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心と体を快にしてチャレンジを続ける

こんにちわ。

@osamu036110です。

うまく物事いかないなぁ〜という時、すぐに状況を変えたくても変えられない時、そんな感情の時って、一度や二度はあると思います。


怒りの感情をもった瞬間、今まで誰もが感じる瞬間


これって、何かに紐づけられていて、本人では気づかないような、抑えることができない感情だったりする。


だから、数時間経って、数日経って、数ヶ月経ってから「あれっ?」と客観的に自分の「怒り」の感情を観て思ったりすることが、結構あったりする。


怒ることがいいとか、悪いとか、表に出さないようにとか、見えないところで出さないといけないとか、そんなことでもなく、「怒り」を感じることは人間として良いことであるが、場所をわきまえないとまわりに迷惑をかけて、取り返しがつかなくなってしまうことがある。


人間は、感情の生き物であるという名言があるように、感情が無くなった人間、何を観てもやっても何も感じない、何が起きても感じない人生ほどかなしい人生はない。


確認の確認ができるような関係の人がいる



「いま、このことですごく不快に感じたけど、どう思う?」

「あの人と一緒にいると、イライラするけどおかしいかな?」

「親に対して、我慢してた怒りが抑えられないけど、ダメなことかな?」

「あの人に、はっきり言ってやろうと思っているんだけど、どう思う?」


自分が、上記のような「怒り」の感情が出た時に、はたして確認をできるような相手がいるか。確認ができる相手、聞いても良い人。


これは、すごく大切な、自分の価値を感じて生きるためのことである。


だから、何かに対して挑戦してみようという気持ちになれる


さらにいうと、確認だけではなく、確認の確認ができるぐらいの関係の人、同じ価値観、共有できる人、さらけ出せる人、そんな人が人生で一人でもできたのならば、それはラッキーである。


学生の時の繋がりも良いが、私個人としては、社会人になってから自分の歴史を振り返り、悩みや不安を社会で経験し、社会経験をしてから繋がれる人が、より深い確認ができると思う。

関係性ができると、自分に対する気持ちが変わり、こんな心の状態に


「相手にそのままの自分を受け入れてもらえると思える」

「相手に質問をしてもらう」

「相手にはげましてもらえると思える」

「相手に頼られる」

「相手に頼られたい」


そんな状態は、常に心に「快」の状態が続いている、健康の証。


ダメなら聞けばいいと思える


険しいような道を進む時、何かにチャレンジする時、そうした確認の確認ができる関係の人がいれば、おもいっきり挑戦し続けることができるのかと感じる。

シンプルな確認ごとなんですが、確認の確認ができる関係、社会人になってから、いるといないのでは違う。自分の経験をふまえて思う。




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