乱気流に戯れる前髪と歩調のリズム
私は曲の歌詞を覚えられない。
突然、大人のハンガーのぼる、僕ラララシンデレラさとか歌いだす。ほんと、かえって歌詞を確認したらいいのに。そういうマジメな情念は、ビルの間を流れる乱気流によって立ち消えになってしまう。
意味不明に言葉を喋ることの楽しさ。
小学生と最近会話する機会が多いのだが、彼らは本当に、意味もなく言葉を挟みたがる。
私がしゃべっているところに、全然関係ない話をしたり、変な言葉を叫んだり、突然鼻歌を歌いだしたり。
正直、イライラすることも多い。
これだけは今日伝えなきゃなってマジメに思っているときは特に。一生懸命喋ってんのに、無駄な言葉で立ち消えになってしまうのだ。子供の言葉は乱気流だった。かたく建てられてしまっているビルの間を、ぶつかりながら勢いを増していく。
ビルがたくさん建っていればいるほど、乱気流はひどく荒れていく。まるで、ビルだけが人生じゃないぞ――と私たちに警告するように。
ふと、会話って何だろう――と思ったりする。
小説を読んでいて不満に思うことがある。
それは、会話の行儀の良さだ。
基本的に、誰かが「」でしゃべっているときに、ほかの人が割り込んでくることはあまりない。あっても一回だけ。例えば、
「じゃあ、これから授業を始めたいとおも――」
「先生!」子供が突然手を挙げた。先生はそれに動じず、生徒に優しく語りかけた。
「発言は、あいさつの後にお願いしますね」
これ、これが関の山だ。
でも、実際の授業風景はどうか。
「じゃあ」「ぎゃは」「これ」「うわー、算「うひーっ」数「授業を」やだよ」「始めた「ねえねえ「帰り「この前の」たい」見た?」始めたいと「うわあああ!!」おも――」
「先生!」子供が突然手を挙げた。先生はそれに動じず、生徒に優しく語りかけた。
「うわあ!」「あいつ急に「発言は、」なんだよ「あいさつの後」、急に手を挙げちゃって「お願いします」「告「男子は」白!?」ね「……」」
こんな感じでしょ。読めない? 読めないよ!
マジで、子供が一斉に喋るとほんと、何にも聞こえないんだから。たまにこうやって「先生!」って目立つ声があるから、それが聞こえるくらい。
実際はみんながみんな好き放題喋っている。なのに小説ときたら――静かすぎじゃない?
しかも、みんなちゃんと会話してるし。
絶妙に会話になっていない二人の掛け合いがある小説で、すぐ思いつくのは「星の王子さま」だ。
「ねぇ君、君はどこからやって来たの?君の家はどこなの?僕の描いた羊をどこに連れて行くつもりなの?」
彼は黙って少し考えた後に答えました。
「君が僕にくれた箱の良いところは、夜になれば羊の家として役立つところだよ」
「たしかにね。もし君が行儀よくしていれば、昼のあいだに羊をつないでおくロープも描いてあげるよ。それから杭も」
その申し出は小さな王子さまに不快感を与えたようでした。
「ロープだって?おかしなことを考えるなぁ!」――『星の王子さま』訳:翻訳書庫様
この絶妙な掛け合いがたまらないよねえ! リアル。すんごくリアル!
「彼」は、ここでは王子さまのことですが、彼は「私」の質問に一切答えず、羊の話を続けている。
また、「ロープ」に不快感をもっている。これはきっと「ロープ」という言葉に対する印象が全く違うからだ。
ここらへんから、「私」は「小さな王子さま」と共有している常識が微妙にずれているということを推測している。結果的にそれは「住んでいる惑星の規模」だったわけだけれど、それは「ロープ」の持つ印象に影響を与えていた。
スケールを大きくすると、持っている知識とか、生活の背景とか、常識とかいろいろなものが、それぞれによってずれているんだから、こうやって会話がすれ違うのは当たり前なんだよね。
日常を見つめ直すと、それが特によく分かる。あれ? 今なんで会話成り立ってんだ? ってなるから。やってみて、会話に飽きたときとか。
それをもっともダイレクトに表現しているのが、今のところ私はサリンジャーだと勝手に思っている。
サリンジャーの小説にはめちゃくちゃ衝撃を受けた。私が読んだのは『ナインストーリーズ』の中の、「コネティカットのひょこひょこおじさん」。これ、マジでやばいんだよね。すごい。全然会話が嚙み合ってないし、お互いそっぽ向きながらしゃべってるし、言ってることと考えてることと全然違うし。
だから、ストーリー展開も非常に不思議な形で終わるんだけれど。今ネットで調べたら、なんかいっぱい解釈が出てんな。
リアリズム風を装って、そういう小説的な楽しみを損なわないのもサリンジャーのいいところかもしれない……って感覚は、この記事の趣旨から反れそうだ。今言いたいのは、会話がいかにめちゃくちゃか――ということだ。もうね、あれ読んだら、普段読んでた小説の方がおかしいんじゃないかって思うようになっちゃうよ。
(今手元にないので、引用できないです、ごめんなさい……くっ……)
ただ、小説的なフィクションを否定しているわけではない。
全部が全部、さっきの小学生みたいな会話文になったら、とてもじゃないけれどおもしろくない。嫌だ。おとなしく読ませてほしい。
でも一方で、会話はやっぱりめちゃくちゃなんだよ――ということを念頭にも置きたいよね。小学生向けの教育本にはよく「きちんと会話をしましょう」的なことが書いてるけれど、会話は決して小説的じゃない。一対一対応でもない。重なるし、不規則だし、乱れるし、突発的だ。
ビルの合間を縫うように歩くとき、四方八方からくる風に、私は悩まされる。せっかく整えた前髪がバラバラになる。そのたびにコームを取り出して梳くのだが、乱気流はそれを許さない。
アスファルトの上でふと考える。いつから私は――こんなにマジメになったのか。鼻歌でも歌ってみるか。うん、そうしよう。
大人のハンガーのぼる、僕ラララシンデレラさ――……
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