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166㎝ VS 2m43㎝ no,2

我が子は父母の影響で3才から
バレーを始めましたが
近くにチームがなく、
加えて小学校卒業時の身長が
142㎝(小6平均144㎝)と
バレーをやるには小柄すぎて
成長未発達の段階でバレーをやると
怪我につながると父親の方針もあり
チームには所属せず、
小学生のうちはサッカーの
スポーツ少年団に所属、
バレーは週1回のママさんPTAバレーと
週2回の父親の社会人クラブチームに
参加してました。

イタリアセリエAで活躍中の
石川祐希のジャンプサーブに憧れ、
5年生の時に
「ジャンプサーブ打ちたい」と言い出し、
父親から
「トスを100回正確に上げられるようになったら打っていい」と言われ、
6年生の時には打てるようになりました。

しかし、それは小学生の身体には
かなりの負荷だったようで、
その時は気づきませんでしたが
中学3年生の部活動体験時に
腰椎分離症だったことが発覚しました。

学区内の中学校には男子バレー部がなく、
越境して隣の中学校に入学しました。
リベロとして1年生からベンチ入りし、
1年生の新人戦ではエース対角のOHで
県ベスト8までいきました。

リーグ戦の決勝で戦った
相手チームのエースの子は
G高校のエース兼キャプテンになり、
高校でよく練習試合をやりました。

中3の県選抜第1回目でやった三段飛びは
県ナンバーワン記録だった、
と後から聞きましたが
第1回目で落とされたので
県選抜メンバーには選ばれませんでした。

同市内の他校の先生が我が子を
推してくれた会話を
本人は聞いたようですが、
自身の顧問の先生からはよく思われて
いなかったのでダメでした。

その理由は、自己主張が強すぎて
練習メニューや作戦に口出ししたり
顧問の言う通りに動く子ではなかったので
嫌われていました。
バレー素人の先生だったので、
本人的にはアドバイス的な感じだったと
思いますが、"生意気な子"としか
映っていなかったようです。

その後コロナが蔓延、
練習もなくなり、最後の大会は
記念大会になりました。
記念大会とM高校の部活動体験が重なり
中学校最後の大会に出ることなく
引退しました。

コロナ禍で学校が休校になり
市外のバレー部の子と朝から6時間、
公園にある木にネットをかけて
暗くなるまでバレー三昧の日々でした。
早朝はゲートボールのお爺さん達が
勝手に公園を貸し切りにしていて、
ペットボトルのキャップを
ボールの目印にして置いていたのを
回収して捨ててコート設営していたので
よく言い争いになってました笑

夏休みになり、あらゆる高校の
部活動体験に行きました。
どこに行っても
「受験してうちにおいで」と
声は掛けてもらえるものの
推薦はもらえませんでした。
G高校の先生には
「そのレベルじゃ推薦は取れないね」
と言われたらしいです。

本人は春高で観たM高校に憧れ
「M高校(N県)に行きたい。」
とずっと言っていました。
全国トップレベルの学校に
一般受験でも入部できるのか、
中学校最後の記念大会の出場を辞めて
N県まで部活動体験に行きました。


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