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本屋という「街の風景」の残し方を考える

明けましておめでとうございます。

2022年10月1日に神奈川県小田原市に「南十字」という本屋さんを開業し、お店で店番をしながらWebサイトをつくったりする仕事をしている剣持貴志と申します。
https://twitter.com/minamijujibooks

今まで、noteには自分の考えていることやUXデザインに関することなどを時々書いてきましたが、本屋を始めたというのもあるので、2023年はその辺りでの気づき&学びを含めてnoteを更新していきたいなと思っています。

月に2回くらい書けると素晴らしいな!と思っていますが、こういう目標は実行できたことがないので、新年の始まりらしく「ぼや~とした自分への課題」としてここに書いておきたいと思います。

本屋は儲からない。

まず始めに、本屋を3カ月やってみた率直な感想&よく質問される「本屋さんて商売として成り立つの?」というところから。

答えは明確で、本屋はぜんぜん儲かりません。

1年くらいやってみないと分からない部分も多いと思いますが、普通に賃料を払ってテナントを借りている状態であれば、個人で始める独立系本屋で一般の会社員並み(例えば額面450万円くらい)を稼ぐのは不可能だと思います。

450万円じゃなくても、200万円くらいはどうなの?
と聞かれると、それもけっこう難しい。

というか、家賃や光熱費などの毎月発生する経費と本の仕入れに必要なお金を店の売上(利益)で賄えれば上出来で、人件費として個人的な月収を10万円でも確保できればすごいな!と感じます。

本屋が儲からないのは日本全国で本屋さんが閉店しまくっていることや、自分自身の日常生活でインターネットが占める割合を考えれば自明のことですが、お店を始めてみての実感として「うん、これは厳しいね!」というのを日々の数字を見ながら噛みしめているところです。

※ 南十字は私も含めて3人のメンバーで運営していて、それぞれが本業で稼ぎつつ本屋をやることでお金的な部分を成り立たせています。

本屋は儲からない。けど、とても楽しい。

これも本屋を3カ月やってみての率直な思いです。

本屋さん、とても楽しい。

わざわざ会社員を辞めて本屋をやろうとするような人間なので当然と言えば当然なのですが、本屋という空間そのものや、本というモノ、読書という体験が好きで、その好きなものを自分たちで作り出せるということ自体に大きな喜びがあります。

自分の場合はずっとWeb関係の仕事をしてきているので、自分がつくったものに対して目の前にいるお客さんから感想を頂けるのもとても新鮮です。

Webの仕事の場合、自分が関わっているサイトやサービスを「○○人が見ている」というのを数字として知る事はできますが、実際に利用している人がソレに触れた時にどんな感情を持っているのか?どんな感想を持ったのか?などを知る機会はほぼないので、そのあたりに対する「手触り感の無さ」みたいなものも、Webの仕事をしながら本屋を始めた理由の一つになります。

Webサイトをつくって「月間○○万PVです!」と言われてもあまりピンときませんが、本屋をつくって目の前にいる一人のお客さんに「こういうお店ができて嬉しいです。また来ますね!」と言ってもらえるのでは、後者の方が体験としての満足度が明らかに高いですね。

本屋という街の風景

平日、天気の悪い日などにお店で店番をしていると何時間もお客さんが一人も来ない時があります。「超絶暇だなぁ~」と思いつつ、これも考えてみると当たり前なのですが「自分がお客さんとして行かない時もお店は存在していて営業している」という事実に気づかされます。

そんな時にふと「なんで本屋なんて始めたんだろう?」と考えていると「あぁ、自分の中で本屋というのは山とか川みたいなもので、風景の一つなんだな。そして、街の風景の中に『本屋』が在って欲しいと思っているんだな。」という自分の気持ちに気づきました。

雷鳥社さんが出版している「街灯りとしての本屋」という素敵な本がありますが、まさにこのタイトルの感じ。

「風景」というと、山や川、海などの自然が真っ先に思い浮かびます。

田舎に帰ったときに少しの懐かしさを覚えながら眺める自然の風景は「自分がそこに行ったかどうか?」に関係なくずっとそこに存在しています。(大規模な開発、環境破壊的な話はここでは触れません。)

でも、お店は誰かが行かないと当然潰れていきます。

小さい頃から好きで通っていた駄菓子屋さん、おもちゃ屋さん、本屋さんなどがいつの間にかコンビニや駐車場になっているのを見て「あぁ、あのお店無くなっちゃったんだな…」と寂しい思いをしたことがある人は多いかと思いますが、当然こういう "お店 " は一定のお客さんがいないと商売として成り立ちません。

お客さん側の視点では、何年かに一度、田舎に帰った時にまだそのお店があると「おぉ、まだやってるんだ。懐かしいなぁ…!」と少しあたたかい気持ちになるような、あなたにとっての街の風景の一つになっているお店。

お店側の視点としては、毎日同じ時間にお店を開けて、閉めて。いろいろな工夫をしながら商売をしていても大きな時代の流れに抗うことは難しく、限界がきて廃業してしまう。

そんな「たまに行ったらやっていて欲しいお店=街の風景として在って欲しいと感じている場所」と「実際に行く頻度=お金を使う頻度」にギャップがある。そしてそのギャップをどうにか埋めないと、日本中から「街の風景」が消えてしまい、どの街も同じようなチェーン店が並ぶようになってしまうんだな。

みたいなことを、雨の日のお店の中で「超絶暇だなぁ~」と思いながらぼんやりと考えています。

市が運営する本屋

イチ消費者として考えると、Amazonが無い生活は考えられません。探している商品はすぐに見つかるしすぐ届く。ポイントも貯まるし、プライムビデオも見れて最高です。

でも、普段の買い物をAmazonで済ませることによって、街の風景が居酒屋、コンビニ、牛丼屋、ファミレス、ドラッグストア、ユニクロ etc だけになることを積極的に望んでいるか?というとそういう訳でもありません。

素直に言えば「これからもAmazonで便利に買い物したいけど、街にある自分の好きなお店は残っていて欲しいし、いろんな街がその ”らしさ” を残して存在し続けて欲しい」と思っています。

自分自身の購買行動とは矛盾しますが、多くの人はそんな感じなんじゃないでしょうか?

そうなると、誰がどうやって「街の風景」を維持するのか?という問題が残りますが、例えば青森県の八戸市が運営する書店(図書館ではなく書店です)八戸ブックセンターなどは参考例の一つになります。

「書店としての経営を考えると、どうしても売れる本を中心に売り場をつくっていく必要があります。そうすると、売れ行きが見込みづらい専門書的な本や特定のジャンルの本が置けなくなるなど、本を通して出会う世界が限られたものになってしまいます。本との豊かな触れ合いを残していくことが、八戸にとって重要なことだったんです」

出典:なぜ図書館でなく”市営の本屋”? 青森「八戸ブックセンター」置くのは売れ筋よりニッチ本、出版も

普通に考えれば、お店が潰れるのは「需要が無いから」で経済合理性に沿った当然の結果です。

でも、八戸市では「経済的合理性に任せているだけだと八戸市で本を通して出会える世界が狭いものになってしまう。」と危機感を持ち、市として税金を投じて本屋を運営している訳です。

「お店に行って商品を買う」以外の関係性の保ち方があっても良いのでは?

普通に今の経済の仕組み通りにお金が流れていけば無くなっていく街の風景。でもそれは本当に無くなって良いものなのか?Amazonを利用する事で本当に私たちは「街の風景が無くなっていくこと」を選択したのか?

スマートフォンの圧倒的な便利さに驚き興奮しながら買い物を楽しんでいるけれど、それと引き換えに失っていってるものに自覚的になれてないだけではないか?

自覚的になれれば、もう少し何かできないかと考え行動する人も一定数はいるんじゃないか?

そんなことを考えていると今の仕組みが全て正しい&上手くいっているとは思えないし、やってみないといけないことはいろいろある気がしています。

2023年、南十字で試行錯誤しながら「街の風景の残し方」を考えて、楽しみながら実践していきたいと思っていますので、今年もどうぞよろしくお願いします。



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