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三日坊主日記 #2

最近なにかと周りで恋愛の波が起きている。なにかと私はその周りの恋愛に縁があるようで、二年前から色んな友人の恋愛話を聞いてきた。最近聞いている一つの事例を振り返ってみよう。なお、登場人物である友人AとBはヘテロセクシャルなのでこの先は「異性」というワードを用いる。

ある友人(以下A)は気になる相手(以下B)との恋の駆け引きに悩んでいるらしい。話を聞くと、BはAではない別の人と親しげにしているらしい。それにAは嫉妬している、というのが主題だ。私自身、そこの関係については他人よりは深く関わってきたのでなんとなくの経緯は知っていた。経緯から察するにAとBは付き合っていておかしくない、現在はお付き合いまで秒読みといったところだろう。

Bは他の異性との距離感がまあまあ近いらしい。私はBとも友人であるので、そんなところをよく目にしてきた。
Bは一見アホっぽい顔のようにみえるが色んなタイプの人間に合わせ話ができる柔軟な人間で、人当たりも良い。運動も勉強もできるしモテる要素を取り揃えた天然たらし、という印象だ。(Aの場合に限っては少し事情が違うらしいが。)

正直、異性との距離感が近いような人間は世間が思ってるより少なくない。主語が大きいが私はそのように考えてる。そしてBの異性に対する距離の近い行動は普通に起き得る範囲、と捉えて良いように見える。

だが。

誰かに恋をしたことのある人の大半は分かるかもしれない。それが自分の意中の相手となったとき、普通に起こり得ることでは済まされない場合が多いのだ。自分以外の異性と意中の相手が所謂イチャつき、のような様子でいたらどうだろうか。そこには嫉妬心が芽生えてくる。目の当たりにしたAは心が乱れ落ち着かなくなる。念押しで言うが、AとBはかなり懇意な間柄で付き合っていてもおかしくないのだ。これは客観的視点においても同じことが言える状況である。私個人がそれを言うには限界があるが。
そんな落ち着きのない不安定な感情にAは何度も悩まされている、というのだ。(正直Aが過敏な時もある。)

それに対する私の率直な意見はこうだ。

[お前ら楽しそうな恋愛してんなぁw]

突然だが私は愚かな人間である。友人の恋愛話は聞いていて楽しい。友人の一喜一憂はみていて飽きることはない。しかし当然その友人の幸福をなにより私は願っている。そのためならできることはなんでもするつもりだ。

ところで、恋愛の醍醐味は、やはり相手への興味からあらゆる現象が発生することではないだろうか。興味無しに恋愛は成立し得ない。興味無しの恋愛があるとしたらそれは恋愛ではなくステータスの一部のため、己の性欲を満たすために恋愛の名を借りているようなものだろう。まあ、それも一つの恋愛の形だと認識できるなら否定はしないし納得できれば肯定するだろう。

相手への興味を持っているが故に相手を観察してしまう。恋心が芽生えた後なら相手の他人との関係をみてしまう。そうしていずれ嫉妬心が芽生えてくる。この嫉妬心こそ、恋心をより強める要素の一つであり、醍醐味の元である興味から分化してさらなる醍醐味を生む。いやぁなんと楽しいことだろうか。まさにこれこそ人生を彩る一つのイベントではないか。(恋愛のみが人生を謳歌する要素ではないし恋愛自体その要素にならない人はもちろんいる。)
まあ、私が嫉妬心が芽生えてる当事者であるうちは全く楽しくなかったが。

嫉妬心は使いよう次第で自分の力にも全てを壊す凶器にもなる。人間は愚かなので、使い方を誤って最悪の結果を招くことは容易にできる。私が思うに、嫉妬心は「諸刃の剣」なのだ。その諸刃の剣は自制と冷静、つまり使い方を心得ていれば人生を助け、向上させてくれるバネになろう。これは私が身をもって体験している。この話に信憑性がない、と言われるかもしれないが事実としてその先例はある。

彼らの物語から嫉妬心について考察してきたが、まあとどのつまり、彼らは青春を謳歌しているのだろう。この恋愛ストーリーは結構前から続いている。彼らについては今後も見守り、応援していきたい。あわよくば結婚式に呼んでほしいし、友人代表スピーチは絶対にしたくない。それなりの面白い引き出物が欲しいし、友人の幸せな時間を見届けたい。どうやら私の人生の楽しみは知人の人生を観測することのようだ。

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