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自分の天職


広島で生まれた彼は少年野球をしていた。
ポジションは「1番・ショート」だった。
 
  
2つ下に兄がいる。
 
その兄がスポーツ交歓大会100mで入賞してもらってきた賞状の大きさを羨ましく思い、
陸上を意識するようになった。
 
数年後、
同じ大会に出場すると優勝。
走る姿が「広島ジュニアオリンピアクラブ」の指導者の目に止まり、スカウトされた。
 
しばらくは野球と陸上を掛け持ちしていたが、
陸上の練習で100m走をした際、
スパイクを履いたチームメイトにランニングシューズで勝ち、「走ることは自分の天職だ」と思うようになり、陸上一本に絞ることになった。
 
高校2年のときに出場した世界ユース陸上競技選手権大会では100mで4位入賞。
メドレーリレーでは銅メダルを獲得した。
 
 
大学時代には国体で優勝。
 
社会人ではリオデジャネイロオリンピックに出場。
男子4×100mリレーの第一走者を任され、
アジア新記録を叩き出し、銀メダル獲得を果たした。


 
 
彼の名前は、

 
 
 
山縣亮太

以上、「自分の天職」でした。

※この記事は彼の半生の極一部を抜粋して書いたものです。

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