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「ホタルイカの身投げ」を撮って後悔している話

深夜の海岸線が青白く光る―毎年、春になると富山湾で「ホタルイカの身投げ」という現象が見られます。ホタルイカはふだん深海に生息している生物ですが、3月~5月頃にかけて水面近くまでやってきて、産卵します。その後また海深くへと戻るのですが、月明りのない新月の夜、方向を見失ったイカが誤って浜に近づき、波につかまって浜に打ち上げられるというのです。自らの意思に反して死を遂げるのに「身投げ」と呼ばれるのですから、ホタルイカとしてはやるせない気持ちでいっぱいでしょう。

さて、これまでの話はあくまで一説にすぎず、現代の科学をもってしても未だその生態が明らかにされていません。ゆえに出会えるだけでも幸運。海が青い光で埋め尽くされているような、いわゆる「絶景写真」を撮影し公開していたのは数人だけ。あとは点や線が疎らにあるような写真ばかりでした。この現象、地元の新聞ではたびたび紹介されることがありましたが、全国的な知名度はほとんどなかったでしょう。

偶然が産んだ写真

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2013年、当たり年がやってきました。3月某日の朝刊で、「ホタルイカの身投げ」の第一報が飛び込んできたのです。記事にある写真では数匹が光っているだけでしたが、写真であたまがいっぱいの当時、それを聞いて居ても立ってもいられなくなり、浜へ向かったのです。夜11時の浜にはホタルイカが数匹いる程度。今日はハズレかと肩を落としていたところ、少しずつ青白い光が増えているではありませんか。時刻は深夜0時。それから10分後、やつらが大量発生して、浜辺は真っ青に。また10分も経たないうちに、もとの海に戻ってしまいました。シャッターチャンスはわずか5分。毎日のように通っている地元の人さえも「これまでに見たことがない」とおっしゃっていたほど。初めて訪れた浜で、偶然撮れた一枚。それがきっかけとなって写真の道を歩むことになるのですが‥。

ホタルイカは世界へ

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当時18歳、撮れた写真に大満足して、すぐにでも見てもらいたいという欲求に駆られ新聞社に写真を持込みました。しかし、ちょうどその日の朝刊でべつのホタルイカの写真がコンテストで一位を獲得したという記事が載っており、内容の重複になるからという理由で掲載を断られました。ならばとブログで写真を公開したところ、少しずつネットでの反響が出始めました。それから1年後の春、国内外のメディアから写真を使いたいというメールが来るようになりました。転機が訪れたのは、絶景の案内人として活躍されている詩歩さんの著書『死ぬまでに行きたい!世界の絶景』への掲載です。この本が発行されるやいなや、雑誌やテレビで「ホタルイカの身投げ」が次々と取り上げられ、インターネット上でも関連情報が急増しました。もちろん僕の写真も世界中に拡散されました。

浜辺の憂鬱

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「自分の写真が世界中に広まるなんて!」そんな楽観的な気分になっていたのですが、この年の浜に行って驚きます。ライトと網を持った人で埋め尽くされているのです。写真を撮影する前からホタルイカを捕りに来る人はいましたし、その数も少なくありませんでした。しかし、明らかに人の数が増えているうえに、若者の集団や家族で見物に来る人がいたのです。中には、僕の写真を見てドバイからやってきたという家族もいました。

写真を撮ろうと三脚を構えても、ライトの光が邪魔になって撮れません。人がいない場所をと海岸線を歩き続けても、どこまでも人がいて全く撮れないのです。結局この年に大規模な身投げはありませんでしたが、もしあったとしても写真を撮るのは難しかったでしょう。

さて、こうして写真が撮れなくなることを嘆いているのではありません。問題は人が増えていることなのです。浜といえども近くには生活をしている人がいて、民家があります。しかし、それを気にもとめず深夜に次々と車が通り、禁止区間での路上駐車が当たり前になり、焚き火をする者で浜は汚される。受け入れ体制の整っている観光地なら、観光客が増えれば地元経済が潤います。しかし、この場所はそうじゃない。「夜にうるさくて困っとる」という声も耳にします。

「絶景」の安売り


そんななか「絶景ブーム」がやってきました。タイトルに「絶景」とついた本が次々と出て、ウェブメディアも絶景特集を始めました。世界中の写真家が撮った写真がかき集められ「絶景」の百科事典ができました。その多くが綺麗な写真であることには間違いないのですが、これに疑問を感じます。

なぜか。それは写真を見ただけでその景色を「絶景」として分類しているからです。僕は写真を生業としている者ですから、ひと目見ればどういう場所で、どのように撮影して、どう加工してあるかなど分かります。たとえ美しく見えたとしても、逆算して実際の撮影条件を考えると果たして絶景と言えるのだろうかと考えてもしまいます。無論、「絶景」というのは主観的な価値ですから、それについてとやかく言うつもりはありません。ただ、編集者の評価がその景色に対してではなく、あくまで写真に置かれていることから、絶景集ではなく「見栄えのいい写真集」になってしまっているのではないか、と疑問を持っています。

また、行ったこともないのに、聞いたわけでもないのになぜか詳細な説明が書かれているものがあります。たとえば冒頭でご紹介したホタルイカの写真を見ただけで「目の前が青い光で埋めつくされる絶景です」と紹介する方がいらっしゃいます。しかし、撮影者として断っておきますと、そんなことはありません。たしかに写真の上では海岸線が青い光で埋めつくされますが、これは大量発生時に長時間露光をしているために、光が軌跡となって撮影できるものです。ですから「海岸線が青い光で埋めつくされているような写真」があったとしても、「海岸線が青い光で埋めつくされている」わけではないのです。

いま「絶景」が溢れています。しかし、何が絶景なのか分からなくなって、結果として絶景の全体的な価値、そして言葉の価値までもが落ちてしまったように感じられます。

ホタルイカの写真を、場所を、情報を、インターネットで公開したことで、自分で自分の首を絞めてしまいました。撮りたくても、もう同じような写真は撮れないかもしれない。そして、写真の知識のない人には「こんな景色が見られるかもしれない」という誤解を与えてしまったかもしれない。これはやりたかったことと正反対。富山という地が好きで、知られていない魅力をもっと知ってほしかった。地元の方々に誇りを持ってほしかったのです。

写真はとても曖昧なメディアです。使う人によって、添えられる文章によって意味が180度変わってしまうこともある。だから、写真がひとり歩きしないよう、撮ったあとにまで気を配るのが撮影者の努めではないのでしょうか。

※この記事は2016年に筆者ブログ(現在はWEBサイト改修のため削除済)で公開した「ホタルイカの身投げを撮って後悔した話」に加筆修正をして再掲載したものです。


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