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敵チームからのアドバイス

ポジションはピッチャーだった。

 

中学時代の試合。

対戦相手は野村沙知代がオーナーを務めるチームだった。

 

健闘を見せたものの試合には惜敗。

 

偶然、この試合には野村克也も観戦に訪れていた。

 

高校は公立校に進む予定だった。

ところが突然、
彼の家に電話がかかってきた。

 

声の主は野村克也だった。

「高校で野球をやるのなら強い学校に行った方がいい」と言い、


さらにこう付け加えた。

「君はピッチャーよりもショートの方がいい」
 

彼はこの言葉を信じ志望校を変更し堀越高校に進学。

そして、高校進学後はショートに転向。
甲子園出場も果たした。

 

 

彼はこの時のことを、

「もし、野村さんから電話がかかってこなかったら、県立高校に入って投手をやっていたとは思います。そうなっていたら、絶対に今の僕もなかった。感謝しても、感謝しきれません」

 

と振り返っている。

 

 

大学でも3季連続でベストナインに選ばれる活躍を見せた。

 

そして、中日ドラゴンズからドラフト5位指名を受けプロ入りが決まった。

 

ちなみに、
指名を受けたと連絡を貰ったとき、彼はパチンコをしていたそうだ。

 

 

プロでは4年目からレギュラーに定着。

 

しぶとく勝負強い打撃と堅実な守備を武器に、
プロでも指折りのショートに成長していく。

 

 

12年目のシーズンからは、
球団史上最長となる5年契約を締結。

 

目の不調に悩まされ離脱した時期もあったが、
チームには欠かせない存在だった。

 

 

5年契約を満了すると、
読売ジャイアンツに移籍。

 

移籍の理由は、

「巨人の強さの秘訣を探るため」

とのこと。

 

 

巨人には2年間在籍。

途中出場がメインだったが、
内野ならどこでも守り、主力選手が欠場した場合は代役に起用され穴を埋めた。

 

 

プロ通算2000本安打まで残り88本まで迫っていたが、同級生である高橋由伸の現役引退・監督就任に合わせ、彼も現役を引退。翌年からコーチに就任した。

 

 

その後は侍ジャパン(野球日本代表の愛称)のコーチも務め、現在は解説者を務め、自身のYouTubeチャンネルも開設している。

 
 
 
 
彼の名前は、

 
  
 
 
 
井端弘和

以上、「敵チームからのアドバイス」でした。

※この記事は彼の半生の極一部を抜粋して書いたものです。

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