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突然の雷雨、雨やどりして思ったこと

こんにちわ。

@osamu036110です。


先日、突然昼間に雷雨があり、ロードバイクで移動をしていたので、近くのとある場所で雨やどりをしました。

まわりの方も、突然の雨で、一旦屋根のあるところを探して避難したり、電話で誰かと連絡したり、何かしらの対策をとっているようでした。

雨宿りをしていて、思い出した記憶がある。

そういえば、18歳で住み込みで新聞配達をしていた時、こんな雨の中でも、傘をささずに、雨宿りもせずに、カッパを着ながら、新聞が濡れないように、配達が遅れないように、ひたすら配達をしていたのを思い出していた。

20年以上前のことです

自分のしてきたことの解釈を再度してみる


今思い出すと、あまり観たく無かった自分の過去として解釈していた。

だから、この雷雨をみて、素直に思った解釈をしてみた。


「よくこんな雨が降ったり、雷が鳴っていても配達してたな」

「毎日、体調が悪い時も必ず配達してたね」

「まだ若かったから、恥ずかしかったと思うけどよくやったな」

「右も左もわからない時に、よく2年も続けたもんだ」

「そのときは、わからなかったと思うけど、貴重な経験をしていたな」


一つ一つが、わたしにとって今に至る歴史ですし、なんとなくやっていたことでも、細かく自分のしたことに対しての解釈を観て感じると、当たり前にやってきたことでさえ、なんとなく愛おしくなってくる。


こんなことを雨宿りをして、振り返っていると、あらゆる今までしてきた自分の行動に対して、粗末な解釈をしている自分に気づく瞬間がある。

また、自分の歴史の記憶を消そうとしている自分もなんとなくいたりする。

過去を自己受容する


もしかすると、なんとなく自分勝手に、自分の過去のことに対して優劣をつけて、良い過去だけを観ようとしていたのかもしれない。

しかし、当時は恥ずかしかったり、失敗したような経験でも、自分にとってかけがえのない出来事です。

観ようとしなかった過去も、しっかり受け止めて、受け入れることは、気持ちがスッキリして、なんとなく視界が広がり心に余裕がでてくる。

なかなか、受け止められない過去があったりもするが、今があるのはその経験があって、今の自分がなりたっている。

見ようとしていなかった他の過去も、しっかり再度向き合ってみて、自分にとって必要なものだったと再解釈をして、自己受容を深めたいです。







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