奥日光の中禅寺湖畔で考えたこと
休日。
奥日光へふらりと。
「ふらりと」と言う表現は、途中いろは坂が待ち構えている行程に相応しいかどうか。でも、車で2~30分で天空の湖畔に到着するのだから、表現としてはまあ良いのかな。
来るたびに、この自然環境の中に社寺と門前町があるということを再認識する。
ダイナミズムと信仰。
人はかつて、この自然の中に親しみや喜び、感動の他にも畏怖も見出したのだろう。
自然環境、風景から受ける印象やそれを起因とする心の動きによって住環境がかたちづくられる。
住は即ち生業。生業は町を生む。
日光の場合はこの側面が色濃く大きい、ということであって、どの地域にも当てはまるものであろう。
例えば、イザベラ・バードは、145年前の来晃で湯元は「美しい村」、鉢石ではスイスの景観に似ていると言っている。
バードの心を動かしたのは、金谷家に泊まったことが大きいのだけど、途中の環境や景観も大きかったことがわかる。
彼女が書き残したこと以外に何を感じただろうか。どんな事を思ったのだろうか。そんなことをつい考えて、勝手に想像してしまう。
あらためて、
こんな壮大な自然に「抱かれた」まちであること。
歴史・文化に「育まれた」まちであること。
を思う。
本当に月並みなのだが。
でも、そういうのは日常の中で得てして忘れがちになる。
時々、こうして思い出すのが結構大切なのだ。
NPO法人日光門前まちづくりnote部 | 岡井 健(世話人)
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