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「流れに従って生きる」①ー大学生活編ー ACT1:大学受験勉強

私は、高校3年の大学受験の頃から、「流れに従って生きる」という感覚を身につけるようになり・・ず~っと、その信念で生きてきました。


 高校3年のとき、
「大学に進学する」・・というだけで、それ以外の明確な目標のないまま、日々「受験勉強」・・に時間を費やしていました。

多分、休みの日は1日12~13時間、起きてから寝るまで勉強していたと思います。
 しかし、あまりの猛勉強のため・・疲れはててしまい・・受験間近だったのですが、1週間ほど一切の勉強をやめて、外で星ばっかり見て考えていました・・。

何のために勉強しているんだろうか」・・

何のために大学に進むんだろうか」・・

「将来、何をやりたいんだろうか」・・

答えが出るまで、勉強がする気持ちにならなくなりました。

 毎晩、星を見ながら問答をしていましたが、その時の心境としては、
「勉強しても目標がないなら受験で失敗してもいいや」…という感じでした。


 そんな、こんな、問答をして約1週間・・、不思議と自分の気持ちの中で整理がついてきました。(天から導きが来た感覚でしょうか)
 しかも、その方向が、人生 納得いくなあ・・という確信めいたものも感じました。


 結論としては、
「ものづくりが好きだったから建築をやろう」と
「漫画も好きだからマンガ家になろう」の2本立てでした。



 これ以外は頭から消えて、遅れを取り戻すように勉強に集中しました。
 目標を持った時の集中力の差は、格段に違うものだ・・という感覚は今でも覚えております。
 家が貧乏なので、近距離・国立大学・建築学科・・というと東北大学しかなかったため、今まで以上に勉強したと記憶しています。


ここから、不思議な受験が始まるのでした・・。


つづく・・
 



「流れに従って生きる」ACT2:共通一次試験(受験史上初の とんでもハプニング)


【共通一次試験】

 共通一次試験(現在でいうセンター試験)が最後となる年に私は大学受験をしました。
 私はこの受験で科学系の試験4つの中から「物理」と「化学」を選択して受験しましたが、あまりの難しすぎる問題に顔面蒼白・・(@@;)。
 動揺を隠せず、共通一次で いきなり つまづいてしまいました・・( ̄O ̄;)。



 合計点数も予想をはるかに下回ってしまい、大学選択を変更せざるをえない状況に陥ったのです。
東北大学の足きりラインに到達しなかったのです。

人生設計すら変わる状況に、しばし呆然・・
「困った・・何になるために、どこの大学を選択しようか」・・(;_;)



ところがどっこい、ありえない「前代未聞のトラブル」が発生。

① 科学4教科の問題難易度に、あまりにも差があるということで、お国から「点数調整」という前代未聞の「ありえない措置」が急浮上!。

② それによる世の中の混乱に伴い、東北大学が「足きり」を行わないことを緊急発表!!(これも前例ナシ!)。

③ さらに、1次試験の点数は、2次試験の点数の比率にすると、ものすごく圧縮され(ほぼ0に近いくらい)、事実上「2次試験のみ」の一発競争になりました。
 

これは超ラッキー!(俺にもまだまだ運はある。)



こんな、「ありえない出来事 3連発」のおかげさまで、なんとか東北大学の工学部に滑り込むことができました。

この時点で学科は決まっていませんでした。
あきらめなければ・・何とかなるものだ・・と、自分の幸運ぶりに喜んでいる日々でした(^^;)



まだまだ、ありえない人生物語はつづきます・・。


事実は小説よりも奇なり


  
 


「流れに従って生きる」ACT3:サークル決定


この後も不思議は続きます。
 やっと受験地獄から開放された私は、何のサークルに入って、大学生活を楽しもうかと考えていました。
 「漫画研究会」も、とりあえず覗いてみたいが・・オタクな人達ばっかりだったら嫌だし、「サッカー」も続けたいなぁ・・と迷っていました。
 両立は無理だからどちらかに絞ろうと考え、まずはサッカー部の部室に行ってみました。

人のいない寂しい部室


・・ところが、部室に行ってみると、「イマァ~誰も、イマシェーンねぇ」と・・、居たのは東南アジアからの留学生1人だけで、いまいち会話にもならず「あとでまた来ます」と、その場をあとにしました。

 「ん~・・サッカーはやめろという流れなのだろうか・・」と考えつつ、その足で漫画研究会へ…

漫研の様子

 ・・すると、すごく大勢の部員がいて、「わぁ、新入部員だぁ」と半ば強制的に名前を書かされてしまい、おまけに「白鳥はマージャンできるの?」とすかさず聞かれました。


「はぁ、出来ますよ」


「マージャンしたい?」


「まぁ。そうですねぇ・・」(←そういう答えを期待している場の雰囲気に飲まれて・・)


・・・次の瞬間・・・



「ぶぁんざ~~い!!」と大きな布切れの下に隠されてたマージャン卓とマージャン牌が登場。

 なんでも、新入部員が「マージャンしたい」と言わない限り、部員勧誘時期はマージャン禁止だったとか・・。

 禁断症状に陥っていたメンバーが「最近の若いモンは、マージャンをしない」と嘆きはじめていたときに、マージャンのできる私が現れたとか・・。
 そのまま、初日から夜遅くまでマージャンをする羽目になり、結局、これも流れか・・とサッカーから身を引いた瞬間でした。


 きっと、サッカー部がこんな感じで部員が大勢居たら、漫画研究会には入っていなかっただろう・・。

 不思議なことに、漫画を描く機会が増えたことが、のちのちの人生にはプラスになっていくことになります・・(^^;)


事実は小説よりも奇なり

お天道様は見ています。


つづく・・



「流れに従って生きる」ACT4:学科ピンチ


 学科ピンチ(人生最大のピンチ


当時の東北大学は、1年生の成績で、2年生以降の学科が振り分けられる仕組みでした。
 私は工学部として1000人以上の集団で合格したので、2年生になるタイミングで10個ある「学科」に振り分けられることになるのでした。


目指すは1つ・・「建築学科」です。



 建築学科に決まっていなかった私ではありましたが、友達の紹介で1年生のときに地元のN建設で模型づくりのアルバイトをすることになりました(これも、流れか・・と相変わらず・・)。これが、N建設との腐れ縁の始まりになろうとは・・。
 このころのN建設の専務は変わり者という言葉がぴったりの人でした。


 組織の人間というよりは、自由に行動しているし、面白い人脈も多く、アルバイトの私をいろんな人に会わせてくれたり、いろんな勉強会にも参加させてくれた。
 実は、学生の時代から、今、お付き合いしている多くの人(鎌田先生・西方設計さんなど)とは面識もありました。
(今、考えると、早々たる超大御所と学生時代につながっていたのです)
 そういう意味で、「流れとしては間違いないのだろう」・・と思い込んでアルバイトをしていました。



 こういう感じで1年間、ろくに勉強もせず、アルバイトとサークル遊びで過ごした私にとって、人生最大の危機が1年生の最後におとずれました・・。


 1年生での20個近い授業のうち「成績A」が2個しかなかったのです。授業を抜け出したりカンニングで授業や試験をくぐってきたのだから当然といえば当然でしたが、ひどい結果にしばし呆然・・。

 そのあとに建築学科が、例年人気の学科で、倍率は1.5倍前後を示す・・ということを初めて聞かされました。
 事務局の方に「Aが2個の成績では無理ですよ。毎年、A7個でギリギリです」・・と言われても当然なのでした。


<希望学科の事前「予備調査」結果発表の日・・>



希望学科「予備調査」の結果を見て、
私は、開いた口がふさがりませんでした

・・( ̄O ̄;;;)


建築学科は、例年以上の人気ぶりで2倍を超えて、
10個ある学科の中で1番の超難関学科
なってしまいました(がーー;ん)。


まさに人生の一大ピンチになってしまいました・・。



つづく・・



「流れに従って生きる」ACT5:学科迷走


建築学科がこんなに人気学科とは知らなかった私に、追い打ちをかけるように、予備調査では10学科の「最高倍率」にまでなってしまい、すっかり途方に暮れてしまいました・・(;_;)

私は、一度退学して入学し直そうか・・・とも考え、友達に相談・・。
ただ・・、退学して、すぐに入学できる保証もない・・(--;)。
この1年間で受験勉強時期の脳みそは、既に退化している・・。


3年生の時に「学科を変更できる試験」がある・・という情報を入手して、手続きの方法を事務局で聞いても、「まだ、学科も決まってないのに、そんなの説明する必要もないでしょ」・・をあしらわれ・・

(そりゃそうだ・・)

悶々とした日々を過ごしてました。


 

友達からは、「第1志望で滑ったら、第2・第3も定員に達してて、第10志望まで一気に滑ることもあるから、無難な学科で志願したら・・」とアドバイスされました。
それでも、建築学科にしか進むつもりはなかったので、「ああ・・1年間、ちゃんと勉強すればよかった・・(;_;)」・・と、ちょ~後悔しました。


<希望学科の本申込みの日・・>


私は、腹を決めて・・

第2志望以下はほぼ見えない

第1志望欄に「建築学科」と・・枠からはみ出るくらいの大きさで記入し、第2志望~第10志望までは、虫眼鏡で見ないとわからないくらいの大きさで、適当に学科を並べて提出しました。


それから学科発表までの約1週間・・


私は、人生設計の見直しを迫られ・・、「将来、何をしようか」・・「退学しようか」・・と考えたり、3年生の時に学科を変える試験の方法を調べたりして日々を過ごしてました。



しかし・・ここから思わぬ展開が待ち受けているのでした・・。



事実は小説よりも奇なり


つづく・・




「流れに従って生きる」ACT6:学科決定


<学科、発表の当日・・>


 私は、まわりが喜んでいる中で、がっかりするのが怖かったので、発表掲示板を友達に見に行ってもらって、自分は自宅でテレビを見ていました。

 夕方ちょっと前だったと思います。
 自宅の電話が鳴りました。


 多分、友達だな・・と思い、ドキッとはしながらも、結果は見えているので重たい気分で受話器を取りました。


 やはり、掲示板を見てくれた友達でした・・。

 

友達:「白鳥・・、あのさ・・白鳥の名前が 建築学科に載ってるぞ・・」 

私:「・・ウソだ。またまた俺を喜ばせようと思って、ウソついてんだろ!」(よく騙されたりもするので、こんな時まで…という思いでした。)

 友達:「ここで、そんなウソついてどうすんだよ・・」

  私:「ありえないよ・・」 

 友達:「俺も、そう思ったんだけど、実際、書いてあるんだから・・。ウソだと思うんなら、自分で掲示板を見に来たらいいさ・・」



私は、急ぎ、大学へバイクを走らせました。




大学に到着・・



掲示板の前・・



深呼吸・・



目を疑いました・・。




頭が真っ白になりました・・





なんと、私の名前が建築学科に載っていたのです…。


別な意味で血の気が引きました・・。


 あとで知ったのですが、予備調査であまりにも建築学科の倍率が高く、多くの人があきらめて敬遠し、なんと建築学科が「歴史上初めて定員割れ」だったのだそうです。 


「これも流れなのだろうか」・・。私は九死に一生を得ました。
「人生の方向が間違っていないのだろう」・・と強く思う瞬間でもありました。


これ以上のありえない出来事が今後の人生で起きてきます(^^;)



事実は小説よりも奇なり

お天道様は見ています。



「流れに従って生きる」ー大学生活編ーACT7:建築学科時代の私

 
建築学科に「とてつもない運」で進んだ私でしたが・・、時間が経つにつれて真実を知って笑ってしまいました。
 私の成績は、建築学科に進んだ中では、ドンケツから1番か2番だったということでした。
 私のドンケツ対抗馬が牧田という友人で、実は、現在、仙台にある当社と同名の(株)木の香の家の代表(現在は住文舎に改名)です。
 不思議なもので、建築学科に進んだ仲間のうち、30歳前後で独立して会社をやっているのは、このドンケツの2人だけなのです。学校の成績が低いほど怖いもの知らずで独立するものなのでしょうかね・・(^^;)



この牧田とも、その後、不思議な腐れ縁でつながっていくことになります。 



 私は、3年生の終わり頃に、結局、アルバイト先のN建設に就職することを決めました。親には「もう少し有名なところの方が給料いいはずだ!」と反対されましたが、「流れ」を感じたので、それに従うことにしました。
 ちょうど同じ頃、牧田も、アルバイト先の零細企業の都市計画事務所へ就職を決めていました。こちらも薄給確実な会社で、給料優先ではなく「流れ」で動く不思議な2人でした。


 しかも・・誕生日も一緒・・という、不思議な縁です(^^;)(365分の1の確率・・成績の対抗馬を考えれば、もっと低い確率です)


4年生初期の就職ガイダンスで建築学科の生徒が全員集められたとき、担当の教授が・・「みんな、白鳥と牧田のように、自分で勝手に就職先を見つけてくれれば、俺の手を煩わせることもないのになぁ・・」とグチを言ってたのを覚えてます。
 よくわかりませんが、人に就職先を決められるより良かったような気がしてました。


多少、自慢にはなりますが、机上の勉強はできなくとも、
建築学科での設計力は「四天皇」の1人と言われるくらい、
そこそこは出来ました(^^;)。
 漫画を描いていたせいか・・、頭の中で3次元に空間を構成する力がついていたようで・・、漫画研究会に行ってて良かったとつくづく思いました。


ここから、超~不思議な卒業試験へと話は展開していきます!


事実は小説よりも奇なり。

お天道様は見ています。



「流れに従って生きる」ー大学生活編ーACT8:不思議な卒業試験①


 建築学科では、設計はそこそこ・・デスクワークはいまいち・・という感じで、なんとなく過ごして・・、就職先も決まり・・いつの間にか4年生の10月くらいになっていました。
 設計課題になると数日連続で徹夜するくらい気合が入っていたことを覚えています。
 そんな私に、またもピンチが訪れました・・。


 必修単位の「構造」の試験がどうしても取れず、追試験まで落ちていたのです・・(――;)


 東北大学の建築学科は、実は、「構造」分野で優れている大学で、原子力発電所など特殊建築の構造計画を国から委託されるほどだったのです。そのため構造の授業が難しく、私のような単細胞では理解しにくいものでした・・。


 最後の再追試験に残ったのは約10名・・。
 もちろん試験を取れなければ、卒業できず1年後に持ち越し・・。
 10人くらいだと、カンニングも出来ない(;_;)


「そうだ!答えをみんなでサインで連絡しあう方法があるぞ!」・・うまくいくかなぁ・・。「ちょっと・・いや・・かなり、やばいなあ・・」と、久々に机に向かって猛勉強・・。 
 就職先の会社には、「もしかすると、1年卒業がずれるかもしれません」・・と念のため報告。 
 猛勉強するも、参考書や教科書をめくっても理解できない難しさ・・。 最後には「こんなの解かんなくたって生きて行けるじゃん」・・と投げやりになる始末・・(ーー;)


 そんな勉強をしていた試験2日前・・ 自宅の電話が鳴りました。


 実家のおふくろでした・・。


おふくろ「顕志…おじいさんがまずい状態なんだけど、帰って来れない?」

私「え? まずいって、どんな状態なの?」

おふくろ「もしかすると、亡くなるかもしれない・・」

私「えぇ・・!。でも俺、明後日、最後の卒業試験なんだよ・・。」

おふくろ「でも、死んでしまってからではなんだから・・先生に言って帰ってこれないの?」

私 「・・・」
(そりゃそうだよなぁ・・死に目に会うのと、試験とどっちが大事か・・)

私「先生に融通きかせてもらえるか、明日聞いてみるわ・・」



翌日、私は、構造の教授に電話して、祖父が危篤状態になり実家に戻らなければならないことを伝えました。
 教授は快諾してくれ、後日、1人追試験を行うことになりました・・。



 ・・しかも、教授室で・・


 1人追試験・・って、「カンニング」 も 「答えの伝達」 も絶対に無理じゃん(;;)・・。
ガーン(--;) 
 そんな、絶体絶命の窮地に追い込まれながら・・試験当日、私は実家に戻りました。

 

ここから、ありえない不思議な展開が待っているのです。

 

事実は小説よりも奇なり


つづく・・




「流れに従って生きる」ー大学生活編ーACT9:不思議な卒業試験②


私は、おじいさんの死に目に会うのを覚悟して実家に戻りました。


 <実家にて・・>


 実家に帰ると、妹も実家に帰ってきており・・なんだか・・変な感じが・・

私「あれ・・お爺さんは・・?」

妹「それがさぁ・・ちょっとおじいちゃんの部屋に行ってみてよ・・」

 

祖父の部屋をそっと開けると・・


信じられない光景が・・。

 

手足が不自由で、ほぼ寝たきりの祖父が・・ベットの上でぐるぐる動き回っている・・

しかも、私を見るなり「お前!誰だぁ!!」と叫びだす・・。


「殺されるゥゥゥ!!!!」とわめき散らす。
開いた口が塞がらないような光景に、しばし呆然・・。


私 「じいさん・・いったいどうしたの?」
母 「3日くらい前から、急に、頭がおかしくなったみたいで、ベットの上でぐるぐる回ったり、誰の顔を見ても分からなくて騒いでいるんだよね・・。」

私 「・・・ なんで・・・」
母 「こうなる直前に・・『みこ!みこ!』・・って何度も叫んでねぇ・・。それから急におかしくなったんだよ・・。お医者さん呼んでも、よく分からない・・と言われてさ・・。」


『みこ』・・とは、当時、我が家で飼っていた猫の名前でした。

 

ここから不思議な出来事が続くのでした・・


事実は小説よりも奇なり


つづく・・




「流れに従って生きる」ー大学生活編ーACT10:不思議な卒業試験③


祖父が「みこ!みこ!」と叫んでから急におかしくなった・・という信じがたい状況から・・こんな会話が続きました。


私 「そういえば、みこ(猫)はどこに行ったの?」
母 「それが、その日から 帰ってきてないんだよね・・」
私 「え・・。もしかして、どっかで死んでるんじゃないの・・」
母 「縁の下とか、納屋とか、一応見たんだけど、居ないんだよねぇ・・」
私・母・妹 「・・・・」


 ふと・・、私が ひらめく? 頭をよぎる? 直感? めいたものが頭に浮かんで・・


私 「みこが 最後に子供を産んだ場所ってどこだっけ・・?
妹 「あ・・かやぶき屋根の雨戸の戸袋の中だ・・」
私 「まさかなぁ・・そこに居たりして・・(^^;)」
妹 「とりあえず見てみようよ・・」

私と妹は、江戸時代に建てられた かやぶき屋根 の建物に行き、みこ(猫)が最後に子供を産んでいた、戸袋のところに行きました。

 

そして、立て掛かっていた数枚の雨戸をずらしました。

 

みこ(猫)は、そこで死んでいました。


ぞくぞく・・という、寒気を感じました・・。

  

その場所に 呼ばれた感 がして、思わず「うわっ・・」と声に出してしまうほどでした。
みこ(猫)は、とりあえず、土に埋めて弔ってあげましたが・・

 爺さんが『みこ、みこ』と叫んでから、おかしくなったのと・・、その『みこ』が、本当に死んでいて、私が直感でそこに呼ばれた感があったのと・・いろいろ重ねると・・
 なにこれ・・みこ(猫)が 爺さんに取り付くって・・そういう事ってあるの・・?
 そういうことって・・世の中にあるものなの・・?

私は、当時は、お化けとか・・幽霊とか・・宇宙人とか・・あまり信じない方なので、この不思議な出来事が、ショッキングでした・・。

もし、仮にそうだとしても、現状・・病気でもない爺さんを治す方法もないので、これからいつまで 爺さんはこの状態なんだろう・・という現実だけが重くのしかかっていました。
 特に危篤でもない・・基本的には元気・・なので、私は翌日には仙台に戻ることにしました(再追試験のため)。

 


事実は小説よりも奇なり

 

つづく・・ 



「流れに従って生きる」ー大学生活編ーACT11:不思議な卒業試験④


おじいさんの容体が意味不明なものだった私は、大学に戻ることにしました。


<大学にて・・>


私は、お礼を伝えるために『構造の教授室』に行きました。

教授「おじいさんは大丈夫なの?」

私 (不思議な話はしないで) 「ん~・・よく分かりません・・。数日は大丈夫そうなので戻ってきました・・。

教授「それじゃ、明日の2時にここ(教授室)に来なさい。すぐに試験をするから」

私「え!。明日ですか? 早っ・・」

私は息つく暇もなく、翌日、最終追試験を受けることになりました・・

勉強したことは、今回の騒動ですっかり すっ飛んでしまい・・、留年確実な・・たった1人の孤独な試験に臨みました(;_;)。



<最終試験:教授室にて・・>

教授「はい、これが試験です。」

私の心の中 (げ・・見るからに難しい)

教授「時間は90分」

私の心の中 (分からない90分は、苦痛以外の何物でもない・・なあ)

 

留年・・確実・・

 

・・と思ったとき。教授から思わぬ一言が・・

教授 「教科書と参考書 見ていいから」

私  「え!?・・見ていいんですか?」

教授 「おじいさん大変だったろうから、特別いいよ」

私  「マジすか!?」

教授 「あ・・あと、私、授業があるから、途中で居なくなるので、1人でやっててね・・。助手が たまに見に来るけど、終わったら帰っていいから・・」

私の心の中(やったぁぁ~♪・・不敏なことも役立つものだ・・(^^;))

 

 試験がスタートして、間もなく、教授は授業へ行き・・、私は、教科書を広げて、どうどうとカンニング?・・(^^;)。

・・しかし・・

もともと、教科書見ても理解できない難しさなので・・結局、よく分からず・・(@@;)

「やばい、やばい」・・と、焦りながら、教科書をべらべらめくって時間が過ぎていきました・・(--;)

 
やっぱり・・留年だ・・

そう思って、諦めかけたとき・・


つづく・・


事実は小説よりも奇なり


 

「流れに従って生きる」-大学生活編ーACT12:不思議な卒業試験⑤


卒業試験(構造の再追試験)をあきらめかけていた・・そのとき・・助手のAさんが入ってきました・・。

助手Aさん「白鳥・・おじいさん大変なんだって?大丈夫なのか?」

私(ここまで来たら不敏を装って)・・「あと、何日もつか分かりませんが・・数日は大丈夫かな・・という状態です・・(--;)」

助手Aさん「試験の方はどうだ・・。きちんと卒業してお爺さんを安心させないと・・

私 (不敏オーラ 全開で・・)「教科書見て良いとは言われたのですが・・なかなか難しくて・・ダメですね・・

助手Aさん「・・・」 じ~っと【試験問題】と【私の回答】を見て・・

助手Aさん「白鳥、お前バカだなぁ・・。ここはさ・・、例えばだよ・・」と、Aさんは、分かりやすく説明をしてくれました。

さらに・・

助手Aさん「仮に、ここの数値が、こうだったとすると・・。あくまで仮の数値だよ・・」と言って、計算の方法まで教えてくれました。

・・しかも・・

私の心の中(え!? それって、答えそのものじゃん!(@@;))

Aさんは、「仮の数値」・・と言いながら、答えそのものを書いてくれました(;_;)。

Aさん「解ったか?」

私「ええ!よく分かりました(そりゃそうだ・・)」

Aさんは「それじゃ、書き終わったら呼んでね」・・と部屋を出て行き、私はAさんが書いてくれた答えを回答用紙に丸写しして試験を終えました。

 


教授・・助手Aさん・・ありがとうございました(^^)

 
こんな九死に一生を得る形はあるのだろうか・・(^^;)

 

試験を無事に終えて、卒業が確実になったその日の夕方、自宅の電話が鳴りました。

実家の母親からでした。

母「おじいさん・・治ったよ・・」

私「え!?ウソ?・・どうやって!?」

母「それがさ・・近所の 咲江さん(爺さんの友達おばあさん)が、除霊師という人を連れてきてさ・・。その人に拝んでもらったら、すぐに戻ったんだよ・・」

私「マジで!?。そんなことってあるの(?_?)」

母「私もびっくりだよ・・。 霊ってあるんだねぇ・・」

私「信じられないねぇ・・」

母「ところで、卒業試験はどうだったの・・?」

私「おかげさまで・・卒業できそうだよ(^^;)」

 

今回は、いったい「なんの」おかげ・・?
・・だったんだろう・・。


不思議な数日間でした・・(^^;)。

 

 

 ここでいったんー大学生活編ーは終わりますが・・「社会人編」は、この不思議さがますます大きくなる出来事が続くのです。

 

事実は小説よりも奇なり。

お天道様は見ています。


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★「流れに従って生きる」②ーN建設編ーは下記より飛んでください。
安月給の会社で5年、自分スキルを上げた爆笑ストーリー(実話)!
20代の若い社会人の皆さんのヒントになるかもしれません。
「流れに従って生きる」②ーN建設編ーACT13:ここに居る意味がある|けんけん(白鳥けんし) (note.com)


★「流れに従って生きる」③ーフランスワールドカップ編ーは下記より飛んでください。日本が初めてワールドカップに出場した大会。会社を辞めて観戦に一人旅。そこでも起きる不思議な出来事…(実話)。なにかのヒントになるかもしれません。
「流れに従って生きる」③ーフランスワールドカップ編ーACT31:不思議な出会いその①|けんけん(白鳥けんし) (note.com)


★「流れに従って生きる」④ー転職準備編ーは下記より飛んでください。
次の行き先を決めないままN建設を退社。
しかし、人生とはうまくつながるものです。人生の転換を考えているかたになにかのヒントになるかもしれません。
「流れに従って生きる」④ー転職準備編ーACT37:HAさんとの不思議な縁|けんけん(白鳥けんし) (note.com)


★「流れに従って生きる」⑤ーCホーム編ーは下記より飛んでください。
Cホームでの経験が次の人生に大きく影響しました。
最後は宝くじで10億当たる以上の出来事で電流が流れます。
人生で岐路に立つ方になにかのヒントになるかもしれません。
追い風が吹いているとき帆を上げれるか・・・
「流れに従って生きる」⑤ーCホーム編ーACT40:Cホーム入社|けんけん(白鳥けんし) (note.com)


★「流れに従って生きる」⑥ー独立準備編ーは下記より飛んでください。
独立することを決意したときから、巻き起こる信じられない偶然の出来事!これはなんなのか…引き寄せの法則とは本当にあるのか…?
信じられないストーリーは、人生の中で勇気ある一歩を踏み出した方になにかのヒントになるかもしれません。
「流れに従って生きる」⑥ー独立準備~編ーACT47:独立準備|けんけん(白鳥けんし) (note.com)


★「流れに従って生きる」⑦ー仙台スタート編ーは下記より飛んでください。仙台でのスタートは衝撃の出来事の連続です。
まるでジェットコースターに乗ったような展開は、起業を目指している方へのなんらかのヒントになるかもしれません。
「流れに従って生きる」⑦ー仙台スタート編ーACT53:「項羽」と「劉邦」|けんけん(白鳥けんし) (note.com)


★「流れに従って生きる」⑧ー再独立編ーは下記より飛んでください。
ついに最終章!。今まで仕込まれていた絡まった糸の数々が全てここにつながっていたのか・・と驚きます。
怒涛のラスト18話・・・是非読んで下さい!。
事実は小説よりも奇なり。お天道様は見ています。
「流れに従って生きる」⑧ー再独立編ーACT66:大どんでん返し|けんけん(白鳥けんし) (note.com)

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