「流れに従って生きる」⑤ーCホーム編ーACT40:Cホーム入社
こうして提案書を送った半月後の10月1日、私は、ほどなくCホームに入社しました。
入社前に提案書を送るという前代未聞の行動を取ったので、どういう目で見られているのか気にはなりましたが、その会社の器の大きさも知れるかな・・と開き直り感もあっての出社となりました。
しょっぱなから、またサプライズがありました・・。
私の配属は営業ではなくなっていたのです。なんと、開発室になっていました。もっとやってみたい事があったのでラッキーだと思いました。
社長からは、提案書について否定的な意見は言われず、よく覚えていませんが褒められた記憶があります。
そういう点では、意見が言える会社だな・・という安心感がでました。
ただ、入社したときのCホームは決して前途揚々という感じではありませんでした。社員の目や会話振りを見てればそれは肌で感じました。
N建設と同じ臭いがしたのでした。
1週間もしないうちに、その原因がわかりました。
Cホームの問題点
家を売るという仕組みとしては、ほとんどN建設と同じで、商品もなければ、価格も不明、やはりアピールするものもない・・と営業マンが大苦戦。
言葉は悪いですが、土地をエサにお客さまを確保するか、価格の安さでかろうじて物件を取ってきているという状態でした。
さらに、その価格の安さも根拠がなく、営業マンが契約欲しさに勝手に価格を切ってくるという状態でした。
現場は、「予算がないんだから」と混乱しており、さらに、あとから明るみになる営業マンの「サービスしてお付けします」の別途工事の山に、現場監督の不満が爆発しそうな状態でした。
全体会議で、それぞれの部署からの意見を出す機会もあったのですが、ここで、思わぬ発見をします。
それは、ほとんどの人が、他の部署のことを知らないということでした。
営業部は、いままで営業の仕事だけしていたため、「設計部の考えていること」「工務の考えていること」を全く知らないし、他の部署も同じことが言えたのでした。
私は、N建設で基本的には全部やってきたので、この状態での全体会議の光景が不思議も思えたし、ちょっと面白く見えました。
営業は・・
「設計積算部の提案力がないから売れない。もっと安くないと売れない」
「工務は、なんでもっと現場に出て、きちんと管理できないんだ」
設計積算部は・・
「営業の売り方がだめなんだ。これ以上安く出来るか!」
「いいから、見込み客つれて来い。設計してやるから!」
工務は・・
「営業が、勝手に値引きし過ぎて、こんな予算で現場のやりくり出来ない!」
「設計も、予算に合った設計しろ」
力関係としては、設計部が一番えらい「先生」という格付けで、技術屋主体のゼネコン体質で・・「ありゃりゃN建設よりひどい会社だなぁ」・・と思いました。
会議は、大体こんなやり取りが続き、お互いにうまくいっていない責任を他人に擦り付けるだけの、子供のけんかのような会議でした。
これが滑稽でした。
だれも、どこに原因があるのか見通せていないのに、評論家のような「敗者」を演じていたのです。
ここで、N建設時代にいろんな事をさせられた経験が、実は良いことだったと思い知らされました。
私には、うまくいっていない原因がどこにあるのか見通せていたのです。
私の給料
このあと、さらに驚かされたことがありました。
私の給料でした。
社長が高く評価してくれたのだろうか、期待料なのだろうか・・入社前に聞いていた金額(25万円前後)より驚くほどあがっていたのです。
なんと、年俸制の月給48万円でした(@@;)。
ビックリしました・・・。
提案書を出してよかった・・とつくづく思いました。また、48万円ということは、年俸で600万円弱・・。「俺一人で年収の3倍にあたる1800万円の利益に値する仕事をすればいいんだな!」というやる気も出ました。
前述しましたが、私は「10期待されれば12で応える」つもりだったので、この金額に恥じない成果を上げてみせると思いました。
・・と同時に、俺がこの金額だと、ここにいっぱい居る上司の給料っていくらなの???。
経理の人に、「年間何棟やってるの?平均粗利率は?」と不安になり尋ねました。他人の給料はさすがに聞きませんでしたが、想像で計算してもどうやっても矛盾してしまうのです。
この会社、5年もつんだろうか・・。
それとも、経営マジックってあるのだろうか・・。
不思議いっぱいの入社初期でした。
ここから、Cホームの改革が始まります。
事実は小説よりも奇なり。
お天道様は見ています。
「流れに従って生きる」ーCホーム編ーACT41:Cホームでの改革
私がCホームで、まず着手したのは、商品(標準仕様)づくりと、営業ツール(簡易見積もり計算書、諸費用計算書、打ち合わせツール・・など営業7つ道具)でした。
Cホームの問題点の根本は、N建設と同じこの点にあることがすぐに分かりました。
適正利益を上げられる「仕様」と「価格」が決まっていないので、初回の打ち合わせで、そのお客さまの自己資金や年収から、建築可能なお客様なのか・・、そうでないお客様なのか・・、判断ができない状況でした。
そのため、総工事費用を概算で把握できないまま、プランや打ち合わせに時間が掛かり、かつ、やっと見積もりが出たときには、「とても建てられません」・・という展開が待っているのです。
そうなると、「数ヶ月も打ち合わせで時間を費やしたんだから、利益無視でも値引きしてでも営業成績にしたい」・・という悪循環になるのでした。
また、営業の教育にも着手しました。
もっとも駄目な部分は、「坪単価」×「面積」における「面積」の
誤認識なのです。
Cホームの誰も知らないのがガンだったのですが、
坪単価に掛ける「面積」を「延べ床面積」にすると、とんでもない落とし穴が待っているのです。
最初に、営業マンがお客様におおよその工事金額を「坪単価」×「延べ床面積」でOKであるかのように説明すると、 「吹き抜け」「ロフト」「ポーチ」「バルコニー」「ウッドデッキ」は、お客様の頭の中で「面積計算」されないのです。
ちょうどそういう物件が社内にあり、
営業マンと積算部で喧嘩していました。
住宅価格の不思議
「坪40万円くらいって聞いたから、50坪で2000万円くらいのはずじゃないのか!?なんで2500万円の見積もりが出てくるんだよ!!」
「仕方ないでしょ。部材を拾ったらそういう結果になったんだから!」
「こんなんじゃ、お客さんに怒られて契約できない!
2000万円まで下げろ!」
「出来るわけないでしょ!。
これでも、業者をたたいて詰めたんだから!!」
図面には10畳分の吹き抜けと、10畳分のバルコニーがあり、ウッドデッキも広々付いて、玄関ポーチも広々設計の豪華な設計でした。
確かに「延べ床面積」は50坪ですが、価格を算出するときに使うべき「施工面積(工事面積)」は65坪くらいの計算になりそうな図面だったのです。
結局、この物件はお客様が激怒して、
営業マンが悪者になって白紙となりました。
最初に2000万円という予算を知っておきながら、施工面積の認識がなく設計した設計部の責任が一番なのですが、この契約白紙の責任は営業部に負わされる会社の仕組みでした。
・・というよりは、「施工面積」という認識が会社全体にあれば、営業マンも「吹き抜けほしい」と言われた時点で、「吹き抜けも費用が掛かりますよ」と説明できたのであり、設計部も2000万円なら、延床面積は45坪くらいで設計して、5坪分の予算はバルコニーや吹き抜け分に使おう・・となったのです。
この手の落とし穴に気づかず、金銭トラブルを起こし、利益が残らないため破産していった工務店は日本中に数多くあります。
私も小田君(仮称)に聞くまでは、実は意識しておりませんでした。
そういう意味で、小田君がN建設に居た わずか1年ちょっとの期間は、私にとって重要な時期だったのだと気づかされるのでした。
事実は小説よりも奇なり。
お天道様は見ています。
「流れに従って生きる」ーCホーム編ーACT42:営業 丸尾さんの栄枯盛衰
見積金額がおかしい・・という事情で契約白紙となりで、いつも悪者にさせられた営業マン丸尾さん(仮称)がいます。
全く契約できず首寸前の状態でした。
原因がその営業丸尾さんではないのですが、いつも、この施工面積と延べ床面積の計算違いのからくりに気づかない設計部・積算部のミスを、営業まるさんの失敗にカウントされるのでした。
積算・設計部長からは「おいまる~,おめぇもあと2~3ヶ月で契約上げないと肩がたたかれるぞ」と脅かされて、まるさんは死に体の状態でした。
そんな 丸尾さんにラストチャンスが訪れました。
新しい契約可能性のあるお客様が現れたのです。
しかし、これと同時に・・
丸尾さんには「この案件を契約できなければ退社」・・
ということも告げられました。
営業マン丸尾さんの覚醒
設計部に不信感をいだいていた営業マン丸尾さんは、私に同行営業を依頼してきました。
私は・・・「ん・・? もしかして、これは、面白いかも」・・
と直感で思い手伝うことを快諾しました。
営業丸尾さんは 人あたり や 会話の仕方 は 営業向きなのです。
首寸前の丸尾さんをすご腕営業マンにできるかなぁ・・という面白い目標ができたのでした。
1人を育てて結果が出れば、おのずと他の人も私の話を聞いてくれるようになるだろう・・という思いもありました。
その日から、私と営業 丸尾さんの個人勉強会が始まりました。
営業に行ったとき、何と何を説明して、どういう手順でCホームの家づくりを理解してもらうか・・。
営業ツールをどういうのを用意してどのように使うか・・。
契約までの流れをイメージできるように説明しました。
そして、お客様のご自宅に訪問したという想定での模擬会話の練習も何度も繰り返しました。 営業 丸尾さんは、徐々にやれそうな気持ちになって、顔つきが変わってきました。
それは見てはっきりわかるほどでした。
そんなときはうまくいくものです。
数回の同行営業と打ち合わせで、営業マン丸尾さんは、初めて適正価格でお客様と契約をしたのです。
設計・積算部からも「無理のない金額」と言われ、当然喧嘩も起こりませんでした。
こういう現場は問題も起こりづらく、工事完成まで全てが丸くいきました。
契約の夜は、営業マン丸尾と飲みに行きました。
そして、営業の方法の深い部分や、その大切な点を話しました。
一番は、適正価格で契約することが会社のためでもあるが、実は、お客様の家づくりのためにもなることを話しました。
過度に値引きした物件は、現場レベルでいろいろ抜かれてしまい、結局、お客様が損してしまう。
下請け業者も叩かれて発注されるので、その現場へ良いものを作ろうという業者さんの気持ちが抜かれてしまうことになる。
最後にはお金が無いので、現場担当が自分で作業し始めて混乱を極める。
だから、営業マンの契約する金額が、適正金額かそうでないかで、実は、その現場が荒れるかどうかが決まってしまう。
適正価格でなければ、絶対に現場は荒れる。
営業マンがスタート時点でその責任を意識してもらえば、その現場は丸く行くことが多い。
営業マン丸尾さんの逆襲
この契約から、営業マン丸尾さんの目の色は変わりました。
「営業の方法が分かった」と顔が自信に満ち溢れていました。
そして、おのずと結果がついてきたのです。
首の勧告を受けた営業マン丸尾さんは、1年後には、Cホームのトップセールスマンになっていました。過度な値引き癖が多少残っていたのが、「玉にきず」でしたが・・。
人間とは、面白いものです。
結果がついてこないときには、隅の方で肩を丸くして、肩をたたかれないかとビクビクしていたのに、トップセールスマンになった瞬間に、その肩で風を切って歩いていました。
馬鹿にされていた設計に対しては「ちゃんとかっこいい設計してくださいよ!」なんて茶化すほどでした。
営業マン丸尾さんのつまづき
しかし、これまた人間とは面白いもので、調子に乗りすぎて肩で風を切って歩いていると・・つまづいて こけたりするものです。
営業マン丸尾さんは、絶好調に浮ついて、とんでもない事をしでかしてしまい、どん底まで転げ落ち、2年後に会社を首になってしまいました。
この営業マン丸尾さんを見て・・
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ということを心しよう・・と思いました。
事実は小説よりも奇なり。
お天道様は見ています。
「流れに従って生きる」ーCホーム編ーACT43:ローコスト住宅の研究
Cホームでやった多くの仕事のなかで、私にとって役に立ったことは、ローコスト住宅の研究でした。
「1棟600万円の借家」や「坪29.8万円の家」が飛び交う岩手県の環境もあり、営業マンからの強い要望で、「ローコスト住宅の商品化」と「ローコストのカラクリ追求」に、随分、時間を使わせていただきました。
その甲斐あって、本当に1棟600万円くらいの借家を商品化できましたし、坪30万円前半くらいまでの表示価格を実現できました。
ある程度、価格表示にカラクリも使うのですが、表向きはりっぱなローコスト住宅の完成でした。
ただ、その現場の合理化や、設計のルールなどをまとめる過程で、心配なことも出てきて、上司に次のような相談もしました。
「本当に、ローコスト路線で進むんですか・・? 『ローコスト借家』と『ローコスト住宅』を営業マンに売らせたら、二度と坪50万円台のお客様は来なくなりますよ。
1棟あたりの利益額は多くないので、薄利多売で常に数を追いかける家づくりになりますよ。」・・と。
Cホームのおかしな営業成績グラフ
そのときのCホームの営業成績グラフは不思議でした。
社長の方針だったのですが、 『売り上げ金額(契約金額)』 だけで、営業成績の順位を決める方式でした。 『契約時の粗利益のグラフ』 の必要性を言ったのですが、聞き入れてもらえず・・、 いくら値引きしても、いくら赤字の契約をしても、売り上げ金額の多い営業マンは表彰の対象になるのでした。
実際に成績上位の営業マンのほとんどが、スタート粗利率10%を切っている契約が多い状況でした。
だんだん営業マンの値引き癖は、暴走し始めていました。
当然といえば当然です。値引きしないでしぶとく交渉している営業マンより、さっさと値引きして赤字でも数多く契約した営業マンがほめられるのですから・・。
そういう現場は、現場施工中のロスなどを考えると、実質最終粗利5%前後であり、設計・工務・営業の人件費を計算すると、実は赤字物件だらけだったのです。
もちろん、現場も荒れます。
既にそういう『売り上げ金額の競争』に会社が走っている状態だったので、社長と営業マンは、このローコスト住宅の影響を深く考えずに、即決で飛びつきました。
条件無視のローコスト営業で暴走
「借家は3棟で1セットが条件で1棟600万円。外部給排水は別途」・・と言う条件も、
体制やパンフレットを作る前に、いけいけどんどん状態で営業マンを走らせる結果となり、
アホな営業マンにいたっては「3棟で出来るなら1棟でも出来る!」など意味不明なことを言って、勝手に1棟のみ600万円で契約してくる者まで現れて収拾つかない状態になっていきました。
今、考えれば、尻に火がついて会社に余裕がなかったのかもしれません。
その年、Cホームは年間100棟を超えるのは確実な勢いを見せました。
しかし、半分以上は借家です。借家3棟で住宅1棟分の利益しかでないので、100棟とは表面上の話でした。
さらに、人間とは値引き癖がつくと、どこまでも値引くようになり、借家も住宅も勝手に営業マンが値引く 「バナナの叩き売り」状態になっていきました。
会社の世間的な評価は良かったようですが、私にはお先真っ暗に感じました。
社長の方針で、会社の目標である社是は創業時から
「5年後に株式上場・持ち株価格が5倍」
ということでした。
会社の目標(社是)に
「いい家をつくる」
という感じの文言がなかったのです。
株式上場に会社を救うマジックがあるのか分かりませんでしたが、私には、そんなウルトラCのような経営はできないとだけ強く感じました。
Cホーム卒業の「流れ」が始まる
私が、開発室に配属させられたとき、社長から「年間100棟を超えるようにしてくれ」と言われたので、結果的には約束は果たしました。
そのため、そろそろ潮時かな・・と思い始めることになっていくのです。
そんなタイミングで・・
私のまわりに、次の不思議な「流れ」が徐々に巻き起こり始めるのです。
事実は小説よりも奇なり。
お天道様は見ています。
「流れに従って生きる」ーCホーム編ーACT44:「独立」への流れ 序章
私がCホームに入って僅か1年・・。年間棟数の多い会社の開発室という部署のため、やることが多く濃密な1年間を送っていました。
そして、それなりの結果は残していったと思います。
〇 会社内の各部署の問題点を洗い出して調整もしました。
〇 ローコスト借家の開発もしました。
〇 自然素材系の商品もつくりました。
〇 そのかたわら、こだわりの強いお客様で、当時のCホームでは対応できそうにない物件の営業・設計・現場監督もしました。
今考えると、並行しながらよくこなしていたなァ・・と感じます。
そんな中での、会社のローコスト一色化の波に、「もう少し楽しい家づくりをしたい」という葛藤も生まれ、「会社を辞めようかな」・・という思いが芽生えてきました。
たった入社して1年の冬で・・。
Cホーム卒業・・という不思議な出来事の数々
驚くような動きがにわかに起きだすのです(不思議なものです)。
まず、某建材メーカーの片山さん(仮称)から突然電話がありました。
藪から棒に…
片山さん「白鳥さんて独立する予定あるんですかぁ?」。
あまりのタイミングに「え!?なんで知ってるんですか?」と聞いた記憶があります。
独立するか・・他の会社に移るか・・は定まっていませんでしたが、独立も1つの選択肢かな・・と考えはじめて、関係の近い人には雑談のような相談をしていました。
片山さんは、その事情は全く知らないまま、何となく言ったのでした。
ただ、本人(片山さん)も独立して住宅会社を始めたいということで、パートナーとして私にいっしょにどうか・・という打診でした。
片山さんと組むか組まないかは別として、「やっぱり、独立の流れが始まっているのかな・・」と感じた瞬間でした。
続けざまに不思議な電話
さらに、追い風が起こっているかのように驚くことが続いたのです。
わずか数日後・・私に住宅営業を教えてくれた友人 小田君のハウスメーカー時代の同僚で、2回くらいしか会ったことがない人物「江原」から突然電話が掛かってきたのです。
これも驚いたのですが・・
藪から棒に…
江原氏「俺と一緒に住宅会社やらないか?」という話だったのです。
2回しか顔を合わせたことのない私にいきなりの電話内容でした。
唐突なこの話に、やはり独立の「流れ」を強く感じました。
そう考えると符合することも出てくるのです。
すっかり忘れていましたが、牧田とは「カナダのワーキングホリデーから帰国したら住宅会社をやりたいね」・・という話を以前していました。その牧田が帰国するのが翌年の8月だったのです。
今から、少しずつ準備を始めると、なんとなく8月付近だなぁ・・。これは、偶然なのか運命なのか・・。
独立する恐怖感
しかし、独立するということを想像すると・・非常に恐怖を感じるのでした・・。
〇 スタート時点で仕事がなければ、すぐに路頭に迷うという恐怖。
〇 軌道に乗る前に仕事が切れれば、やはり路頭に迷うという恐怖。
〇 収入がなくなるので、生活苦からどのような転落人生が待っているのだろうか・・という恐怖。
〇 一度 お金でつまづけば、人生の軌道修正はそんなに簡単にはできない・・という恐怖。
〇 私の実家は、お金に全くゆとりのない家庭だったので、もし、失敗しても救いの手は出してもらえない・・という恐怖。
独立しても仕事が見えない → 金銭的に破たんする → 人生が崩壊する → ・・自己破産・・犯罪者・・自殺・・というようなことを想像すると、恐怖心で眠れなくなるほどでした。
2人でスタートするというだけでも、2人分の給料・事務所費・光熱費・ガソリン、コピーなどの雑費・・その他もろもろ考えても、毎月70~100万円掛かりそうで、仕事が見えない状況でこの金額の出費は、想像するだけで手や体が震える感覚を覚えるのでした。
そんな恐怖心もあり、この時点では独立するかどうかは迷いに迷っていました。 ふつふつと巻き起こる「独立の追い風」を体で感じつつも、精神は「流れに従って勇気をもって突き進む」のと「人生の破たんへの恐怖心」の板挟み状態でした。
その後も 片山さん と 江原さんから 再三再四、「独立して一緒にやろう」という電話があり、話し合いはするものの何か先が見通せない状況に、徐々に心が疲れてきていました。
そういう不安と焦りを抱えて悶々とした2か月・・。
答えが見い出せないまま、暗闇の中をもがきながら 歩いていた…時は、1999年12月の冬・・。
そんなときです・・。
この迷いを吹き飛ばして余りあるような、通常確率では絶対にありえない
「奇跡の事件」が起きるのです。
事実は小説よりも奇なり
「流れに従って生きる」ーCホーム編ーACT45:独立の流れー奇跡の事件ー
独立するかどうか・・
「追い風」と「不安」の中で・・
迷いに迷っている まさにそのとき・・
この迷いを吹き飛ばすような・・
通常確率では絶対にありえない「奇跡の事件」が起きるのです。
ときは1999年12月。
その頃、私は 藤原様(仮称) というお客様の設計&営業をしていました。
F様は、私がCホームに入社して初めての見学会のとき接客した
1番目のお客さまで、まさに岩手に来て最初に家づくりのお話をした方でした。
その見学会から1年近く経っていたのですが、藤原様はその後いろいろな住宅会社の説明を聞いてまわり、私の説明が一番良かったということで、少し間が開きましたがようやく設計スタートということになったのです。
藤原様との設計打ち合わせの中で、私が手がけた面白い建物の実績を見てみたいということになりました。
展示場を持たない会社でしたので、実物を見ないと一抹の不安が消えないのは当然といえば当然でした。
私はF様のイメージする建物に雰囲気が似合いそうなのが、N建設時代に建てた「宿みやま」かな・・と思い
ご説明すると、ちょっと遠いですが見に行こうとなったのでした。
「宿みやま」は宮城県の鳴子町にあります。
「宿みやま」へ向かう
鳴子町は宮城県仙台市から北に約40㎞。岩手県北上市から南に100㎞という古川市(現大崎市)からさらに20㎞ほど西に位置します。
12月中旬の雪の中、私は藤原様ご夫婦を乗せて、100㎞以上もある鳴子町に向かいました。
車中1時間もあったので、家づくりの話や、私の経歴などいろいろな話で盛り上がりました。
私はそんな中・・心の中では・・「もし独立するのであれば、このF様邸がCホーム最後の仕事になるのかなァ・・」とも考えていました。
岩手で「最初」に出会った人が「最後」の仕事・・
も何かの縁なのかなア・・。
古川インターを降りてそこからさらに西に30分ほど行くと
「宿みやま」に到着します。
古川インターに着くあたりでちょうどお昼の時間になりそうだったので、
私たちはインターを降りてすぐの蕎麦屋で昼食をとることにしました。
蕎麦屋での奇跡
特に有名な蕎麦屋さんというわけではなく、その時代でいうドライブインという感じのお蕎麦屋さんでした。
そして・・、蕎麦を注文して雑談しているとき、
その「奇跡の事件」は起きたのでした・・。
突然、私の背後から「白鳥!」と呼ぶ声がしました。
振り向いた私は・・、目を疑いました・・。
頭が真っ白になって固まってしまいました・・。
なんと・・そこに立っていたのは・・
牧田だったのです。
事実は小説よりも奇なり。
お天道様は見ています。
「流れに従って生きる」ーCホーム編ーACT46:帆を上げる
しばし、呆然としました。
時間的には数秒もなかったと思いますが、
頭の中が混乱していたせいで、
長く呆然としていた感覚を覚えました。
私「な・・なんで、お前がこんなところに居るの!?」
「カナダに居るんじゃないの!?」
牧田「あれぇ、パソコンのメールに 『12月の中旬1週間だけ日本に帰る』 ってみんなに送ったよ・・。見てないの?」
私「しばらく、パソコンメール見てなかった・・。でも、なんで古川に居るの!?」
牧田「まあ、それはいいとして、こちら俺の彼女」
なんと・・、牧田は、いつの間にか彼女がいたのでした。
そんな話は置いておき・・
牧田は群馬県出身で大学のため仙台市に来たのです。
仙台市より北30kmに位置する古川市に居る縁もなければ、
そこに来る理由も極めて少ないのです。
・・というより、カナダに居るはずだった人間が古川市にいること自体、
きわめて低い確率です。
さらに私が古川市に来るのも稀なことで、
その蕎麦屋でそばを食べるのは人生2回目だったと思います。
ましてや、蕎麦屋の滞在時間は1時間程度。
当然、牧田の滞在時間も1時間程度。
このタイミングで意図せずに牧田に会う確率は・・、
多分、宝くじで100億円当たる確率より低いはずです。
背筋に電流が走りました。
私 「ところでさ・・カナダのワーキングホリデーから帰ったら、
住宅会社を一緒にするか・・
という話を昔してたじゃん・・。あれは牧田の頭の中ではどんな感じなの?」
牧田 「白鳥がいいのなら、そのつもりで考えておくよ」
私 「実は、そういう機運が周辺で徐々に出てきているんだよ・・。分かった・・そのつもりで動いておくよ。」
牧田 「了解!」
帆を上げる
そのとき、ふと・・昔、牧田が言っていた言葉を思い出しました。
「追い風が吹いているときに帆を上げられないやつは、
いつまでたっても進まない。」
「追い風が吹いていることに気づかない人もいる。」
・・・と。
私は、この絶対にありえないような「奇跡の事件」に
勇気をもらう形となり、迷いがすっかり吹き飛びました。
F様の家づくりを最後に独立に向かって
『帆を上げる』ことを決心したのでした。
事実は小説よりも奇なり。
お天道様は見ています。
「流れに従って生きる」は⑥「独立準備」編につづきます
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★「流れに従って生きる」①ー大学生活編ーは下記より飛んでください。
歴史上初の出来事によって大逆転で志望校に合格!そして・・ありえない話の連続ストーリです(実話)
10代の皆さんの勉強に臨むヒントになるかもしれせん。
「流れに従って生きる」ー①大学生活編ー ACT1:大学受験勉強|けんけん(白鳥けんし) (note.com)
★「流れに従って生きる」②ーN建設編ーは下記より飛んでください。
安月給の会社で5年、自分スキルを上げた爆笑ストーリー(実話)!
20代の若い社会人の皆さんのヒントになるかもしれません。
「流れに従って生きる」②ーN建設編ーACT13:ここに居る意味がある|けんけん(白鳥けんし) (note.com)
★「流れに従って生きる」③ーフランスワールドカップ編ーは下記より飛んでください。日本が初めてワールドカップに出場した大会。会社を辞めて観戦に一人旅。そこでも起きる不思議な出来事…(実話)。なにかのヒントになるかもしれません。
「流れに従って生きる」③ーフランスワールドカップ編ーACT31:不思議な出会いその①|けんけん(白鳥けんし) (note.com)
★「流れに従って生きる」④ー転職準備編ーは下記より飛んでください。
次の行き先を決めないままN建設を退社。
しかし、人生とはうまくつながるものです。人生の転換を考えているかたになにかのヒントになるかもしれません。
「流れに従って生きる」④ー転職準備編ーACT37:HAさんとの不思議な縁|けんけん(白鳥けんし) (note.com)
★「流れに従って生きる」⑥ー独立準備編ーは下記より飛んでください。
独立することを決意したときから、巻き起こる信じられない偶然の出来事!これはなんなのか…引き寄せの法則とは本当にあるのか…?
信じられないストーリーは、人生の中で勇気ある一歩を踏み出した方になにかのヒントになるかもしれません。
「流れに従って生きる」⑥ー独立準備~編ーACT47:独立準備|けんけん(白鳥けんし) (note.com)
★「流れに従って生きる」⑦ー仙台スタート編ーは下記より飛んでください。仙台でのスタートは衝撃の出来事の連続です。
まるでジェットコースターに乗ったような展開は、起業を目指している方へのなんらかのヒントになるかもしれません。
「流れに従って生きる」⑦ー仙台スタート編ーACT53:「項羽」と「劉邦」|けんけん(白鳥けんし) (note.com)
★「流れに従って生きる」⑧ー再独立編ーは下記より飛んでください。
ついに最終章!。今まで仕込まれていた絡まった糸の数々が全てここにつながっていたのか・・と驚きます。
怒涛のラスト18話・・・是非読んで下さい!。
事実は小説よりも奇なり。お天道様は見ています。
「流れに従って生きる」⑧ー再独立編ーACT66:大どんでん返し|けんけん(白鳥けんし) (note.com)
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