自分軸で起きる不安を貯める。それが正しい積み重ねの原動力になる
こんにちわ。
@osamu036110です。
長い期間、他人軸をベースにあらゆることに時間を費やしてくると、そもそも自分軸でおきる「不安」の捉え方に戸惑うことがある。
つまり、自分で起こす不安を作り出す必要があるのか?ということ。
そんな、単純な疑問が出てくる。自分で作り出す不安が、あるのかということ。そもそも、自分で作り出す不安という定義を考えてみる。
自分軸で起きる不安、他人軸で起きる不安
自分軸で起きる不安は不安ではない
そもそも、自分軸で起きている不安は、他人軸で起きる不安と同じ不安という定義には当てはまらない。
むしろ、自分軸で起きる不安は、不安という捉え方もできるが、ワクワクする不安とでも定義してみても良いと思う。
ポジティブな不安とネガティブな不安、前向きな不安と後ろ向きな不安。
今までに、他人軸での不安をかかえた習慣を続けていたのであれば、その状態は、自分にとって無意識に良い習慣だと認識している状態です。
なぜなら、人間は習慣の生き物という名言があるように、不快な習慣を続ける人はいなく、快適になるような習慣を無意識にしているわけです。
従来の自分が快適に過ごしている習慣=他人軸でおきる不安が入った習慣
しかし、自分軸で起きる不安が入った習慣に切り替えると、今までとは違う種類の不安が起きるので、根本的に自分の「〜したい」が多くないと、自分軸の不安は起こりにくくなる。
他人軸ベースで起こる不安の物差しで、自分の不安を考えてしまっている。
例えば、
家で首輪に繋がれて飼われていた犬が、いきなり首輪を外して、全く知らない土地へ行って解放しても、おそらく自由に走り回っていかない。
むしろ、飼い主の顔を伺いながら、ぎこちなく走っていたりする。
だから、いきなり他人軸で起きる不安の中で生活をしてきて、いきなり自分軸で起きる不安の生活に変えることは、本来できないのではないでしょうか。
自分軸で起きる不安を貯める
ですから、今まで「〜したい」と思っていたけど、先入観であきらめていたようなことをやってみる。自分軸の不安の定義を再構築する必要がある。
例えば、
英語を話して外国人とカフェでコミュニケーションしてみたい
1日10冊本を読んでみる
全く知らなかったけど、興味があったギターを弾いてみる
モルディブの海にダイビングに行く
プログラミングに興味があったからとりあえずやってみる
今まで、少しでもやりたいと思ったことをやってみると、全くできない自分に不安になる。やっぱりできないからやめておこうかと、思ったりする。
しかし、これは自分軸で起きる不安なので、ある意味正常な不安の証。
誰の目を気にすることなく、ただひたすら没頭すれば良いわけです。
この没頭をすることで、自分軸で起きる不安を貯めることが、自分のモチベーションとなり、正しい積み重ねの先に、自分に返ってくる対価がある。
自分軸で起きる不安と他人軸で起きる不安の、どちらを選ぶのか?
早い段階で自分軸で起きる不安の習慣を身につけた方が、後悔の念にかられることはないはずです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?