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優れた指導者は本質をシンプルに伝える

オーストリアから帰国しました。

通常、ヨーロッパからの帰国は酷い時差ボケに追われるはずなのですが、どうやら普通に過ごしています。たった1週間の滞在だったからなのかもしれません。。

優れた指導者。

何が優れているかにもよりますが、実績を残してきた指導者は、日本でも同じことが言えるのですが、本質を追求してテニスコートでの仕事に没頭しているということです。

もちろん仕事は没頭するものですので、当然なのですが、、
指導者は色々なことを教えすぎないことだということでもあります。

人格者を育てる。

おそらくほとんどの指導者はテニス選手の成功も大切だと考えますが、それ以上に「人として、、」という人間力を求めると思いますし、私もそう強く思って指導現場に立ちます。

従って、指導者の経験値は多岐に渡る必要があると思い、物事を語る上で視座が高くないといけない。そう考えるのは必然です。

もちろん、そうであることに越したことはありませんが、人間力を育てるというのはテニスを通じて結局、シンプル(単純)で、

選手に成功体験を植え付けること、自信を持たせること

目標と現実のギャップを埋めていくこと

試合に勝たせること

そうなると当然、指導者は長期的な視野で選手を育成しなければならないという点。

またそういう目的意識の中で敗戦と向き合い、困難を向き合う。
テニスは「負けるスポーツ」なので、当然ながら敗戦と向き合うことの方が多いはず。

つまり、敗戦やうまくいかない困難とどう向き合うことが大切なのか?は言うまでもありません。

ただ、「勝たなければ次の機会は訪れないよ」というのも事実であり、勝つために心技体智を鍛えるという習慣を伝えていくのも指導者の役目です。

「負けてもベストを尽くせばいい」は言い訳にしか過ぎないのではないか。

「負け」についてごっちゃ混ぜになっているのではないかと思うこともあります。

試合結果で罵倒したり、態度が変わったり、浅い知識で色々とアドバイスしている親を度々見かけますが、私からすれば、じゃあ親がコートに入って試合してみたらどう?と言いたくなります 笑

そんな話はさておき、、、

ここで言いたいことは、
試合の負けは結果であり、転ぶ、エラーする、失敗するというのは本質を学ぶレッスンだと考える、いわゆる豊かな経験だということ。

ただ、我々は弱い生き物なので、自分に「負け」てしまうことが度々あります。だから、自分に負けて、でもベストを尽くしました。というのは腑に落ちません。

そうであれば、
自分に負けました。逃げました。」

と現実を受け入れる選手の方が人間力の高い選手へと成長する道ではないかと思っています。

そうやって、弱い部分は誰にも見られたくない、見せたくないのが本音ですので、
弱みを見せる、弱みを認める選手を
「勇者」と称えています。

人は必ず自分に負けた瞬間は覚えていますので、

どう在るべきか?
どう生きるか?
どう向き合えるか?

相手と対峙した際、プレッシャーの中で戦い、ドッグファイトを通じて成長するには勝負の本質と向き合う必要があるということです。

そういう本質をシンプルに伝えていくことが指導者の役目の一つであると感じています。

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