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解説(前文、第1章総則、第2章国際平和及び協力)

条文の解説

(前文)

我々日本国民は、1947年に施行された前憲法が、第二次世界大戦後の日本の民主化と平和、そして発展のために大きな役割を果たしてきたことを踏まえながらも、時代の変化に対して、憲法の解釈と運用だけでは対応しきれなくなっていると認識した。そこで、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義という、前憲法の基本原則を維持しつつ、それを現代の必要に合わせて具体的に適用し、さらに発展させることによって、より良い日本の未来を築き上げていくために、ここに前憲法を全面的に改正し、新憲法として制定する。

(解説)

前文は、新憲法を制定する理由を簡単に書くのにとどめた。具体的な国の基本理念は、本文の第1章「総則」に書いてあるので、内容が重なるからである。私は、現行憲法の良かった点まで全面的に否定するつもりはない。むしろ戦後日本の民主化と、平和への決意を保つのに大きく貢献した点を、正しく評価すべきであると考える。しかしその後、時代と状況が変化しているのに、きちんとした憲法条文改正をしないで、その場しのぎ、なし崩し的な「解釈改憲」で対応するようになってしまった、そのことが問題なのである。だから現行憲法の三大基本原則を維持しつつも、その内容を、現代の世界と日本の必要に合わせて、具体的に規定し直すべきだと考える。それも、部分的に修正したり加えたりするのではなく、「新しい日本の姿はどうあるべきか」を考えて、全面的にゼロベースで「創憲」するのである。とにかく、これは過去を否定するのではなく、過去を踏まえた上で、現在の問題を解決し、未来のビジョンに向けて建設していくためのものである。


第1章   総則


第1条     (1)日本国は、民主、人権、平和を基本原則とする。
(2)日本国は、前項の基本原則に基づいて、以下の基本理念を実現する。
1、全国民が主権者として国政の運営に責任を持ち、主体的に政治に参加することによって、国民の自由な意思に基づく真の民主政治を確立すること。
2、国民の基本的人権を保障し、その生活の安定と向上をはかり、経済と文化を発展させることによって、全国民の幸福を最大限に実現すること。
3、国際協力を推進し、諸国民の共存と社会の発展に努めることにより、世界の平和と人類の福祉に積極的に貢献すること。

(解説)

現行憲法の三大原則である「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義」を、シンプルで覚えやすい標語として「民主、人権、平和」と表現した。そしてその具体的内容は、基本理念として第2項に明文化した。
(1)民主主義は、努力して維持していないと、いつの間にか崩れていくものである。今の日本も、投票率は低下する一方で、過激な発言する政治家が大衆の人気を奪うような傾向がある。民衆が政治に失望して無関心になり、みんながそう言うから周りを恐れて流されていき、大衆迎合の衆愚政治になり、それが全体主義と独裁政治を招く。これは日本と世界の歴史が証明している。このような最近の傾向に対して、私は強い危機感を持っている。だからこそ私たちは常に「自分たちが日本の政治を動かしていくのだ」という自覚を持って、自分から進んで積極的に政治に関わり、民主政治を発展・成長させなければならない。これは第40条にも、国民の義務として規定してある。
(2)基本的人権も同じように、単に尊重するだけではなく、常に努力して発展させなければならない。人権を広い意味で再定義して「一人一人が人間として大切にされて、幸せに生きていく権利」が保障される社会を、みんなで築き上げていく。このビジョン実現のために、国の政治や経済、文化の全てが動かされていくのである。
(3)平和主義も単に「もう戦争をしない」というだけではなく、積極的に平和を作り出す国となる、というビジョンを掲げる。そのために「自分さえ良ければいい」という、かたよったナショナリズムを排除して、あらゆる方法で国際協力を推進し、世界の平和と共生に貢献する。これは、第16条以下にも具体的に規定した。
・・・・このように、憲法の第1条で、国の基本原則と理念をはっきり提示することによって、国民全体がこのビジョンに向かって前進していけるようにした。


第2条     (1)日本国の主権は、国民にあり、全ての権力は、国民に由来する。
(2)日本国民は、選挙、投票及びこの憲法に定めるその他の方法によって主権を行使する。
(3)独裁、強権、全体主義、権威主義、軍国主義又は暴力主義的な政治は、どんな形態であっても、これを禁止する。国民は、この憲法に定める方法により、このような政治を排除しなければならない。それでも他に救済手段が全く存在しないときには、国民は、抵抗する権利を有する。

(解説)

国民主権は、この新憲法の第一原則である。国家権力が国民を支配するのではなく、国民が国家権力を支配するのだ。ただし、第1条の解説で述べたように、これを維持し発展させる努力を怠っていると、あっという間に独裁政治に逆戻りしてしまう。なので、ここでは国民の「抵抗権」を明文化した。これはドイツ連邦共和国基本法の第20条や「戦う民主主義」の考え方を参考にしている。しかしこれは、何も暴力革命やクーデターを勧めているのでは全くない。まず第一には、憲法システムの範囲内で国民主権を実質的に守るように最大限努力すべきである。しかし、この憲法の本質を無視した独裁者が一旦権力を握ると、ナチスのように憲法の規定を形骸化させて強権政治を行う可能性は大いにある。そのようなとき、国民はただ黙認してはならない。そのような政治に対してあらゆる方法で抵抗し、最後の手段として、みんなで立ち上がって戦わなければならない。そういう意味での「抵抗権」である。民主主義とは、制度の上に安住するものではなく、勝ち取るものなのである。


第3条     (1)天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は国民の総意に基づく。
(2)天皇は、国際関係において日本国を代表する。
(3)皇位は、世襲のものであって、法律の定めるところにより継承する。
(4)天皇は、国の象徴としての儀礼的な行為のみを行い、国政に関する権能を有しない。
(5)天皇の全ての公的行為には、内閣の承認を必要とし、内閣がその責任を負う。天皇の公的行為については、法律で定める。
 
(解説)

国民主権下での象徴天皇制は、戦後日本において、大部分の国民が大すじにおいて肯定的に受けとめ定着していると思う。しかし各論となると、感情・観念的論争があって非常に難しい。右寄り改憲論者はだいたい「天皇は国家元首だとはっきり規定すべきだ」と主張している。しかし「元首」と言うと、どうも明治憲法下の「統治権の総覧者」というイメージが強いようで、左寄りの人たちには受け入れがたいだろう。左派の憲法学者たちは「現行憲法では内閣総理大臣が元首である」と主張している。しかし国際的にみると、元首という地位は今日において、単に「対外的に国家を代表する者」を意味するように変化している。ヨーロッパで政治権力のない形式的な国王や君主はみな元首である。日本の天皇も、現に外交儀礼上では元首扱いとされている。なので、ここでは第3条第2項で「天皇は、国際関係において日本国を代表する」と、現実に即して表現した。実際には形式的意味での元首なのだが、「元首」と直接書いて誤解と反発を招くよりも、このほうが無難であろう。
 第3項の皇位継承については、女性天皇の可能性について色々と議論があるが、私自身もまだはっきりとした結論に至っていないので、法律に委ねることにした。しかし「皇室典範」という名前は明治憲法下の名残なので、ここでは単に「法律の定めるところにより」とした。
 現行憲法にある、首相と最高裁長官の任命権や国事行為のリストは、ここにはない。これらは形式的なものであり、実際には国会の指名や内閣の助言と承認に基づいて行っている。なので、試案では現実に即して、その大部分を内閣の管轄とした。そうでないと衆議院の「7条解散」のように、時の政府が解釈を変えて勝手に利用してしまうからだ。(この試案の第102条では、内閣の国会解散権は、内閣不信任案の可決後に限定されている。)残されたのは「儀式を行うこと」であるが、これは国事行為とは呼ばず「公的行為」として、やはり内閣の承認を必要とし、詳細は法律に委ねた。天皇は国政に関する権能を有しないのだから、このほうがシンプルで実態に合っていると思う。


 
第4条     (1)日本国の国旗は「日の丸」とする。
(2)日本国の国歌は、国民からの公募に基づき、法律でこれを定める。
(3)国旗及び国歌は、尊重されなければならない。但し、誰もその掲揚又は斉唱を強要されない。
 
(解説)
 
国旗は「日の丸」のままで良いと思う。しかし、国歌については「君が代」ではなく、新しい時代と日本のビジョンにふさわしく、国民みんなが誇りをもって歌えるような歌詞で、新しく作ったほうが良いのではないか。国旗国歌でいつも問題になるのは、教育現場でそれを強制されるのではないか、という点なので、上からの強要は禁止するべきだ。しかし歌というのは、くりかえし歌って覚えることにより、チームを団結させ、みんなが一つの目標に向かって努力するように心を励ます効果がある。なので、せっかく新しい憲法を制定するのだから、これを機会に、ふさわしい歌詞とメロディーを広く国民から公募して、みんなが納得して心から歌える新しい国歌を生み出すことが望ましい。


第5条     (1)この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、条約、命令及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
(2)日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守しなければならない。
第6条     (1)すべて国民は、この憲法及び法律を遵守しなければならない。
(2)天皇及び総理、閣僚、国会議員、裁判官その他の全ての公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。

(解説)

現行憲法の第98条と99条を、こちらに持って来た。しかし条約よりも憲法を上に置いた。憲法に違反するような内容の条約は、当然締結してはいけない。もし日本が、ある条約を結ぼうとするのにそれが憲法の内容と抵触するのなら、まず憲法を改正してから、その条約を締結すべきだ。日米安全保障条約を結んでおきながら、後でそれに合わせて憲法を解釈し直す、などというのは、本末転倒である。国際人権規約や子どもの権利条約などの条文も、どんどん日本の憲法に採用して取り入れれば良い。憲法とは、時代と世界の流れに従って、常に最新化、アップデートすべきものだからだ。
それから、国民の憲法法律遵守義務を明文化した。これはイタリア共和国憲法第54条を参考にした。主権者である国民が、自分で作った憲法と法律を守るべきことは、当然と言えば当然のことである。近代において憲法とは、国民が国家権力に対して守らせる中立的ルールブックのようなものであった。しかし現代の憲法では、国民と国家が一緒に共通の政策目標と方向性を宣言して「みんなでこれを実現しましょう」という内容となる傾向が強い。だから「国民がみんなでこの憲法を守っていこう」と規定するのは、意味があるだろう。


第2章   国際平和及び協力

 
第7条     (1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、紛争解決の手段としての戦争、武力による威嚇、武力の行使その他自衛以外の一切の戦闘行為を、永久に放棄する。
(2)国は、国際平和を維持し、紛争を平和的手段によって、国際法の原則に従って解決するように、最大限の努力をする義務を負う。
第8条     (1)国の平和と安全を守るために、自衛隊を設置する。
(2)自衛隊の最高指揮権は、総理に属する。
(3)自衛隊の統合幕僚長及び陸海空の各幕僚長は、内閣が任免する。
(4)自衛隊は、政治に介入してはならない。自衛官は、政党に所属してはならず、選挙及び投票権行使以外の政治活動をしてはならない。又、その在役中及び退役した後10年間は、総理、閣僚、国会議員、地方自治体の首長又は議会議員及び法律に定めるその他の公務員となることができない。

(解説)

いよいよ、戦後憲法論議の中心となる「憲法第9条問題」について述べる。私の試案では「自衛以外の一切の戦闘行為を永久に放棄する」と規定した。これによって、放棄したのは「紛争解決の手段としての戦争」つまり侵略戦争であって、自衛戦闘行為は合憲であることを、はっきりと明文化する。しかし戦争になる前に、それを予防するほうがもっと大切である。普段から外交と国際協調によって他国と良い信頼関係を築き、問題が起きてもそれを平和的に話し合って解決するように常に努めることを、国の最大の義務とする。しかし、それにもかかわらず他国が侵略して攻めて来る場合もある。そのときは自衛するしかない。そのために自衛隊を持つのである。自衛隊も軍隊なのだから「防衛軍」と書こうか迷ったが、戦前の軍国主義への警戒が強くて、反発が大きいだろう。今ではもう「自衛隊」という呼称がすでに定着しているので、結局今まで通り自衛隊と呼ぶことにした。これなら今の自衛隊をそのまま憲法上の存在と認めただけだから、より抵抗感が少ないだろう。自衛隊の最高指揮権は総理(首相)にあって、自衛官(いわゆる制服組)のトップである統合幕僚長と陸海空の各幕僚長は、内閣が自由に任命し、又は解任できる。そして自衛隊は政治的に中立でなければならない。戦前のように軍部が権力をもつことがないように、政治介入を禁止して、自衛官が政治活動をしたり政治家になったりできないようにする。このように、自衛隊を憲法上で明記することによってこそ、憲法規定によって自衛隊を民主的文民統制下に置き、軍国化の動きに歯止めをかけることができるのだ。


第9条     自衛官は志願制とし、徴兵制は禁止される。
第10条   防衛費は、国の緊急事態の場合を除き、名目国内総生産の1パーセントを超えてはならない。

(解説)

世界的に見ると、軍隊を志願制にしている国も多い(アメリカ、イギリス、ドイツなど)。日本では、徴兵制に対する反対は非常に根強い。なので、試案では徴兵制ではなく、現状の通り志願制とした。このほうが国民は受け入れやすいだろう。それから、防衛費GDP比1%枠を憲法で規定した。防衛費は保険料のようなもので、一旦心配し始めるといくら増額しても安心できない。何らかの歯止めがないと、不安と恐れにあおられて際限なく増大してしまう傾向がある。戦後の軽武装・経済優先路線、そして1%枠という基準は、良い歯止めとしてある程度は機能していたと思う。日本のGDPは世界第3位で分母自体が大きいから、その1%と言っても相当な額となり、防衛費は現在世界第9位の「軍事費大国」である(2021年の統計)。なのに「アメリカが要求しているから2%にしよう」などというのは、本当に国民無視としか言いようがない。このような軍拡路線をストップするための改憲なのだ。ただし、他国の侵略を受けて国の緊急事態のときは特別な支出が必要なので、その場合に限り1%を超えても良いことにした。


第11条   自衛隊は、国内での災害救助活動のために出動することができる。
第12条   (1)自衛隊が、国の防衛又は治安維持のために出動するには、事前又は事後10日以内に国会の承認を必要とする。
(2)自衛隊は、国際平和維持活動、海外での災害救助又は外国にいる日本国民の保護のために、当事国の同意を得た上で、国外に出動することができる。その場合、事前又は事後10日以内に国会の承認を必要とする。
(3)前2項において自衛隊が出動した後、国会の承認が得られないとき、又は出動の必要がなくなったときは、総理は、直ちに自衛隊の撤収を命じなければならない。

(解説)

平時において自衛隊の活躍が一番国民の目に映るのは、災害救助出動のときだろう。東日本大震災のときの自衛隊の活動ぶりを見たら、「自衛隊はいらない」などと言う人はいなくなると思う。国民を守るために、自衛隊にはこのような大切な役割があることを、憲法にも明記すべきである。侵略攻撃を受けたときの防衛出動と、国内で騒乱などがあったとき秩序維持するための治安出動については、国会の承認が必要である。自衛隊が海外に派遣されるケースは(1)国連のPKO(平和維持活動)に協力するとき(2)災害救助(3)外国で日本国民を緊急に救出する必要があるとき・・・の3つに限定される。これ以外の目的で自衛隊を海外派遣したら、その国を攻撃しに来たと思われて、戦争へと発展する危険性があるからだ。自衛隊を海外に派遣するには、まずその当事国の同意を得て、その上でさらに、日本の国会でも承認を得なければならない。もし緊急に派遣した後で、10日以内に国会の承認が得られなかったとき、又は現地での必要がなくなったときには、すぐに日本に戻る。このように、憲法規定によって具体的に何重にもチェック機能がかけられているほうが、ただ護憲を叫んで何の歯止めもかけられないよりもずっと安心である。


第13条   (1)国の安全に関わる重大な緊急事態が発生したとき、内閣は、全国又は一部地域において緊急事態を宣言し、法律の効力を有する緊急命令を発することができる。
(2)前項の宣言又は緊急命令は、その発令後10日以内に国会の承認を必要とする。承認が得られないときには、その宣言又は緊急命令は、効力を失う。
(3)緊急事態宣言と緊急命令の有効期間は、30日以内とする。延長するときには、国会の承認を必要とする。

(解説)

これは最近よく論議されている緊急事態条項である。この規定をナチスのように濫用・悪用したら確かに危険であるが、だからと言って「そんな条項はいらない」と言うのは飛躍しすぎている。「軍隊は危険だからいらない」と言うのに似ている。実際、戦乱や大地震、疫病など、いざというときに、このような規定がないために混乱することのほうが、もっと危険である。そうなってから対応するのでは遅すぎる。「備えあれば憂いなし」である。だから、世界各国の憲法の多くは、緊急事態条項を設けた上で、議会がそれを民主的に統制できるようにしている。この試案もそれにならって、国会によるコントロールを明文化した。自衛隊の防衛出動と同じように、事前又は事後10日以内に国会の承認がなければ、緊急事態宣言や緊急命令は無効となる。国会が開けないときには、国会の中にある常設委員会が代わりに決議できる(第84条)。国会議員の任期が切れているのに総選挙ができないようなときでも、新しく国会が組織されるまで、国会は継続して職務を行うことができる(第76条)。このような大事な規定は、法律ではなく、やはり憲法の中に書いておくのが望ましい。


第14条   日本国は、自国の安全と防衛のために、外国と同盟して行動することができる。
第15条   日本国は、世界中に存在するあらゆる核兵器、化学兵器、生物兵器その他の無差別大量破壊兵器の全廃を追究し、そのような兵器の製造、実験、搬入、保有又は使用を禁止する。

(解説)

第14条は集団的自衛権の規定である。今の国連は機能不全に陥っていて、集団安全保障を期待することはできない。しかし個別的自衛権だけで国を守るのは難しい。やはり日米安保やNATO(北大西洋条約機構)のような、外国との同盟が実際に必要である。しかし、アメリカの軍事戦略のために日本が海外派兵する事態にならないように、「自国の安全と防衛のために」同盟して行動すると書いた。
第15条は「非核三原則」の「持たず、作らず、持ち込ませず」を明文化したものである。フィリピン憲法にも非核政策の条項がある。日本は世界唯一の被爆国として、核兵器全廃を世界に訴え続ける責任がある。化学兵器や生物兵器も同様だ。

第16条   日本国及び日本国民は、世界中の全ての人々が、平和と安全のうちに生存し、基本的人権が保障され、経済的、社会的、環境的、健康的及び文化的必要が満たされることによって、持続可能な社会において共に生きることができるように、積極的に貢献する責務を有する。
第17条   日本国の国際協力の基本原則は、次の通りとする。
1、国際平和を維持し、民主化と人権保障を推進すること。
2、飢餓、貧困又は災害に対して人道的な援助をし、地球環境を保全すること。
3、経済と文化の発展、自助努力の支援及び国際交流を推進すること。
第18条   (1)海外における災害救助、難民救済、医療活動、人材育成、技術供与、福祉活動その他の国際協力を推進するために、国際協力機構を設置する。
(2)国際協力機構の組織及び権限は、法律で定める。

(解説)

第16条では、日本の国際貢献責務を規定した。ここには、現行憲法前文にある「平和的生存権」だけでなく、「持続可能な社会」や「共生」といった考え方も含めている。この国際協力の基本原則を書いたのが第17条である。そして、これを具体的に実行するために、国際協力機構(JICA)を憲法上の組織として明記した。日本は、経済発展や勤勉精神、利他的協調性などの面で、世界に模範を示すことができる。「世界に貢献する日本」は、軍事力によるのではなく「国がお金を出せばいい」というのでもない。平時から有能で献身的な人材を世界中に遣わし、その国の民衆のために現地で精一杯奉仕することによって、国民草の根レベルで信頼友好関係の土台を築いていく。これこそが日本の進むべき「積極的平和主義」の道である。





 
 

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