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「次の総理」?河野太郎の原発観を斬る。2冊の本を読み比べてみた

 なんだか、このままの世の中の雰囲気だと次期総理は河野太郎さんになりそうです。永田町や霞が関を渡り歩いていた元記者の肌感覚からすると、河野さんを好きという人(政治家や官僚を含め)と、嫌いという人の差が激しく、「風」次第でどちらにも転ぶという見立てです。今回は「追い風」が吹きまくっており、4代にわたる政治家系の悲願となる総理の座は目の前でしょう。

 そうはいっても専門家の端くれとして、河野さんのエネルギー政策、とりわけ原発観について見極めないといけません。私自身は、北は北海道から、南は鹿児島まで、日本全国の原発関連の施設の大半を自分の足で回って、自らの目で見てきました。事故を起こした福島第一原発の内部には都合、7回は入っています。そうした経験や、原子力規制員会を丸4年間、取材してきた実務を含めて、河野さんの原発観を見ていきたいと思います。

 中でも、河野さんが書かれた2冊の本を読み解きたいと思います。福島の事故後の2011年11月に出した『原発と日本はこうなる』(講談社)と、最近7月に出版されたばかりの『日本を前に進める』(PHP新書)です。2011年の本は福島の事故が起きた年に書かれただけあって歯切れはいいですね。河野さんが「秘かにファンだった」と公言する「高速増殖炉」や「核燃料サイクル」については「亡国」とまで敵意をむき出しにしています。
 高速増殖炉とは、投じた燃料以上の燃料を生み出すことができる「夢のエネルギー」ともてはやされてきました。高速増殖炉原型炉「もんじゅ」については、私は何度も中を訪れており、もんじゅが廃炉になるきっかけとなるスクープ記事も書いたことがあります。

 もんじゅ廃炉が決まったあと、フランスと組んで高速増殖炉の実現(研究)の道を辛うじて延ばそうとしていましたが、いまはほとんどストップしています。国が高速増殖炉の基本方針を打ち出したのは1967年。最初は1980年代ごろに実現すると言われていましたが、おそらく2050年になっても実用しないでしょう。
 河野さんは本の中で「ある時代には正しい政策も、時代が変わると合理的ではない政策になる」としたうえで、高速増殖炉が生むプルトニウムが核兵器の原料になることなどをあげて、核燃料サイクルを「破綻した状態にある」と主張し、放射性廃棄物処理の問題にも触れて、「日本はどこへ向かうのか」と嘆いています。

 一方で、最近出された本は完全にトーンダウンしていますね。閣僚になったら「発言の自由はなくなる」と本の中で正直に認めてしまっています。この本のエネルギー政策は前著と比べ悪く言えば、内容はスカスカです。「原子力艦の災害対策マニュアルの整備」や「東電の工事遅れの問題」など自身の業績を誇示したあと、核燃料サイクルについては、核の拡散や放射性廃棄物の処分など、お決まりの論点を挙げているだけです。

 河野さんは総裁選出馬表明の際に、「安全が確認された原発を当面は再稼働していく」と述べ、メディアは「脱原発を封印」と報じました。しかし、2011年の本では、「自分は反原発ではなく、反核燃料サイクルなのだ」と述べています。メディアはレッテル張りするのが好きなので、真意は自分の目で確かめないといけません。私自身も、核燃料サイクルに夢を見ていた時代はありました。しかし、技術的な不確かさに加え、サイクルを担う組織のお粗末さを見る限り、河野さんの言う通り破綻していることは明らかです。

 では、原発の行く末はどうか。再生可能エネルギーの普及状況と、特有の不安定さを考えたうえで、地球温暖化の対応が求められている現状、河野さんの言う通り、「安全な原発は再稼働」が最も現実的な解でしょう。しばしば批判される「安全性」を担う原子力規制委員会の審査を長年、見てきた私には、過剰なまでの安全性が担保されていると思います。
 ただ、河野さんのこれまでの言動を見ていると、「反原発」の地金は見え隠れしています。総理の座まであと一歩まできているからこそ、今は不毛な障害を取り除く戦略をとっていると思われますが、やはり就任後、どう出るか。「政界の異端児」の異名を持つこともあり、良い意味でも悪い意味でも、何かしでかすのでは、という期待と不安があります。

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