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なぜ野村克也さんの言葉が心に響くのだろうか

失敗と書いて「せいちょう」と読む
働くとは「傍を楽にする」と書く
人間的成長なくして技術的進歩なし
未熟者にスランプなし
己を知り徹せよ

スマートフォンに映る文字を眺めていると、なぜか心が痛み出した。
言葉の一つ一つが身しみた。
じわりじわりと身にしみた。
心にも頭にも文字が染み渡る。
頭の中で、今日一日の出来事がフラッシュバックする。
果たして、私は本に書いてあることを実践できたのだろうか。

仕事で疲れ果てた時。何気なくスマートフォンをいじり、中にあるAmazon Kindleをのぞいていた。別に本を読みたかったわけではないけれど、電車にゆられたこの時間、何か有効に使えないか、仕事終わりで頭が働かないはずなのにそんなことを思っていた。
難しい本を読むだけの気力もない。
だけれども、なぜか野村さんの本が目に止まった。

野球選手、監督、評論家の野村克也さん。
お亡くなりになられたけれども、野村さんの教え子たちが今、日本の野球界で活躍している。ヤクルトの高津監督や日本ハムの新庄監督は、野村さんの教え子だ。
生前はたくさんの本を書かれていて、私のスマホにも野村さんの本が入っている。何がきっかけで本を買ったのかわからないけれども、最初に読んだ時はいいこと書いてあるな、程度にしか感じなかった。

けれども、仕事でうまくいかなかったりして疲れ果てたとき、落ち込んだ時、野村さんの本を読むと、このままでいいのかな、と思ってしまった。最初読んだ時はそこまで意識しなかったフレーズが、五臓六腑に染み渡る。
なぜだろうか?

野村さんは野球監督時代、「野村再生工場」と言われた。
なかなか芽が出ない選手、全盛期を過ぎてしまった選手、他の球団から戦力外として出されてしまった選手。野村さんはそのような選手たちを活躍させた。こういったら語弊があるかも知れないが、弱きものたちの味方かも知れない。
心が挫けそうになった人たち、不貞腐れそうになった人たち、そんな弱い心を見せた人たちを野村さんは立ち直らせた。私は、そんな野村さんの言葉に惹かれたのかもしれない。

失敗と書いて「せいちょう」と読む。
失敗してしまったことは次の成長につながる。せっかく失敗したのに、そこから学ばない。失敗を無駄にしていないか。

働くとは「傍を楽にする」と書く。
私がしていることは、周りの人を楽にしているか。かえって面倒なことを起こしている気がする。

人間的成長なくして技術的進歩なし。
私は他人から見て恥ずかしくない人間か。普段の私の行動を省みると、お世辞にもそうは言えない。

未熟者にスランプなし。
最近、noteを更新できていないのはスランプでない。単なる実力不足。文章を書く時間を作るための創意工夫が足りない。

己を知り徹せよ。
私に何ができるのだろうか。いまだにわからない。あれもこれも手をつけて、失敗している。欲張らずに、私に求められてる役割を知り、徹する。

果たして私はチームに貢献できているか。独りよがりになってないか。野村さんの言葉は、私に問いかけてくる。その問いかけが全身に染み渡る。当てはまることがたくさんある。直さないといけないこと、すなわちまだまだ成長できることがたくさんあるとこに気が付く。

良薬は口に苦し。
五臓六腑に染み渡る野村さんの言葉は、良薬なのかもしれない。だから悩みを抱える人たちに言葉が沁みるのだと思う。

たとえ野球のグラウンドでもない。同じ時間を生きているわけでもない。けれども野村再生工場は、私が再生するために、言葉を送ってくれる。
私だけでない野村さんは多くの本に、野村再生工場のエッセンスを散りばめているのだろう。今日も何処かで誰かが野村再生工場で再生のためのトレーニングを受けているかもしれない。
場所を変え、時代を超えて。

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