天使」は頭から血を流して、床に倒れていた。

分からない。俺がどうしたいのか分からない。だって俺は、普通の学生だったのだから。ただの死にゆく兵隊だったのだから。それでも……ここにいちゃいけないことは分かる。

 

俺は、「天使」を抱きかかえた。

「……ぴる?」

「行くぞ!」

「……?? ぴるるる?」

「外に! お前は飛べるんだろう! ここから逃げられるはずだ。だから、早く!」

そういって、研究所の外へと走る。

「止まれ! 何をしている!」

そんな研究員たちの声が響いたが、他の「天使」や、「天使」を見守る子どもたちも、顔を見合わせる。今、何をすべきか気づいたのだ。

俺に続いて、他の子どもたちも、「天使」を連れて走り出す。

一度、雪崩になった勢いは止められなかった。

「待て。だめだ。戻れー!!」

そんな研究員たちの声にも振り返らず、俺たちは必死に外を目指した。扉をこじあけ、窓を壊し、外へと逃げる。

だが、外は爆風のなか。病院からも悲鳴が聞こえている。

だから俺たちは……「天使」だけを、空に逃がした。

「ああ……青いな」

空は、こんな戦争中だってのに、まるで嘘みたいに青い。

「飛んで行けよ。どこまでも……」

俺たちは地面に這いつくばるしかなくても、お前たちなら、どこにでも行ける。

 沢山の天使たちが、青空いっぱいに飛んで行った。

 地上に残った俺たちを心配しているものもいるが、「早くいけ!」という声で、安全地帯へと飛んでいく。そして残された俺にはーー声をかける者があった。

「おい、蓮!」

 その声に振り向くと、いつも一緒にガリガリ君を食べ、ストーブを奪い合ったアツシだった。

「アツシ! 何してるんだよ!」

「お前こそ! なんだ、ガリガリ君が買えなくて落ち込んでるのか?」

 そういって、肩を組まれる。ああ、懐かしい。そうだ。俺がほしかったのは、こんな日常だ。当たり前にあると思っていた、あの日常だ。

「ああ、きっと。その通りだ」

背後で爆発の音がした。それでも、もう、悔いはない。欲しかった「日常」に戻ってこられたのだから。

「それがおじいちゃんの昔話?」

あの爆風で両目の視力も失った俺は、片腕で孫たちに戦争の話をしていた。

「お前たちには遠い昔の話だろうがな……。俺は、昨日のことのように思い出せるよ」

「ふうん……。もっと楽しいこと思い出せばいいのに」

そういって、孫たちは隣の部屋に行ってしまった。

誰かが、俺の手をにぎる。それはシワシワの、だが、とても暖かい手だった。羽搏く音が聞こえた。あの戦争が終わってから、俺たちは一緒になった。

今は縁側で、お茶を飲む間柄だ。

「そう……遠い、昔の話だよ」

「天使」も<黒化>も遠い昔の話だ。けれど、確実に、俺が体験した話なのだ。 
空は、青い。まるであの日々と同じように。

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