24歳で月収100万円稼ぐまでにやったこと全て
フジイです。
いつもSNSの投稿を見ていただきありがとうございます!
このnoteでは、過去の僕から今の僕までを紹介して、どのようにして24歳で月収100万円を達成させたのか赤裸々に色んな感情を含めて書いてます。この記事を読んだ方は必ず「自分の可能性」に気づけることになります。
このnoteでは、家族、彼女、親友にも言ったことのない色々な過去も織り交ぜています。そして、最後まで読んでいただいた方には、『60分間の無料コーチング』を用意しておりますので、ぜひ最後までご覧ください!
今の僕は、2021年12月に月収100万円を達成、2022年4月からはフリーランスエンジニアとなり、月単価は会社員時代の2倍以上。ただ特にすごい能力もなく、逆に平均よりもマイナスばかりの僕でもここまで実現できたことを知って、このnoteを読んだ方、1人でも何かの転機になればいいなと思って書きました。
ここまで聞くとよくある、マイナスからのスタートの物語かと思われますが、今の僕を知っている方は想像以上にマイナスで驚愕するかと思います。
では、まずは過去の僕を振り返ってみます。
幼少期〜小学生
広島県福山市で生まれて育つ。これが幼少期の僕。
絶望的なポテンシャル...
ゲームで言ったら初めに出てくる「雑魚キャラレベル」です。生まれてから、初めはとても能力の低い子。他の子がすぐできるようなことも、人よりも必死になって努力してやっと他の子と同じくらい。
そんな僕に搭載していた才能は、「素直さ」・「忍耐力」・「負けず嫌い」この3つ。この3つがあったからこそ、なんとかここまでこれた。幼少期〜小学生時代に遭遇した大量の「挫折」と「負け」の連続。
この経験が若いうちにできたことは今考えるととてつもない財産だったなと。でも当時は、「なんで僕はこんなにダメなんだ。。。」そんなことばっかり考えて本当に辛かった。
特に好きだったソフトボールをいくら頑張っても試合に出られず、本当に絶望した。そこからは少しずつ、好きだったソフトボールが嫌いになった。
その頃から、僕は人と同じことをしてても勝てないと子供ながらに学んだ。小学生の6年生の頃に他人と違うことをして差別化し、誰よりも脳と体を使いまくって努力していかないと他の人には勝てないと知った。
中学校
中学校に入学して早々、特に入りたい部活もなくとりあえず野球部に入部。ただ小学校のソフトボール部よりもレベルが高く、もう試合に出られそうにないなと感じてすぐに幽霊部員。まだ人生において成功体験のなかった僕は、野球部すらもやり切れずに昔以上に自己嫌悪に陥った。
ただ、幸いなことに中学2年生くらいから、徐々に勉強が好きになり始めて没頭した。その頃から塾に本格的に行き始めて毎日勉強しまくった。
当時、野球も諦めて自分には本当に何もない。そんな崖っぷちの僕は勉強で圧倒的な成果を残して本気でやり切ったと言いたくなった。その頃から、地元では「進学校」と言われる高校を目指し始めた。
今まで何も成し遂げてない自分だったが、人生で初めて大きな目標を掲げて努力し始めた。中学2年生だったが、受験を意識して「平日は3〜4時間以上」、「休日は10時間以上」勉強した。みるみるうちに成績が伸びてきた。
ここで僕は初めて人はやればできると学んだ。今まで僕は自分には何も才能がないそう思っていた。だが、成績が伸びるにつれて、どんどんどんなことも「死ぬ気でやればできる」のではとそこで実感し始める。そこからはさらに勉強が楽しくなり、どんどん勉強にのめり込んでいった。
常軌を逸したように勉強しまくった。
そして、高校受験で志望校に合格。合格の瞬間に人生で初めての成功体験を詰めて本当に嬉しかった。
この成功体験が僕の人生にとっては大きな分岐点になった。
高校
受験を終え「高校は勉強で突き抜けて、有名大学に行ってやる!」そんな気持ちで高校に入学。部活は一切しない。そう意気込んで入学した僕がまさかの「ラグビー部」に入部。入った理由は、大柄な先輩たちに囲まれて断れなかったから。今までやったことのない競技だったが、まさかの肥満児だった僕にはちょうど向いてた競技だった。
僕はラグビーに没頭し始める。ラグビーはどんな人でも向いているポジションがある。そんな競技が本当に好きになった。
ただ、1年生の時に合宿で100kg超えの選手とぶつかり、眼窩底骨折で大怪我し、目がとてつもなく腫れた。その後1ヶ月ほど入院。せっかく筋トレと食事で、体重を72kgの筋肉質体型に変えたのに、退院する頃には58kgまでげっそりした。
退院してからは周りの人に「ラグビーは辞めなさい」と言われた。ただ、僕自身は自分で決めたことはやり通す。そう覚悟を決めて入部したから、一切やめることなんて考えてなかった。
なんとか、部活に戻ったものの2ヶ月間は体力が戻らず練習がとてつもなく辛かった。みんなが軽々やってる練習も僕は心臓が飛び出しそうなくらいしんどかった。
ただ、覚悟を決めて毎日練習に行き、ようやく試合に出られるまでに回復。そしてラガーマンとして順調に成長していった。
2年生になった頃、僕は3年生の先輩たちと「1日でも長くラグビーがしたい」その一心で毎日練習に明け暮れた。とてつもなく激しい練習も大して辛く感じなかった。
そして2年生になってからはタックルがチームでも評価され始めた。僕はスポーツで評価されることがなかったため、本当に嬉しかった。ただそんな僕はまた2年生でも合宿中に脳震盪(のうしんとう)になり、当分試合に出られなくなった。
その頃、後輩が僕のポジションで代わりに出場することに。そこから、後輩の子が良いプレーをする度に僕は焦りまくった。もう自分の居場所はないんじゃないかといつも不安ばかりを抱き試合と練習へ行く日々。
なんとか復帰したものの僕のポジションは別のポジションに移動になった。 それを言い渡された帰り道、一人で涙を流しながら自転車で帰った記憶がいまだに強くある。
そして、その頃大きなストレスを感じていた僕は突如『急性胃腸炎』になり1週間の入院した。また、70kgほどの体重が1週間で62kgまで落ちた。
そして1週間後にはまた復活。ただ体力と筋力があまりにも落ちていたので、練習後も家の近くの公園で体力を戻すために走りまくった。
「もっと先輩と長くラグビーがしたい」その気持ちがあったので、弱音を吐いている暇はないと腹を括って、より一層本気で練習を始めた。狂ったようにタックルして、狂ったように走った。
ただ、また怪我をしてしまう。次は足首捻挫。次は歩くこともままならないくらいの怪我。この時初めて、自分が情けなさすぎて先輩の前で号泣した。先輩ともっともっと練習も試合もしたい。そんな気持ちが人一倍強いのに、怪我ばかりで迷惑しかかけてない自分が本当に嫌いになった。
その時人生で大きな挫折をした。でも「先輩と試合をしたい」その一心で、必死にリハビリをして復帰。そのままスタメンとして試合に間に合った。
2年生の数々の怪我を乗り越えて試合に復帰。その時に僕は「逆境を乗り越える」大切さを学ぶ。この経験が今の僕の忍耐強さに大きく繋がってる。
そして、最後の先輩との試合では負けたものの自分のやれることは全てやり切った。その時先輩がいなくなる寂しさとともに「来年は絶対に怪我せずにずっと試合に出続ける」と心の中で決めた。
そして、3年生は怪我なくやり切った。最後の試合は、同年に全国大会で3位になったチームと戦いボコボコにされて終わった。でもその時の試合が終わった時は清々しかった。
自分がやると決めて入部したラグビーをどんな困難がきてもやり切ったからだ。「大きな困難を乗り越えて、やり切る」その経験を高校でできて本当に今ではよかったと思ってる。
そして何より今でも仲の良い親友とラグビーを通じて出会えたことも僕の中ではかけがえのない財産。彼は大学と社会人になってからもよく出てくる。
ただ、高校入学時に「高校は勉強で突き抜けてやる!」そんな気持ちで入学した僕だが、ラグビーに没頭していてほとんど勉強をしてこなかった。
入学時は学年上位にいた僕だが、センター模試では学年で下から2番目の320点(900満点)。(センターを受けた方ならわかるかもですが、相当底辺)
担任の先生からは、「志望してる大学なんか無理」と笑われたが、ラグビーで鍛えた忍耐力で3年生の11月から猛烈に勉強をスタート。
その頃に両親の関係性が悪化し、突然離婚することとなる。僕は母親とおばあちゃんの家に住むことに。その後、引っ越してすぐに父親から電話が来て、母に暴言を吐くのを聞きそこから父親とは一度も会ってない。
その頃は、僕が行きたい大学に進学して母親を安心させないといけないという使命感もあり受験勉強を必死に頑張った。
ラグビーが終わってからは、毎日最低でも16時間の猛勉強。本気で志望校を目指して命懸けで勉強を始めた。やるしかなかったので、狂ったようにやり続けた。周りからはたまには休みなさいと言われたが、無視してやり続けた。
11月にはE判定だった志望校にまさかの合格。そして、地方の国立大学にも合格。またもや「大きな逆境」を跳ね除けた。
ここでもまた大きな成功体験を得ることになった。
大学
そして理学療法士になるための大学に進学。
大学入学から2ヶ月ほどで人生初の「彼女」ができた。彼女ができた時本当に嬉しかった。
ただ、1年ほどで、彼女に振られることに。
理由はたくさんあるだろうが、特に僕が「ネガティブな人間」だったことが大きな原因だと思う。
この時、とてつもなく大きな後悔をした。そして絶望した。
この時に、誰も周りにいなくなった気持ちになり本当に恐怖で苦しかった。3ヶ月ほどは学校でもほとんど人と話をせず、「鬱っぽく」なっていった。
「生きてても辛いだけ。なんで俺は生きてるの?」
そんなことすら思っていた。本当に誰とも話したくなくなっていた。
今思えば大したことはないのだが、当時の自分は真剣にそう思っていた。
そして夏休み。
そんな時に高校で一緒にラグビーをしていた石田(親友)のところに遊びに行った。そしたら彼は人生をとんでもなく楽しんでいた。
「人生もっと楽しもうぜ!!!」
と言ってはないが、身に染みるほどに伝わった。彼と会った初日に自分にあった沢山の「ネガティブな感情」がどうでも良くなった。
3ヶ月間の悩み苦しんで「鬱っぽく」なっていた自分が馬鹿らしくなった。
「一回きりの人生もっと楽しみたい」
心の底から感じて、もっと人生楽しみたいという感情が爆発した。
そこからネガティブな感情も「ポジティブ」に変換し始めた。徐々に自分に自信が出てきて、表情も明るくなってきた。
彼(石田)には本当に感謝している。この日が分岐点となり僕はポジティブマインドに一気に変わることになった。
この日、別れた彼女に心から「振ってくれてありがとう」と思った。
この経験が僕に大きく変わるチャンスをくれた。
そして、心機一転今まで持っていた服をほとんど捨て、容姿に100万円ほど一気に注ぎ込み大きくイメチェンした。そしてマインドを鍛えるために大量に読書してマインドを高めていった。
これで僕は過去のネガティブな自分とおさらばした。
そして大学の夏休み明けに教室に入ると、大きくイメチェンしたせいで教室が少しザワザワしていた。
以前、ブラックホールにように暗かった僕が突然、容姿が別人のようになって帰ってきたから相当びっくりしただろう。僕はこの夏休みの間にたくさん行動して自信がとてつもなくついた。
そこから、ポジティブな人間に生まれ変わってからは、ポジティブな人が自分の周りに集まるように。ここから僕の人生はどんどんポジティブになり、楽しくなってきた。
この経験から「人は変われる」と心の底から思うことが出来た。
僕は「彼女に振られる」という経験から大きくポジティブな人間に生まれ変われた。
そこから僕のポジティブなキャラクターが確立されることとなった。今の僕しか知らない人は、びっくりされるが過去の僕は「超ネガティブ人間」だった。
さらに、そこから超ポジティブな女性と出会った。
(最近Twitterに上げました)
その女性が今も付き合ってる彼女。彼女はいつも僕の可能性を誰よりも信じてくれている。
僕が不安に襲われているときに、
「あなたならできる」
僕は何度もこの言葉に救われて、自分ならできるって何度も思わせてくれた。たくさんの後押しで今の僕がよりポジティブに行動できている。
彼女の人を信じるパワーがどれだけ人の力になることか、本当に僕は実体験で感じた。そして、そんな経験をした僕は人の可能性を信じる大切さを一番感じている。
そこからは、僕はどんな人にも可能性は無限大だと本気で思っている。
そして、300人以上働いているバイト先でもたくさんの人と出会い、たくさんの人と話すことになる。そこで、いつの間にか人見知りだった僕が初対面の人と話せるようになっていた。
そこから、、、
・アルバイトで月に20万円稼ぐ
・国内旅行に行きまくる
・本を読みまくる
目の前のことに全力で行動していたら、気づいたら4年生になった。
気づいたら理学療法士の国家試験。中学、高校で勉強のやり方を理解していたので、そこそこ勉強して国家試験も合格。
そして理学療法士としても、実習先の病院からオファーいただき内定。とんとん拍子にいろんなことが終わった。
気づいたら、大学生が終わっていた。
「もっとやれたんじゃないか」
僕の心の中ではもやもやしたものが残った。
そして、社会人になったら絶対に後悔しないようにやってやる。
そんな気持ちで入社する。
社会人1年目
入社して、すぐに業務で覚えることもたくさんあった。
ただ、仕事以外の時間で医学書や論文を読んでたくさん勉強した。
本当に毎日必死に勉強した。
2019年9月
僕が尊敬しているインフルエンサーの、AKIOBLOGさんとレッツゴーなぎらさんのYoutubeに出会う。
2人のYoutubeを見て、
「自分はまだまだやれるんじゃないか?」
そんな気持ちが強くなった。
2人の動画を見て自分の命をもっと使い切りたい。
自分の可能性をもっと広げたいと真剣に思った。
そして、
「自分も発信してみたい!!」
そんな感情が生まれた。僕は2人のインフルエンサーから人生を大きく動かしてもらった。
発信していると、僕が行動していることが誰かの役に立つのではないかと発信をスタート。
当時はTwitterで発信するのさえもかなりビビった。
ただ、周りの後押しもあってなんとか発信活動をスタート。
発信から3ヶ月くらいで、 勢いよく1100フォロワーを達成した。
こちらのツイートから一気にフォロワーが増えた。
(このアカウントはあまり見せたくないけど、載せました)
ただ、Twitterで発信して自分は何をしたかったのか分からなかった。
そして収益化を目指していたが、全く収益化できる未来が見えずに『絶望』してTwitterの運用を諦めた。
病院時代、月収が月15万。
このまま30才になった未来を想像すると、恐怖に感じた。
さらに『絶望』した。
無気力になり、仕事以外はずっと「無気力」になった。
もう何も考えたくなくなって、自分の未来が一気に真っ暗になった気がした。
そして1週間後
突如、2020年2月からプログラミングをスタート。
理由は、大学時代にも出てきた親友(石田)がエンジニアとして働いていて、エンジニアは稼げるとの話を直接聞いたから。
そんな大したことのない理由からプログラミングをスタート。
こんなレベルからのスタートだった。
母親からはプログラミングをするのを大反対された。「パソコンも大して触ったことないあなたには無理」と笑われた。
挙句の果てには、理学療法士を辞めるなら「縁を切る」とまで言われた。でも僕は絶対に諦めきれないので、「絶対上手くいって見返してやる」。そんな気持ちで必死にやった。
本格的にやるためにスクールにも40万円払い入会。そして、親友の石田からも教わることに。毎日必死にプログラミング学習した。
社会人2年目
そんなレベルの僕だったが、3ヶ月間プログラミング学習をしていると、
突如、友人の石田から
「一緒に案件せえへん?」
と話しをもらった。
僕は即答で
「もちろん、やらせて下さい!!!!」
とその場で返事した。
このチャンスを逃したら、もうチャンスは当分来ない。
そんな気がした。
ただこの案件は想像を絶するほどに大変だった。
仕事がある日は、5〜7時間。仕事が休みの日は、12時間以上をプログラミングに費やした。仕事の昼休憩も案件をこなす時もあった。
この頃、1日4時間程しか寝ず、誰とも全く遊ばず、狂ったようにプログラミングをやりまくった。心身ともにきつかったが、なぜか自分の心は充実していた。
その理由は、自分の人生を全力で生きれていたから。そして、自分がどんどん成長していることが実感できた。
5ヶ月後になんとか案件を納品することが出来た。
納品できた瞬間に自分の中でとてつもなく自信になった。
これ以降、僕はどんだけ大変な案件に入ってもケロッとしている。若いうちにこんなに大変な体験ができて本当によかった。
この案件をこなしている途中に、僕の心が
「エンジニアとしてやっていきたい」
と思い始めていた。
そして、案件が終わった後にエンジニア転職をスタート。
このツイートを見て分かる通り、140社受けて5社内定。
しかもどの企業も第一志望ではなかった。
「早くエンジニアとして働きたい」そんな気持ちで1つの企業に転職を決めた。転職活動中は、応募〜面接を狂ったようにやりまくった。落ちまくって絶望しかけたり、諦めそうになったけど何とか踏ん張れた。
その理由は、どんなことがあっても
「エンジニアに転職する」
その覚悟が強烈にあったから。これは冗談ではなく「転職する or 死ぬ」 この2択しか僕には残ってなかった。
この転職成功が僕の中ではとてつもなく大きな自信になった。
タイピングを「人差し指のみ」でやってた人間が、半年でエンジニアとして転職できたから。もちろんタイピング速度も格段に上がった。
本当に人生が少し明るくなった瞬間だった。
2020年12月末 病院を退職
ワクワクしながら東京へ移住。
ついに東京へ行ってエンジニアとしてスタートした。
入社して3日ほどで若干の違和感が生まれた。
「アプリ開発」ができると入った会社で、まさかの動画撮影・動画編集とライティング業務の山だった。
また「絶望」した。
自分がやりたいプログラミング業務とほとんど違った。自分がやりたかった「プログラミング」の仕事は全体の3割ほど。
今後もあまり変わりそうになかった。
でも自分で決めた会社だったからこの状況になったのは「全て自分が悪い」。
この状況を打開するために、次は本格的にアプリ開発できる企業に転職するために、本気でプログラミング学習を再スタート。
フリーランスエンジニアの方にプログラミングを本格的に教わることにした。
「本当に転職できるのだろうか?」
ここから毎日恐怖と戦うことになった。
社会人3年目
毎日が恐怖だった。
マイナスな感情を拭うように必死にプログラミングしまくった。
7月末までに、転職できなかったら「人生が終わってしまう」。
そんな覚悟でずっと学習していた。
そして転職用のポートフォリオを作成。
書類作成や面接練習を徹底的にやり込んだ。転職戦略も徹底的に考えた。転職活動は以前にやったことがあったが、以前よりも死ぬほど準備した。
現役のエンジニアの人に頼み込み面接練習もしてもらった。
そして、2021年6月末に1社内定。
内定したその日に、僕の人生を大きく動かしてくれた、レッツゴーなぎらさんの動画を見た次の日に退職することを決断し、上司に伝えた。
退職する意向を伝えたら、まさかの即日退社。
正直、もうその頃会社に行くのに拒絶反応が出てきていたので、即日退社はとてもありがたかった。
退職した瞬間になぜだか仕事は無かったが、突然エネルギーが増し始めた。
そして、無職になってからさらに転職活動を猛烈に始めた。
そうしていると、まさかのレッツゴーなぎらさんとたまたまスタバで遭遇。
僕の後ろに座っていたのだが、席を立って振り返った一瞬ですぐに分かった。僕は緊張し過ぎて、「生まれたての子鹿」のように足が震えていた。
この日が僕の人生で大きな転機となった。
なぎらさんのコーチングを受けてみたいと思っていたものの、なぎらさんの枠は人気でいつも埋まっておりコーチングが受けられなかった。
だが、この時ばかりは運命を感じたのでTwitterのDMで「コーチングを受けたい」と連絡し、枠を開けてもらい体験コーチングを受けることに決定。
そして、数日後なぎらさんのコーチングを受けた。
その日、たまたまAKIOBLOGさんもオフィスにいた!
僕の人生を大きく動かしてくれたお二人と写真を撮っていただき本当に嬉しかった。この写真は墓場まで持って行きたいくらいの宝物。
いつかは会えると思っていたが、こんなタイミングでお会いできるとは。
とても緊張したのを今でも覚えてる。
そして、この日2人みたいに僕もいろんな人に良い影響を与えたいと思った。そのためには自分がとてつもない結果を残さないといけないと覚悟した日でもあった。
この日のコーチングで年内目標が、「月収100万円」に決定した。
当時の僕には全く想像もしてない世界だった。
そして、なぜかその場で「やれます!」と言い放った。
なぜだかコーチングを受けながら、自分なら出来るとその場で思った。
そして家に帰って、月収100万円の自分と現状の自分の差に「絶望」した。
やると覚悟を持って決断した目標を諦めるわけにはいかない。
「絶対に達成してやる」
この感情は達成するまで毎日消えたことは一度もない。
この日から僕の行動量はより増し始めた。とてつもなく行動し始めた。
周りの人から心配されるほどに行動をし続けた。
そして、コーチングから数日後には第一志望の企業に内定。
内定率も40%と以前の転職活動に比べて圧倒的に良かった。
内定した瞬間は本当に嬉しかった。
社会人になって、色々な行動してきたことがようやく少し報われた気がした。
当時同じアパートに住んでいた、親友の石田には満面のスマイルで内定したことを伝えた。一緒にとても喜んでくれた。
ここまでくるのには、彼との「出会い、応援、サポート」がないと転職は絶対にできてない。
それくらいたくさんの面で助けてもらった。
そしてもちろん、お世話になっているすべての人に感謝の連絡をしまくった。
この瞬間、最終的にはやるのは自分。でも、「周りの人の支えがあることで、行動の原動力になり、苦しい瞬間に踏ん張れたことに気づいた。」
だから、周りの人にはどんな些細なことでも常に感謝を伝えていくべきだとより一層感じた。
この時からいろんな人への感謝を感じることが明らかに増えた。
そして、転職が決まって数週間後にメンターの方から、副業案件のお話を2件もらった。
もちろん2つとも即答で、「やらせてください」と伝えた。
人生には大きなチャンスが時に現れる。
でもチャンスに乗るためには日々準備をしてないとチャンスを自分のものにできない。そして、自分にはまだ無理かもとビビって逃げてしまうと、次のチャンスは遠くなる
だからこそ一個のチャンスをモノにするために、「日々の積み上げでの準備」と「少しの勇気」がとても大切と、この瞬間に再び痛感した。
そして、メンターさんにも頭が上がらないくらい、感謝しかないです。今でも一緒に仕事をさせてもらったりしてますが、いつか大きな恩返しをしたいと思ってます。
2021年8月 本業と副業がスタート
同時に2つ新しいことを始めたので本当に大変だった。
でも最高に日々が充実していた。
そこからは、1ヶ月に本業200時間、副業100時間ほどプログラミングに時間を費やしていた。
この頃の僕は常軌を逸したようにプログラミングをやりまくっていた。
途中からは、副業が2つに。
フジイ青年は止まることを知らず、
日に日に成長している自分を感じ毎日プログラミングに没頭していた。
そして転職して、1ヶ月で月収も以前の3倍以上に。
ただ、僕は年内に月収100万円を目標にしていたので、こんなところで満足してたらダメだとさらに行動を加速させた。
常に「月収100万円を達成する」ということを唱えながら、毎日行動していた。
そして、人間は環境に大きく依存するので「月収100万円超えている人」と関わりまくった。気づいたら、僕の周りはとんでもない収入を稼いでいる人ばかりに。
収入が高い人も結局同じ人間。『自分にも出来る』と思い始めた。
そこからは、絶対にできるイメージが湧いてきた。すでに実現している人と関わることは、何かを成し遂げる上でとても重要な要素だと改めて実感。
この当時、月収100万円への執着心がとてつもなかった。
毎日、そのことしか考えてなく一緒にいた人は「とうとうイカれちゃった」と思われてたかもしれない。
そして猛烈に行動し続けた。その頃は休むという概念を失っていた。
そして、周りからは「休んだ方がいいよ」と言われたが、全く耳に入ってこなかった。
2021年12月末 月収100万円 達成
ここで月収100万円を達成した。
達成した瞬間は、嬉しさより安堵。
そして、「自分でも出来たんだ」という大きな自信になった。
コーチである、なぎらさんと交わした約束を達成できてホッとした!
ここまで、エンジニアになって1日たりともコードを書かなかった日はなかった。
この時感じたことが、
こんなことを大きく感じた。
月収100万円なんて、社会人になったばかりの自分では全く想像もしてなかった。
『人間は本当に覚悟を持って行動すれば目標達成は可能』
そう感じれた体験だった。
だからこの記事を読んでもらった人たちには、何か目標を掲げてそれに向けて努力してみてもらいたい。
本気で目標達成するための行動をすれば、大抵のことは達成できる。
行動した先に新しい世界が見えてくる。
正直にいうと、ここまでくるのは本当にほとんどの日が苦しいことばかりで、恐怖で寝れなかった日もたくさんあった。そして、上手くいかない日がほとんど。ただ、継続して継続して困難を超えないと、目標達成は訪れない。
何かを成し遂げる上で超重要なマインドである、GRIT(やり抜く力)を僕自身はとても昔から大切にしている。結局、どんだけ天才でも継続できずに辞めると、その才能は開花しない。逆に才能がなくても粘り強く継続しているといつか結果が出る瞬間が訪れる。だからこそ、必ず成し遂げたいことがあるなら、くじけずにやり抜いて欲しい。
2022年4月 フリーランス
3月で会社を退職をし「フリーランスエンジニア」として働くことに。
フリーランスになった理由は色々あるが、①収入アップ、②自由度の高さ、③時間が確保できる この辺りが大きい。
これからはエンジニアとしてもやりつつ、他の事業もやって行きたいのでフリーランスで安定してそれなりのお金をもらいつつやっていくことに決めた。
ちなみに単価を言うのは隠そうと思ったが、イメージつきにくいと思うので書いておきます。
フリーランスとしてやっていけるのか若干の不安はあるが、人生に完全なタイミングなどいつまで経っても来ないので迷わず独立。
「思い立ったが吉日」
即行動しないとその行動熱は冷めちゃうので、思い立ったらすぐ行動するのが得策。(フリーランスになる「メリット」や「デメリット」はしっかり情報収集した上で)
今後は、「フリーランスエンジニアになった理由」や「フリーランスエンジニアの実態」などを赤裸々に、LINE@で配信していこうと思いますので、興味ある方はご登録お願いします。
これを読んでくれた方なら分かると思いますが、異業種からエンジニア転職してフリーランスエンジニアとして、それなりの収入を稼ぐことは努力次第で可能。
おわりに
最後まで見ていただきありがとうございました。
こんな感じで、僕自身は特筆した才能の持ち主ではなく、むしろ「雑魚キャラ」でした。色々な困難を乗り越え、努力してここまで来れました。
上記3つのことを成し遂げ、想像もしてない自分に到達することになりました。ただ、僕自身は現状の自分に全く満足してません。もっともっと猛烈に行動して、さらに想像もしてない世界に行きます。
もし人生にモヤモヤしてる方、自分はこんなもんじゃないと思ってる方は、何かに挑戦して結果が出るまで何か一つでもやり遂げてみて下さい。結果が出ることで、自分に自信が出て、さらに自分の可能性はもっともっと広がって、人生が明らかに色鮮やかになります。
「何をやっていいのか分からない」
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そんな方はぜひ一度、僕の「無料コーチング」を受けてみてください!
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すぐ行動できる人は全体の「1割」ほど。
その1割に入った瞬間に
あなたの人生はかなり成功へ一歩近づくことになります。
今回は『ノーリスク』でコーチングを受けられるので、
お待ちしております!
これからは、たくさんの方の「無限の可能性を引き出す」ことを事業としてやっていきます。そのためにも、「コーチング事業」や「エンジニア転職サポート」をやっていきます。そして、僕の発信を通して「人間の可能性」について多くの方に知ってもらうためにも、今年はSNSでの発信も本気でやっていきます。
これから何かに挑戦していくと、「苦しいこと・困難なこと・悔しいこと」が必ず訪れますが、ほとんどのことは乗り越えられる。本当に辛くてどうにもならない時は、一旦逃げたらいい。また復活したらいいだけ。だから日々挑戦して、人生を一緒により豊かなものにしていきましょう!!
僕はこれからもいろんな挑戦をして、もちろん結果を残していきます。
最後の最後まで読んでいただきありがとうございました。
多くの方に「人間の可能性」について知ってもらいたいので、この記事をSNSで拡散してもらえると飛び跳ねて喜びます。
では共に最高の人生にして行きましょう!!
僕は誰よりも人の可能性を信じ続けていきます。
「人間の可能性は無限大」
フジイ
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