タイムマシンの憂鬱

男「ちがう……ちがう…ちがう…………」

暗くて埃っぽい。小さな電球だけが辺りを照らしている、小さな部屋。鉄屑、何の役に立つのかわからない機械、薬品、チューブ……
ガラクタで埋め尽くされた部屋で血眼になり、これまた何に使うのかわからない機械を弄っている男がいた。
白髪混じりだが、肌質から想像される年齢にしては多めの髪、細いフレームの丸眼鏡、汚れた白衣…
今にも倒れそうなか細い声でぶつぶつと話しながら、ひたすら作業に没頭している。

男はタイムマシンを作っていた。

時間の流れという普遍の摂理に逆らい、過去や未来を自由に行き来するマシン。
科学によって否定されたそれだが、彼に科学の宣言などは関係がなかった。

男は十数年もの間、自らの生活習慣や一切の娯楽を犠牲にし、タイムマシンの研究に没頭した。
彼をそこまでさせる動機はただ一つ、今は亡き愛する妻だった。

男の妻は、彼の目の前で交通事故に遭い、死んでしまった。
男はその出来事を契機に、タイムマシンをつくり出すことに躍起になったのだ。

マシンに繋がっているコンピュータのエンターキーを押すと、男は手を止めた。

男「ついに……できた…………」

男の顔には、疲労のためかもの悲しそうな表情が浮かび上がっていた。
男はマシンに乗り込み、中のコンピュータに数値を入力する。
その数字はもちろん、妻が死んだ日付。

男「これで………」

真っ黒で何の飾り気もないボタンを押す。一瞬マシンが振動したかと思うとすぐに収まった。
男は扉に手を伸ばし、ゆっくりと頭から外に出た。

男「ここは…」

そこは先ほどまで作業をしていた汚い部屋とは違う。自家用車や多少の工具があるだけの、ごく普通のガレージだ。

男「成功したのか…」

男は少なからず感じた世紀の大発明への感動を振り払い、自らの目的を思い出した。

男「ここでいいはずだ」

男はガレージを飛び出し、10分ほど走ったところにある道に立って反対側の喫茶店をじっと見ている。
男は知っていた、というより覚えていた。妻がこの喫茶店にサンドウィッチとコーヒーを買いに来ることを。

じゃんけんで負けたために、彼女はここに来た。
抑え込んでいた後悔が、今になって襲い掛かってくる。

男「来た……!」

妻が通りの曲がり角から現れ、喫茶店へと歩いていく。

何も言葉が出ない。

妻が喫茶店に入り、列の後ろに立ってメニューを吟味している。
ショーケースに並んでるケーキやクッキーを見ている。
食べたいものが決まったのか、スマホに目を移した。
すぐに呼ばれたがスマホに集中していたせいで反応が遅れ、少し焦った素振りで店員の下へと向かった。
注文が終わると今度はスマホではなく、目の前でコーヒーが淹れられるのをじっと見ている。店員は妻に、コーヒーとサンドウィッチが入った袋を渡した。
彼女はそれを受け取り、店を出た。

少し行った先の公園前の交差点で、彼女は事故に遭う。

男「………………………………………」

男は彼女が角を曲がったのを見送ると、ガレージへと戻った。

男「これで、いいんだ…」

男はタイムマシンのコンピュータに数値を入力し、元の時間に帰る準備を進める。

男「…………これで……いいんだ……………」


もう何時間この状態だろうか。男は椅子に座って俯いている。
動かない。
もはや男は、役割を終えてしまった。
彼にとって、妻は全てだった。彼の生きる意味そのものだった。
しかし、彼はこの”タイムライン”で自分が妻との再会を果たすことができないということは、タイムマシンの研究を行ってすぐに理解した。

タイムマシンが時間の中を自由に行き来するには、時間というものが常にそこに“在る”必要がある。「過去」に飛ぶなら「過去」が「今」の時点で在り、「未来」に飛ぶなら「今」の時点で「未来」が存在しなくてはならない。映画を途中で巻き戻したりスキップしたりできるのと同じ原理だ。
タイムマシンはあくまで存在する時間を行き来するだけで、無い時空を生み出すマシンではない。それは神の領域だ。
つまり男の妻が死んだ時、そこには男がタイムマシンを完成させ妻が死ぬ前にやってくるという未来がすでに在った。
その未来が在るにもかかわらず妻が死んでしまったということは、男が何をどう足掻いても彼女の死は避けることのできない事実であるということを意味する。

彼はそのことを知っていたために、妻を助けには向かわなかった。なら男は、なぜタイムマシンの研究を続けたのだろうか。
彼が知的好奇心に溢れていたからだろうか?頭が狂っていたのだろうか?
恐らく、どちらも間違っているだろう。


男は妻の夢を見ている。
タイムマシンは朽ちていく。

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