本当に空が狭かったのか
日光の門前町で生まれ育った。
大学進学のために、山形の地で初めて他の地域の風土に触れ、一人暮らしを経験することになった。
山形盆地の端の方に住んで印象深かったのは、「空の広さ」だった。
山形市の東方、大学も借りたアパートも少し高台にあった。
キャンパスからの眺めも絶景だったけど、大学裏手の「悠創の丘」からの景色や西蔵王の展望台からの大パノラマの絶景は、もうとにかく格別だった。
そんな空の広さに驚き、憧れた。
四年間住む中で、いつしかそれらが当たり前の風景になっていった。
でも、故郷の日光の空と比較して思い考えることが時々あった。
こんな空の広い環境で育まれた「風土」って、良いな。と。
全てがおおらかに見えた。
地形や環境がそこに住む人に与える影響ってすごく大きいのではないかと。漠然と。
今でも山形に行くたびに同じとことを思うし、個人的な思い出とかその他感情が色々と蘇ったりして、まあ、エモーショナルに傾くのだけど。
そして、羨ましく思うのだけれども。
でも、ここ最近は、日光の空がそんなに狭かったのか、とも思う。
日常の用事や仕事の合間に見上げ、眺める空は、実に様々な表情を見せてくれる。
毎日違う。
当たり前だけど、そんな当たり前をなぞりつつ、そんなものを吹き飛ばす美しさがある。
何より、日光連山と近隣の山々と、四季や日々折々の空の表情がある。
陽や雲、風、空気や温度、木々植物が織りなす、「日常であって、特別な風景」が。
季節が無くなってきている、と人は言う。確かに、極端過ぎる。
でも、微かな空の変化に、季節を感じることも(まだまだ)できる。
それで、日光の空も決して狭くはなかったろうと、今は思える。
贔屓目かもしれない。
でも、それが郷里・郷愁というものだろう。
この素晴らしさを誰に語ろう。
月並みだが、”日常の風景を愛でれるような日常を送れること”にあらためて感謝を。
NPO法人日光門前まちづくりnote部 | 岡井 健(世話人)
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