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まずは素直にやってみる

こんにちわ。

@osamu036110です。

やりたいという気持ち


「やりたい」という気持ち、いいですよね。言葉のひびき。

「世界の車窓から」TVで見たあの国に行ってみたい

きれいな海で潜って魚と一緒に泳いでみたい

1ヶ月間で、頑張って体を健康な状態に変えてみたい

日本の行ったことがない場所へ行ってみたい

今までうまく築けなかった人間関係をつくってみたい

英語を使って外国人とカフェでコミュニケーションしたい

今まで無理だと思い込んでいた、やりたかったことをやりたい

このすべてにある「やりたい」という気持ち。いいですよね、すごく。

逆に

なんとなくやっている​気持ち


なんとなくやっている」という気持ち、そういう時が必ずある。

こうじゃなきゃ、やっちゃいけないからやっている

表に出してやると批判されるから何となく合わせておく

欲求のすり替えをして、腹一杯食えればいいや

ストレス発散をするのが楽しみで、誘われてなんとなくゴルフに行く

とりあえず、毎日酒を飲んでなんとなく忘れよう

やりたくないけど、そういうもんだからなんとなくやろう

先程の「やりたい」と「なんとなくやっている」の二つ

同じやるという行為でも、同じ「時間」が必ず消費されている。


「死」を考えると「やりたい」が強まる?


死にたくないから、やりたいことをできるだけたくさんやるというのは、ニュアンスがちょっと違いますが、「死」に対して、共感する機会があると「やりたい」が強くなるのかと、自分の体験を通してそう感じます。


初めて、近所で死んでいたネコの死体を片付けて感じた当事者意識


4年前に行った、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所へ行った後、なぜか自分の「やりたい」という気持ちが強くなった。


それまでの「なんとなくやっている」状態から、かなり勇気を振り絞って起こした、初めて「やりたい」の行動は、沖縄へ移り住んだこと


すべての行動においていえること、自分の中で何かを変えたい、今までの生活で変化をしたいという気持ちから、「やりたい」へ繋がった。

しかし、現実的に、「やりたい」に全て変えていこうとすることは、そう簡単にできるわけではない。

長年、体にしみついた判断基準を変えることは、かなりハードルが高い。

というか、「やりたい」ができないから、不安になり悩んでいるわけです。

私の今までの経験や体験で起きたこと、自分が変化したと感じた事がある。

まずは、

小さい自分のやりたいを大切にやってみる

今まで起きた事、これから起きることも、「解釈はすべて自由」

上記、二つを念頭に、できれば共感できる相手がいること、やっていることに確認ができる、確認の確認ができる相手がいる事、その環境がまわりにあれば、自然と「やりたい」が多くなっていくはずです。

まずは、自分の中にある小さい「やりたい」をやってみる。

それが、自己肯定感にも繋がる。






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