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今日は2011年3月10日かもしれない

東日本大震災後、伝え残すための様々な取り組みがこの10年の間にあった。

その中でも私の印象に残っているものの一つが、

今日は2011年3月10日かもしれない

と題し、2011年3月10日のツイートをサイト上に集めたものだ。



なんでもない日常のすぐ先に、非日常はある。
地震はまた必ずやってきます。
この文章を読んだ1分後かもしれないし、
明日かもしれないし、
10年後かもしれない。

だから、防災の準備がまだの人は、今すぐに」

3月11日ではない、3月10日なのだ。

「明日」「無事」「福島」「おにぎり」

というキーワードで、3月10日と翌11日のツイートが並ぶ。
それぞれの両日のコントラストが興味深い。
今だからそんな風に思えるのかもしれない。


特に「無事」というワードでいうと、10日と11日で、まるで意味合いが異なっている
10日には仕事や予定が“恙なく”進行、あるいは終了したことの報告が多い。
11日には身体の危険や命に関わる。
無事とセットのように「確認」も多く使われている。
(多分、安全という言葉もここではセットで抽出されているものと思う)
そして、自分の無事だけではなく、だれかの無事を伝言するものも、確認し合うものも、問いかけるものも増える。
それから、祈りを込めたものも。

あの、世の中ショック状況の中、こんなやり取りをしたのだ、と自分自身の行動も振り返りつつ、読むことができる。

一つのアーカイブの形としても、防災を意識するためのツールとしても、意義深いものだと思う。

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