見出し画像

戦時下の暮らしのエッセイがコロナ禍での自分の暮らしと重なるのはなぜか

もし「半年以内に街が爆撃される」という噂を聞いたら自分ならどうするか。理性的な判断としてはただちに引っ越す。でも、噂に対してそんな行動はとれません。引っ越すかどうかを真剣に考えるのを先延ばし、日々をけっこうテキトーに過ごす。きちんと暮らしてしょうがない、と。

『あの素晴らしき七年』(エトガル・ケレット)を読みました。イスラエルの作家のエッセイです。36篇のうち、もっとも印象的だったのが「爆弾投下」という一編でした。

時間と金の無駄だよ。あと二ヶ月で町全体がすっかり消滅させられてしまうなら、修理したって意味ないだろ?

配管の修理をしたいという妻に対する、ケレット氏のコメントです。この日から、ケレット氏の生活が崩れていきます。

きっかけはある友人から聞いた不穏な噂です。近いうちにイランが核攻撃をしてくる。共通の友人である小学校の同級生が高級将校になっていて、その友人のもとに極秘情報を届けられたと。

その後、庭の手入れも先延ばし。ゴキブリ駆除はするけど、それ以外の家事はなるべく省略。床磨きやゴミ出しを怠るようになる。銀行を出し抜くためにローンを組む。直前に引き出して逃亡するという作戦です。

画像1

その後、数ヶ月経ち、どうやらイランからの攻撃はないだろうと考える。これって状況としては良かったことです。ところが、二人にとっては逆。「ああ、よかった」ではないんですよね。生活の前提が変わってしまいます。このときのケレット氏の妻のリアクションが良いです。

「きっとイランは攻撃してこないんだわ。そしてわたしたちはこの不潔に荒れ果てたアパートから出られないままなんだわ」

すごくシュールです。イランから攻撃がないことと部屋が荒れていることを同列の災難として受け止めています。さらに

「あなたのあのめんどくさい親戚。過ぎ越しの祭りのときには遊びに行きますって言っちゃたわよ。だってそれまでには……って思ってたもの」

なんでしょうね。この感覚。爆撃と比べたら全然マシじゃないかと思いますが、そうは思えない。物事はぜんぜん単純ではない。ケレット氏は妻を励まし、翌朝、リビングの掃除をして配管工を呼ぶことにします。生活をたてなおします。

ふとコロナについて考えてしまいました。

今、全世界の人にとっては災難です。災難としての受け止め方は個々人でちがっています。極端なシミュレーションをして、今を過ごしたり、今後の予定を立てたりすることもあるでしょう。

といいつつ、どこまでが極端なシュミレーションなのか、その線引きすらもあやふやです。だって半年前、夏はオリンピックをすることになってましたよね。延期を正式発表したのは2020年3月24日でした。

現在から過去を見ると後知恵でなんとでもいえます。バカだなあとか、なに考えてたんだ、とか。あとから考えるとわかりきったことでも、当時はわかっていません。暗闇を手探りで進む感覚です。

未来はいつだって不確かです。今は不確かの幅が広いということなんでしょう。

この記事が参加している募集

#読書感想文

187,975件

お読みいただきありがとうございます。私のnoteはすべて無料です。noteアカウントがなくても「スキ」ボタンをポチッとなできます。よろしくです。