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地震・津波の史料を読む〜安政東海地震のかわらばん

手持ちの古い史料の中に「諸国大地震并大津浪」と題されたものがあった。
江戸末期の嘉永から安政期にかけて、地震が多発する。

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これは、そのうちの安政東海地震の被害状況と範囲を知らせるもの。所謂、かわらばんだと思われる。今から約170年前。
嘉永7年11月4日(1854年12月23日)に駿河湾沖で大地震が発生。
家屋の倒壊や火災が東海道沿いを中心に多数発生して、沿岸部の地域は広範囲にわたり津波で被災する。

この地震の翌日には、安政南海地震が発生、翌年には安政江戸地震が発生している。
安政東海地震は、正確には嘉永年間に発生しているが、これらの地震と合わせて捉えられることや、改元で「元年」となったことから、安政の呼称となっているようだ。

さて、このかわらばんを見てみると、
伊勢、三河、遠江から伊豆、江戸、飛騨、甲斐から信濃、相模、上野、下野まで実に広範囲にわたり描かれている。

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「大地しん(大地震)」
「大津浪」
の文字が見える。
そして、文中には「大そんじ」の文字がずらりと並ぶ。
各宿場のでの被災が顕著で、それが広範囲であったことが、これだけでも窺える。

それから、図では、まちに火の手が上がっている様子も描かれている。

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最後の方に日光山の被害状況も書かれているが、他の史料にはなかなかこの情報が見られないので、現在調査中だ。


再び全体のレイアウトやデザインに目をやると、この時代らしく、図の合間を縫い、テキストが紙面を埋めるようにびっしりと書かれれている。
当時のオーソドックスなレイアウトは、即ち、日本のデザインの原点を見ているようだ。

はて、これらは広く庶民が手に取ったものだったのだろうか。
発行の日付が不明確なので、どんなスピード感で刷られたものかがわからないが、現在の新聞同様に広く早く伝達するためのものだったように見える。

よく考えてみると、この後の安政年間にはコレラの大流行もあった。
大変な時代だったのだと、眺めながら改めて思う。
そういう時代を生きる、というのは当時の人々にとってどういうことだったのだろうか、とも。

引き続きこういう史料を読み解きたいと思う。

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