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「変人」という言葉について思うこと

 私はわりかし、いろんな人から「変人」と呼ばれる。実際変人だと思う。
受け答えが、ほかの人とはちょっと違うところがあるなあと思うところはあるし、じゃあ、同じように回答できるかって言うと、多分できないんだろうなあと思う。
 一回はできても、それを持続させることができなさそう。ピンと来てないんだし、違和感が邪魔をする気がする。

 でも、よくよく考えてみると、私からしてみれば、ほかの人の方が「変人」に見えるときがある。
 会話してて、これ会話になってないなってときとかたくさんある。私は、結構会話に気を付けている(つもり)なんだけれど、「それ、ズレてね?」って思っても、みんなそれをスルーする。例えば、

「あそこの店、めっちゃかわいくない?」
「え、まだ行ったことない!」

 こういう会話が割と結構ある。
「めっちゃかわいくない?」って聞いてんだから、普通は「そうだね、かわいいね!」っていうところでしょ? 小説だったら、そうやって書かないと赤ペン入れられると思う。意味が分かりません、みたいな。

 ――でも、成り立つんだよね、会話が。何が前提になっているんだろう。「かわいい」って相手に投げかけるとき、もしかしたら「うん」という返答を必ずしも期待しているわけではないということなのかもしれない。
「かわいいと同意してくれる」というのは、もはや前提で、その上で、「まだ行ったことない(から行こう!)」と返答する。

 この(から行こう!)がやばい。これが聞ける人と聞けない人で真っ二つに分かれると思う。聞ける人は、「よし、じゃあ今度の土曜日で」というだろう。すぐに予定を取り付けることができるのは、陽キャの属性的特質だ。
 しかし、聞けない人は、「私も行ったことないなあ」と言うだけ。だから、一緒に行くという選択肢に一瞬の隙間が生じる。この場合は、きっと「じゃあ行く?」となってハッピーエンドかもしれない。でも、この隙間が「コミュニケーション」に積もって山となることで、結局陽キャに差をつけられるということになる――

 という会話を垣間見て、君たちの方が「変人」では? って思わないかな。思うよね、なんでそんな無言の前提を共有できるのか。
 よしんば共有できたとして、なぜそこまで相手を信頼できるのか――謎だ。どう考えても「変人」だと思う。

 私はそこまでできないので、会話は比較的人よりも注意深く聞く。本当に、いろんなところで、こういう雑多な前提がたくさんあることに気が付く。

 一番ひどいのは、ニュース番組の評論家の言葉ね。あれ、注意深く聞いてみてよ。マジで意味わかんないから!
 あれ、本当に同じ日本語? って思う。暗黙の前提になっている謎の知識がたくさんちりばめられているし、専門家にしか通じないような専門用語はたくさんあるし――いや、でもそんな難解な日本語なのに、共演しているタレントとか、後は同じ番組を見ている友達とか家族とか、「ふんふん」とうなずいて聞いている。
 うける、なんなんだ。んで、指摘すれば私の方が「変人」なんだ――だから、私もよほどのことがない限り――あるいは相当相手を信頼していない限り――あんまりああだこうだ言わないようにしている。「ふんふん」これでオーケー。

 本当の変人は、もしかしたらこういうことを考えない人なんじゃないか――と思う。
 私の周りの、ガチの「変人」は、こんな余計なことを考えない。ただ、変なことを言う。「あの店かわいいね!」「タランチュラみたい」……。変人っていったいなんなんだ――

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