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原稿とラブレターとカレー

編集者と名乗っても今ひとつ伝わらないことも多い。若い人からはYouTubeですか?と動画編集をしていると思われることもある。いや、それも昔少しだけ仕事にしていたけれど、その時代はテープを使ったアナログな編集だったし…
そんな時には「ライターです、取材して原稿書いたりしてます」という。これなら皆さん分かってくださる。ただ原稿書きが天職!と言い切れるほど、自分の書く文章に自信を持っているのかと聞かれると(お仕事として書いているのに申し訳ないんですが)そんなに自分の書く文章が好きではなくて…なんというかエモく無いんですよ、僕の書く文章って。

なので可能であれば(予算が許せば)企画&ブッキング&立ち会い&原稿確認は責任を持つので、原稿と撮影はライターさんとカメラマンさんにお願いしたいというのが本音。それが編集の仕事だし。あ、インタビューは結構好きなんですけどね。しかしながら最近は、そんな贅沢を言っていられないことが多く、原稿も撮影も自分がやっています。
現在、急ぎで仕上げないといけない原稿が3本。既に素材は揃っているし、ある程度の形にもなった。1本はもう提出しても良いかな?と思えるレベルだけれど、明日フレッシュな目で確認してから送ることにします。

この習慣は、人生初のラブレターを書いた経験(反省)からきているものでらないかと。若かりし僕は、この想いを伝えないなんてあり得ない!と何とも自分勝手な衝動で手紙を書いた。勢いで郵便ポストに投函した。そうメールやSNSなんてものは無く、手紙か電話か待ち伏せしか手段は無かった。そうなるともっとも迷惑が掛からないのが手紙。臆病な自分が気持ちを伝える唯一の手段が手紙だった訳です。
その日の夜は、そう夜中に書いてその足で投函したんです、興奮しつつもある種の達成感を感じたような記憶もあるけれど、翌朝から本当に地獄のような後悔の日々が続いた。何かのミスで配達員さんが紛失しないだろうか、受け取ったけれどチラシに挟まったままゴミ箱に捨ててはくれないか、いっそのこと天変地異が起こって手紙もろとも消えて無くならないか…

幸にして?何のリアクションも無かった。数日は電話が掛かってくるとか、返信の手紙が届くとか、道端でばったり会って振られるとか、そんな妄想を繰り返していたけれど。そう、先方には届いていないと考えることも可能なんです。でも日本の、しかも当時は民営化前の、しっかりとした郵便システムですからね。届いてるんですよ、きっと。優しさだと思いました、何も言わないのは。その後、顔を合わせる機会もあったけれど、そんな時には僕はそそくさと姿を消したけれど、周りから白い目を向けられる事も無く今に至っています。

と、そんな昔話はさて置き、2日目のカレーは美味しいのと同様に、文章も一晩寝かせると良い気がする。まずアラが見つかるし、必ず書き直したい箇所があるから。もしかしたら、もう一晩寝かせて翌朝見ると良いのかもだけれど、それが延々続きそうだから、寝かせるのは一晩だけ。そうカレーも何日も置くとね…。いわんやラブレターなら翌朝読めば、破り捨ててしまうでしょう、きっと。

もし、半世紀近く生きた僕が当時の自分のラブレターを代筆できるなら、何と書くのだろうか。月が綺麗ですね、とでも書くか(いや、そんなベタな)もっと親しい友だちになれるように心掛けるか。せめて何か返信しやすいことを書くかな。いや、それともラブレターなんて送らない方が良いよと必死に止めるか。
でも、あの頃の自分の中にはあった熱い何かを否定するようなことはしたくない。もう僕の中にはそんな情熱は残っていないだけに、馬鹿で救いようが無い当時の自分だけれど、何とも愛おしい。

という原稿の提出が遅れていることの言い訳でした。

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