みんなとうまくやる。を諦めた話

急にこんなこと言うのもなんですが、昔からずっと人付き合いに苦手意識がある。記憶を遡ると、中学2年のクラス替えで同じ部活の友達が誰もいなくて、さぁどうしよう?となったところから、友達作りに関して成長が止まっている。

体育の授業で、2人1組になって〜の時も頭のなかで、えー、、、奇数しかおらへんから1人余るやん、、、誰か可哀想やん、、、先生ほんま酷やわ〜って思ってるうちに私がその余った1人になってた。そこまで気付いてるなら、自分から3人でやろ〜って誘えばいいのに、余ってるってことはみんな私とやりたくないってことよね?ね?って、悲劇のヒロインしてました。(別にいじめられてたわけではない)
自分から、仲間に入れて〜って言えなくて、いつも受け身のかまってちゃん。優しい子たちが声をかけてくれても、なんだか馴染めなかった。
部活は個人競技だったので、分かりやすかった。仲の良い友達でありライバルだった子に対しても、私の方が良い成績だったのでプライドが保たれた。

そうやって人生の中で多感な時期に、一人でも寂しくないもんね!って思い込もうとして友達作りを怠ったせいなのか、個人競技で自尊心(存在そのものに価値がある)よりもプライド(他者と比べて自分が上であることで価値を見出す)ばっかり育っちゃったせいなのか、「チームワーク」とか「団体行動」において、自分がどの立ち位置で、どう振る舞えば全体がうまく回るのか、未だによく分からない。

家族、恋人、学部、バンド、会社、同僚、大人になって環境が変わってもいつだって大小様々な単位の「社会」でうまくやるのが苦痛で、「1人の方が楽ちん」と「1人は寂しい」を行ったり来たりしていた。外見から明るい性格に見られがちなので、不器用な中身がバレてしまいガッカリされるのが怖くて「どこにいってもうまくやれない私ですが何卒〜」って名刺に書いて先手を打っておきたい気分だった。

・・・・・

さて、ここまで自分の記憶を頼りに、頭に浮かんだまま文字に起こしてみましたが、どんな印象を持ちましたか?

私は自分で読み返してみて「この人、めっちゃうまくやろうとしてたんやな〜」って思いました。うまくやることを大事にしてるけど、誰目線でうまくやるの?うまくやるって具体的にどういうこと?

そりゃぁ友達とワイワイしたり、どんな社会の中でも何も気にせず楽しく過ごせたらいいけど、じゃあ「楽しく」ってどんな感じ?、一緒にいてくれたら誰でもいいの?

いつも勝ち負け・0/100でやってきてしまったもんですから、相手の意見を全面的に受け入れること(=我慢する)or 相手を打ち負かして自分の意見を押し通す(=我慢させる)方法しか知らなかったんです。正直今もそのエッセンスはあると思う。すみませんね。でも今のそれは「こだわり」やから。笑
そして、我慢させるくらいなら自分が我慢しますってことで、無自覚で物分かり良い風にやってきたけど、正直結構タチ悪いな〜て今なら思う。
どうせ言っても分かってくれないでしょ?分かったふりして我慢するんでしょ?って相手のことを信頼せずに、伝えようとする努力を怠っていたから。察してよ!分かってよ!オンリー。

相手の存在を尊重したうえで自分の意見も伝えること、相手がそう思う背景を想像すること。そういう方法もあるってことを最近知りました。(36歳です。おっそ!笑)

でもね、知ったところで実行できるかは別の話で、今日からみんな仲良く、ファミリーやで〜にはなれません。ただ、人付き合いに苦手意識があることには変わりないけど、自分のことを客観的に分析するようになってから色々諦めがついた。私は、私がイメージしてるうまくやるは多分できない。やればできる、頑張りが足りない。って思ってたけど、ちょっと難しかった。難しいからこそ憧れて、頑張ってもできない自分を可哀想にする材料にしてたなぁとも思う。

どこまでいってもやっぱり私は気にしぃで気遣いぃで色んなことに気付きすぎるし、スルーできない。思ったことを瞬時に言葉に変換してサラッと伝えるのはちょっと苦手。(ゆっくり文字で書くのは好き)

そんな私でもこれからまだまだ続く人生、せっかく関わってもらうならお互い気持ち良い関係でいたいし、かと言って全ての人に気を配るほどの器量は持ち合わせていない(ことを自覚した)ので、たくさんの人とうまくやるのは諦めて、自分が大切にできる分だけ選ばせて頂いて、それ以外はごめんなさい〜することにしました。だから、もし他の人に自分がごめんなさいされてもお互い様やね。ちょっと寂しいけど、人によって持ってる愛の量は違うから仕方ないね。

頑張ることを美徳として生きてきたので、私は難しいこと頑張ってるんやからあなたも頑張ってちょうだいって思ってた。頑張らない人にムカついて(その人なりに頑張ってたんかも分からんけど)何で私ばっかり!って腹立てながら本心は羨ましかったんやと思う。でも、これからは私も我慢しないから、あなたも我慢しないで〜。私はちょっと頑張ってみるけど、あなたはあなたの好きにして〜に切り替えて、気張らないでいい関係を作っていきたいと思うようになった。


仕事をする上では「コミュニケーションとりやすい」「お互いを尊重しあえる」「同じゴールにむけて協力できる」など。でも、そんな方法があるのも最近知ったから(笑)そういうのが上手な人とのやりとりの中で、こっそり勉強させてもらってる。
プライベートでは「好き」「居心地が良い」とか至ってシンプル。

みんな平等に〜が良しとされる(って思い込んでた)けど、私を大事にしてくれて、私も大事にしたいなって思う人に、たくさん愛を注ぐって当たり前。当たり前なんやけど、社会に入るとその愛の差を目の当たりにしたり、色々と見て見ぬ振りが出来ないので、自分が望まない形の社会に属するのも辞めました。これを「逃げ」という人もいるかもしれない。実際に言われたこともある。でも一旦フル充電できるまで逃げさせて〜。充電満タンになったら、また考えるね〜

学生さんや会社にお務めで、物理的にどうにも出来ないよ〜な時はなかなか難しいけど、心の距離は安全圏キープでいましょう。大切にする人のマトを絞ったら、闇雲に相手に合わせてうまくやろうとしてた頃より省エネになりました。その分また大事なところに分配できる。

結局のところ人付き合いが上手になったわけでもなく、相変わらず人との距離が縮まるのにも時間がかかる私ですが、縁がある方とは何故か惹かれあったり、違う機会にまた出会ったりすると感じているので、合わないところで必死に頑張って心がすり減るよりも、グッドタイミングで素敵な人と惹かれ合えるような私でいたい。めっちゃ好きな人に誘ってもらったのに、全然行きたくない用事のせいで断らなアカン〜みたいなことがないように、自分にも相手にもできるだけ誠実で居たいなぁと思っています。

今でも自己防衛として、名刺には「何卒〜」て書きたいです。





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