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古い水鉢、新しい水槽 / しもつけ随想04

 ここ15年くらいの私の気がかりを打ち明けたい。
 だが、本題の前にまず一つお尋ねしたい。栃木県内で日光市域外の皆さまは、「日光」で思い浮かべる風景はどのようなものだろうか。極彩色の彫刻に彩られた日光東照宮の陽明門だろうか。はたまた、季節ごとに表情を変える奥日光の雄大な自然だろうか。もちろん人それぞれだろうが、まち歩きのガイドの現場でお客さまとの会話から読み取れる範囲では、この二つは常に上位を占める。
 さて、気がかりは何か。
 日光市は今から15年前に五つの市町村が合併して広大な行政区となり「日光」の指す範囲は膨大なものになった。元来の日光市で生まれ育った私にとっては、この「地名の拡大」が気がかりの元なのだ。ずっと。
 例えば「日光市街」と書かれた道路案内板を時折見かけるが、それが指すのはかつての日光の中心部ではない。こういうものを見るたびになんとも複雑な心持ちになる。正しいのだが、一種のねじれ現象と思えてならない。時に、理解することと、納得することは別だ。中には、同じような戸惑いがいまだにある方もいるのではないだろうか。
 この気持ちを例えれば、それまで住んできた水鉢(みずばち)から、ある日急に大きな新しい水槽に移された金魚のそれなのかもしれない。
水鉢は使いづらいしコストもかさむ、どうせ古いし、新しくて大きい水槽のほうが良いだろう、というような理屈が顕在化した。

 それで、地名と圏域について考える。6年前に、幸運にも大ファンだったNHKの「ブラタモリ」という人気番組の日光編の取材に協力し、地元の新たな発見や学びがたくさんあった。
この番組中では、土地の持つ記憶とまちの成り立ち、地形や地名の重要性などがしばしば登場する。地名の多くは地形や自然条件から読み解け、土地の成り立ちを知らせていると言う。
 ここへさらに暮らしやコミュニティが加わる。多くは住人の顔がわかり、同じ祭りに町内が集まる範囲だったり、地理や気象の条件が似ていたりする一帯を指すものかもしれない。
 コミュニティは変容するが、いくらネットで世界中を飛び回れても自己の実態と存在、所在は否定できない。近年の自然災害や疫病流行でもそれは証明される。ならば、まずはそうした圏域を大切にすべきだ。

 「暮らしの中で個人が認識できる圏域」と、そこに宿る地名は大切だ。しかし、それは平成の大合併を経た今、多くの地域でねじれを起こしているのかもしれない。
 ここまで書いたが、現在の日光市域を否定、非難するつもりなどはない。
ただ、アイデンティティーと誇り、愛情を持ったそれぞれの圏域があって、そこに地名が宿り、それ同士が依存ではなく尊重し合い交流や流通、連携があれば自然で良いのではないかと思う。自然体でなければ、地名を冠したブランドの芽など育たないだろう。
 決断や施策は時折不自然なねじれを生み、新しい大きな水槽は、元の文化を希釈する。多様性の尊重が叫ばれる昨今、ねじれて文化が希釈されたこの水槽は、古い水鉢で育った金魚には何かと気がかりが多い。

しもつけ随想_okai_04

[2021/11/10下野新聞掲載]

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