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亡き友への贈り物


中学までを大阪で過ごした彼は、
高校は香川県に野球留学した。

卓越した打撃技術で主力として活躍。
1番打者として甲子園出場も経験し、チームのベスト4進出に大きく貢献した。


大学は大阪に戻り、
大学3年時には打率と安打数で新記録を樹立し最優秀選手に選出されたシーズンもあった。


大学卒業後は社会人野球の世界に進んだ。
ここでも好成績を残し「若獅子賞」を受賞した。
(若獅子賞とはいわゆる新人王のようなもの)
また、アトランタオリンピックにも出場し銀メダルを獲得した。


アマチュアでの数々の実績を引っ提げプロ入り。
入団したのはオリックス・ブルーウェーブ(現:バファローズ)だった。


1年目から101試合に出場。
すぐに主力メンバーとなった。

10年目のシーズンまでオリックスで過ごした。
その間に、
・最多安打
・盗塁王
のタイトルを獲得。
二塁打の日本記録も樹立した。


11年目からは読売ジャイアンツに移籍。
大幅減俸によるトレードでの加入だったが移籍1年目からレギュラーの座を獲得した。

以降は、
自身の加齢と若手の台頭もありスタメン出場は減少していったが打撃センスは健在で、勝敗を左右するような大事な場面での代打出場が増えていった。


ここまで安定した成績を残し続けてきたものの、
移籍5年目のシーズンは大スランプを経験し移籍後最低の成績に終わった。

しかし、そんなシーズンでも大仕事をやってのけた試合があった。

4月の広島戦。
この試合は「木村拓也コーチ追悼試合」と銘打たれて開催された。
この試合の約3週間前、巨人の木村拓也コーチが試合前の練習中に突然グランドで倒れ、意識が戻らないまま亡くなった。
彼と木村コーチは同い年で、木村コーチが現役時代には同じチームでプレーしていた。

追悼試合では、
8回まで広島がリード。
試合終盤、満塁の逆転のチャンスで彼は代打で登場した。ここで打たなければチームは敗色濃厚という場面だった。
彼が放った打球はスタンドに飛び込んだ。
「代打逆転満塁ホームラン」
チームは逆転に成功し勝利を収めた。

試合後のヒーローインタビューで、
「今日はタクの日。是非とも勝ちたいと思って試合に臨んだ。拓也とは同級生でいつも励まし合ってずっとやってきた。だからこそ、何が何でも勝ちたかった」

と涙を堪えながら語った。
 
奇しくもこのホームランがプロ入り後初の満塁ホームランだった。

実際の動画はこちら↓
(野球を知らない人でも感動すると思います)
ホームラン
ヒーローインタビュー


このあと、巨人で3年プレーし古巣オリックスに復帰。2年間プレーしたあと現役を引退した。


現在は野球評論家として活動している。

 
 
 

彼の名前は、

 
 
 

谷佳知

以上、「亡き友への贈り物」でした。

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